第2節:大地の処方箋
翌朝、俺はアリアと、興味を示して集まってきた数人の若者を連れて、集落の裏に広がる森の入り口に立っていた。
「さて、授業を始めるぞ。今日のテーマは『大地の処方箋』だ。俺たちはこれから、この森に『薬』を探しに行く」
俺の言葉に、若者たちはきょとんとしている。森に薬と言えば、セーラお婆さんのような薬草師が採ってくる薬草くらいしか思い浮かばないのだろう。
「領主様、土地の薬って……どんな草なんです?」
アリアが代表して尋ねる。
「草じゃない。これだ」
俺はそう言って、足元の地面を指差した。そこには、長年積もった落ち葉が腐り、黒く、ふかふかになった土――腐葉土があった。
俺はそれを両手ですくい上げ、鼻を近づける。雨上がりの森特有の、生命力に満ちた匂いがした。
「これが、最高の『薬』の一つだ」
「ええっ!? ただの土じゃないですか……」
若者の一人が、信じられないという声を上げる。
「ただの土じゃない。これは、たくさんの『命』が詰まった土だ」
俺はアリアに腐葉土を少し手渡した。彼女は恐る恐るそれを受け取り、匂いを嗅いだり、指で感触を確かめたりしている。
「この中にはな、目に見えないほど小さな生き物――微生物が、何億、何十億と生きている。そいつらが、落ち葉や枯れ木を分解して、植物が吸収しやすい栄養に変えてくれるんだ。そして、もう一つ重要な役割がある」
俺は木の枝を拾い、地面に簡単な化学式を描いてみせた。もちろん、彼らには意味不明だろう。
「昨日の診断で、この土地の体質は『アルカリ性』に傾いていると言ったな。だが、植物が元気に育つには、少しだけ『酸性』の環境が必要なんだ。この腐葉土は、その体質を中和してくれる、まさに特効薬だ」
俺は【観察者の眼】で腐葉土のpHを測定する。pH6.0。理想的な弱酸性だ。
「見えない生き物……それが、土を元気に……?」
アリアが、手の中の土を、まるで宝物でも見るかのような目で見つめている。科学の面白さに、彼女は着実に目覚め始めていた。
俺たちは、持ってきた麻袋いっぱいに腐葉土を詰め込んだ。森の恵みを分けてもらう。それは、彼らにとって初めての経験だった。
次に俺たちが向かったのは、村で数頭だけ飼われている家畜の小屋だった。当然、そこには糞尿が積まれ、強烈な匂いを放っている。
「うわっ……! 領主様、こんな臭いところに何の用だ?」
若者たちが鼻をつまむ。
「今度は『ごはん』集めだ。こいつは、土地にとって最高のご馳走になる」
俺は平然と、山と積まれた家畜の糞を指差した。これにはアリアも顔をしかめている。
「ふ、糞が……ご馳走……ですか?」
「ああ。植物が一番必要としている栄養素、『窒素』と『リン酸』が、この中にたっぷり含まれているんだ。確かに、このままじゃ臭いし、強すぎて植物も枯れてしまう。だが、ちゃんと『調理』してやれば、極上の肥料に変わる」
その『調理』こそが、堆肥作りだった。
俺は集落の隅にある、使われていない広場に場所を決め、若者たちに指示を出した。
「いいか、まず地面に枯れ草を敷き詰める。その上に、さっき集めてきた家畜の糞尿を乗せる。さらにその上に、森から持ってきた腐葉土を被せて、水をかける。これを、サンドイッチみたいに何層も重ねていくんだ」
最初は汚い作業に抵抗を示していた若者たちも、俺とアリアが率先して泥まみれになりながら働く姿を見て、次第に、一人、また一人と手伝い始めた。それは、グレイウォールにとって記念すべき、最初の共同作業だったかもしれない。
やがて、広場には高さ1メートルほどの、巨大な「サンドイッチ」の山が出来上がった。
「よし、これで調理の準備は完了だ。あとは、時々切り返して、空気を送り込んでやるだけだ」
「領主様、これで本当にごはんになるのか?」
「ああ。これから、この山の中では、腐葉土の中にいた『見えない生き物』たちが、大宴会を始める。糞尿や枯れ草を食べて、分解して、最高の栄養に変えてくれるんだ。その証拠に……」
俺は若者の一人に、山の中心に木の棒を突き刺させた。しばらくして、その棒を抜かせ、触らせてみる。
「あっ! あちぃっ!」
若者が驚いて手を引っ込めた。棒は、ほんのりと湯気を立てていた。
「な? 宴会が始まって、熱くなってるだろ? これを発酵熱という。この熱で、悪い菌や雑草の種も死んでしまう。まさに一石二鳥だ」
目に見えない生き物の活動が、目に見える「熱」という現象を引き起こす。その事実に、若者たちは魔法でも見たかのように目を見開いた。
「すげえ……」
「本当に、見えない何かが働いてるんだ……」
それは、彼らが神々の奇跡とは違う、自然の摂理――科学の片鱗に触れた瞬間だった。
この日を境に、堆肥の山はグレイウォールの新しいシンボルになった。領民たちは毎日、山の温度を確かめ、その変化に一喜一憂した。それは、ただの汚物の山ではない。自分たちの手で未来の食料を育む、「希望の山」だったのだ。




