1 . 愛人がいる夫と政略結婚の妻
夫には愛人がいるのだという。
最初から破綻することが目に見えていた結婚だった。
片手で数えるほどの手紙の往復と両家の話し合いだけで決まった婚姻。
誓いの口づけすら交わさぬまま、結婚式の直後に初めて訪れた公爵家の屋敷で、名ばかりの妻として与えられたのは、屋敷の東翼にある小さな部屋だけだった。
女主人としての役割を求められず、誰でもできる事務作業やたまに茶会に出るよう指示されるだけ。
訪問客は、わたくしがいないかのように振る舞うか、あるいは哀れみの眼差しを向ける。
侍女たちは最低限の世話しかせず、他の使用人もわたくしがいないふりをする。
そんな態度をとられるようになった原因たる夫のユーリウス閣下は、一度もわたくしの寝室に足を踏み入れることがない。
これから先もない。
「奥様、明日は茶会の予定が入っております」
執事のオットーが淡々と告げた。
オットーの声には感情が欠けていた。
わたくしに対しては常に事務的な態度を崩さない。
表情を動かすところすら見たことがない。
わたくしとの会話といえば、こうして予定を伝える時だけ。
「…わかりました」
人と会話することは苦手だ。
だからもちろん茶会だって憂鬱な仕事に過ぎない。
茶会の招待状を手に取り、目を落とす。
ユーリウス閣下の筆跡でわたくしの名前が書かれているが、それは単なる形式上の記載に過ぎない。
誰もわたくしを歓迎していないことを知っている。
それでも、断ることは許されない。
逃げ出せば、きっとそれこそが彼らの望むところなのだ。
廊下からは、使用人たちのひそひそとした話し声が聞こえてくる。
名前を呼ばれることは少なく、多くは『奥様』、あるいは、もっと露骨に『飾り物』と呼ばれる。
そんな中、たまに聞こえてくるのは、わたくしにとって痛みを伴う噂だった。
ユーリウス閣下の愛人。
それは男爵家の未亡人であり、社交界では二人は公然の秘密として語られているという。
一度だけ、遠目に馬車から降りてくる華やかな女性を見かけたことがある。
ユーリウス閣下が差し伸べた手を、自然に握り返していた。
対の人形のような二人の姿に、胸の奥に冷たい空洞が広がるようだった。
この結婚が政治的な思惑によるものだと理解していたのに。
実家は没落寸前の侯爵家。
公爵家との縁組は、わたくしの価値ではなく血筋が買われた結果にすぎない。
だからこそ、何も期待してはいけないと自分に言い聞かせてきた。
にもかかわらず、夜になると自分の孤独に耐えられなくなることがある。
薄暗い部屋の中で、指先で髪飾りに触れた。
ユーリウス閣下から贈られた品。
シンプルな銀細工だけれど、渡された時の希望に満ちていた自分を思い出す。
まだ、こんな結婚生活を送ると知らなかった日の私に戻りたい。
ため息をつき、明日の茶会の準備のために立ち上がる。
鏡台に向かい、自分の顔を見つめた。
青白く、不安げな目。
これがあの美しいユーリウス閣下の妻であるというのだから、嘲笑われても仕方がないのかもしれない。
死んだ母は愛のある結婚を望んでいたのに、結局わたくしは母の望みも、周囲の期待も裏切ってしまった。




