第4節:呪いの正体
領民たちの怯えようは尋常ではなかった。彼らとの対話は、まず「呪われた水」の問題を解決しないことには始まりそうにない。
俺は、恐怖で震える老人を安心させるようにゆっくりと立ち上がらせ、井戸へと向かった。領民たちは「いけない!」「触れると呪われる!」と悲鳴のような声を上げたが、俺は構わず歩を進めた。
井戸は古く、石組みのあちこちに苔が生えている。滑車は錆びつき、井戸端に置かれた木桶には、白く濁った水が少量残っていた。
俺はまず、その水を観察した。
見た目は、粘土を溶かしたように白く濁っている。
鼻を近づけると、微かに土の匂いと、何かが腐ったような有機的な匂いが混じっていた。
「……なるほど」
俺は桶に指を浸し、その感触を確かめる。少しぬるりとしており、指先には微細な粒子が残った。舐めて確認するのは危険だ。この世界の細菌やウイルスについて、俺は何の知識も持っていないのだから。
(沈殿しない濁り……か。これは、ただの砂じゃないな。コロイドだ)
俺は、あの「役立ず」と罵られたスキルの出番だと判断した。
「【観察者の眼】、発動」
意識を集中させると、俺の視界が即座に切り替わる。
世界が、物理法則と化学式で構成された情報空間へと再構築された。
目の前の「濁り水」が、ただの水ではなく、無数の文字列とパーセンテージが浮かび上がるデータとして網膜に映し出された。
《対象:井戸水》
《水温:15.2℃》
《pH:6.8(中性)》
《主要成分:
・H₂O(水):98.5%
》
《懸濁物質(汚染源):
・コロイド状粘土粒子(ケイ酸アルミニウム):1.2% (上流の鉱山跡より流出)
・有機物(腐植物質、細菌):0.3% (生活排水、動植物の死骸等)
》
《溶存成分:
・Fe²⁺(鉄イオン):5ppm (微量)
・その他ミネラル類:ごく微量
》
《総合所見:上流の鉱山跡および生活圏から、微細な粘土粒子と有機物が恒常的に混入。有害な重金属汚染は確認されないが、細菌類を多数含み、飲用には適さない。また、コロイド粒子は通常の沈殿では除去困難。》
「……そういうことか」
思わず声が漏れた。致命的な重金属汚染ではない。それ自体は不幸中の幸いだ。
だが、問題はもっと厄介なものだった。コロイド――通常のフィルターでは通り抜けてしまうほど、微細な粒子だ。これが水を白く濁らせ、細菌の温床となっている。
彼らが信じる「呪い」の正体は、目に見えないほど小さな「泥」と「細菌」の混合物だったのだ。
俺は、スキルを解除し、現実の光景に向き直る。遠くで、恐怖に歪んだ顔でこちらを見つめる領民たち。
彼らにとって、このいつまでも沈殿しない濁りは、超自然的な力の仕業、すなわち神の怒りや悪魔の呪いとしか思えなかったのだろう。なぜなら、彼らにはそれを観測し、分析する「すべ(科学)」がないのだから。
俺は領民たちの元へゆっくりと戻り、彼らの目を見て、はっきりと宣言した。
「みんな、聞いてくれ。これは『呪い』じゃない」
領民たちが、ざわめく。
「何を……」
「呪いでないなら、何だというのだ……」
「これは、呪いなんかじゃない。ただの、ひどく汚れた『泥水』だ」
俺の言葉に、領民たちはキョトンとしている。泥水? だが、桶に汲んで一日置いても、この濁りは消えないぞ? そんな不信感が彼らの顔に浮かんでいる。
「信じられないかもしれない。だが、重要なのは、これが『ただの泥水』だということだ。そして、泥水は――必ず、綺麗にできる」
俺はニヤリと笑ってみせた。教師としての血が騒ぐ。
「今から、この『呪われた水』を、あんたたちの目の前で、『飲める水』に変えてみせる。奇跡でも魔法でもない。あんたたち自身の手で、明日からずっと綺麗な水を作り続けられる『理』の授業を、とくとご覧あれ」
俺の宣言に、領民たちはただただ呆然としていた。
その中で、あの少女――アリアだけが、小屋の陰から一歩踏み出し、疑いと期待が入り混じったような目で、俺をじっと見つめていた。




