第6節:警告と去来
広場は、領民たちの熱気に支配されていた。彼らの目は、もはや神殿の審問官ではなく、自分たちのリーダーである俺――サガラ・サトシに、全幅の信頼を寄せて向けられていた。
アリアの言葉が、ボルツの言葉が、セーラの言葉が、彼ら自身の言葉となって、ヴァレリウスという絶対的な「権威」を包囲していた。
ヴァレリウスは、自らが引き起こしたこの事態を、冷徹に観察していた。その氷の瞳が、激昂する領民たち、動揺する部下の神官たち、そして高みの見物を決め込む辺境伯の兵士たちを、素早く分析している。
そして、悟ったのだろう。この場で、これ以上、聡を「異端者」として断罪することは、もはや不可能であると。
領民たちの信仰は、もはや神殿には向いていない。彼らが信じるのは、目の前で「結果」を出した、サガラ・サトシという男の『科学』だ。ここで無理に俺を断罪しようものなら、それは神殿に対する暴動に発展しかねない。そうなれば、神殿の権威そのものが、この辺境の地で失墜することになる。
彼は、ゆっくりと、まるで舞台役者が幕を引くかのように、静かに手を上げた。
騒然としていた広場が、彼のその威厳ある仕草に、再び静まり返る。
「……よかろう」
ヴァレリウスの声は、再び、あの氷のような冷静さを取り戻していた。
「今日のところは、引き下がる。貴殿の『実験』とやらが、領民の支持を集めたことは、事実として認めよう」
その言葉に、アリアや領民たちの顔に、安堵の色が広がった。勝ったのだ、と。
だが、ヴァレリウスは、これで終わりにするつもりなど、毛頭なかった。
「だが、勘違いするな、サガラ・サトシ」
彼の瞳が、俺だけを、強く、強く射抜いた。
「貴殿の思想は、やはり危険だ。それは、神が定めたもうた絶対の秩序を、人の浅知恵で乱そうとする、傲慢の極みだ。今日、貴殿が蒔いたその『科学』という名の種が、いずれこの世界に、どれほどの混乱と災厄をもたらすか……」
彼は、天を仰ぎ、まるで預言者のように、厳かに告げた。
「その時、必ずや、神罰が下るだろう。我ら中央神殿は、貴殿という『異端』の思想を、そして、このグレイウォールという『汚染された土地』を、監視し続ける。未来永劫にな」
それは、勝利宣言でも、敗北宣言でもない。執拗なまでの、「警告」だった。
ヴァレリウスは、俺にそれだけ告げると、踵を返し、傍らでこの茶番劇を不満げに眺めていたアードラー辺境伯の騎士団長に、一言、二言、何かを伝えた。
騎士団長は、忌々しげに舌打ちをすると、全軍に向かって、撤退の号令を発した。
「……ちっ! 神殿の坊主どもが、余計な手間をかけさせやがって……! 全軍、撤退だ!」
辺境伯の軍勢は、攻め込むこともできず、かといって神殿に逆らうこともできず、ただただ、不満と屈辱を抱えたまま、砂埃を上げて西の街道へと引き返していった。
去り際に、一人の騎士が、俺たちに向かって「覚えていろよ、百姓ども! 次は神殿など、関係ないぞ!」という、典型的な捨て台詞を吐いていくのを、俺は冷静に見送った。
やがて、辺境伯の軍勢も、神殿の荘厳な馬車も、地平線の彼方へと完全に消え去った。
後に残されたのは、静まり返ったグレイウォールの広場と、呆然と立ち尽くす領民たちだけだった。
次の瞬間。
「「「うおおおおおおおっ!!」」」
誰からともなく上がったその雄叫びは、嵐のような大歓声へと変わった。
「やったぞ!」「勝ったんだ!」
「辺境伯様も、神殿様も、追い返しちまった!」
領民たちは、抱き合い、飛び跳ね、涙を流して、この信じられない勝利を喜び合った。
恐怖に支配されていた「百姓」が、武力と権威という、二つの絶対的な力に、自分たちの「知恵」と言葉で、勝利したのだ。
俺は、その歓喜の輪の中心で、隣に立つアリアと顔を見合わせた。
「……やりましたね、先生」
「ああ……。ひとまずは、な」
俺たちは、二人で、安堵の息をついた。
だが、俺の心の奥底には、ヴァレリウスが残していった、あの冷たい警告が、重く、棘のように突き刺さったままだった。




