悪役令嬢 LAST ESCAPE①
「エレーナエレーナエレーナ! よかった! 僕は君に死なれたらどうしようかと気が気じゃなかったよ! 嬉しい! 君も婚約者である僕に会えて嬉しいだろう!」
ジークハルトは周囲にハートマークを撒き散らさんばかりに喜び、一九〇センチ近い長身でエレーナの身体を振り回す。
私は――というと。
既に全身にはぞわーっと鳥肌が立ち、彼からの求愛を全力で拒否している。
こんなに不幸な再会シーンがあるもんだろうか――。
ぶんぶんと遊園地のティーカップの勢いで振り回されながら、私はどこか醒めている頭の片隅でそんな事を考えていた。
『内なる私』、高柳千鶴としての記憶を取り戻す前のエレーナは権勢欲の強い女だった。
公爵家、という国王家に次ぐ血筋故に、上を目指す彼女が狙うべくは畢竟、国王の妃の座しかない。
そんなわけで彼女と彼女の一族はエレーナが生まれた頃から様々な策謀をめぐらし、彼女が十歳のとき、見事王太子との婚約という未来を獲得したのである。
だがエレーナではない『内なる私』にとっては、それが悩みの種でもあった。
誠に個人的な話で恐縮なのだが――。
私はジークハルトのようなチャラ男系俺様キャラが昔から大の苦手なのである。
それには高柳千鶴という女の生い立ちも若干関係している。
昔から外でサッカーとかいう球蹴りに興じるよりは日陰でダンゴムシと遊ぶほうが。
おしゃべりとかいう無駄話をするよりは夢小説を読んでいたほうが。
河原でバーベキューとかいう奇怪な聖餐を開くよりは牛角で一人焼肉をする方が。
そのほうが遥かに心安らぐ私にとって、ジークハルトのようなチャラ男系優男は根っから受け付けないのである。
私が純潔を捧ぐべきは、汗の匂いが爽やかに香る、一途で無骨な筋肉系男子なのだ――そう、ちょうどコンラッドのような。
「ちょ――殿下! おやめになって! 顔が擦り切れます! うわ、ちょ……殿下! 殿下コラぁ! やめろって! やめて!」
ずりずりずりずり、と、頬から火を噴きそうな勢いの頬ずりをしてくるジークハルトを引き剥がすと、私は全身で息をした。
思い切りほつれた黒髪を手櫛で整えてから、「お、お久しぶりです、王太子殿下……」と形ばかりの挨拶をした私に、ジークハルトはニッコリと笑った。
「うんうんうんうん! 一年ぶりかな、エレーナ! 最近君全然王都に来てくれないし! これでも寂しかったんだぜ! ちょっと見ない間にまた美人になったじゃないか!」
そりゃそうだろう。十五歳で記憶を取り戻してからの私は、なるべく彼とは接触しないようにしていたのだから。
婚約者になるためにそれなり以上に努力したはずのエレーナには申し訳ないのだが、今の私にとってはそれが最善の策だった。
でなければ、今のように彼から求愛されたとき、手近に灰皿かなにかあれば思わず掴んで側頭部をガツーンと殴打してしまいそうになるのだ。
でも――心の底では安堵してもいた。
好き嫌いに関わらず、ジークハルトはこの『琥珀のエルミタージュ』のメイン攻略キャラクター、彼が殺されてしまえば世界がどうなるかわかったものではなかったのだから。
私はとりあえず、ほっとため息をついた。
「よかった……殿下もご無事だったのですね。うん……よかった」
「そりゃそうだよ、僕には剣聖の加護がある。そう簡単にはやられないさ」
ばきゅーん、と意味不明の擬音をつけながら、ジークハルトは如何にも自信満々な笑みを浮かべた。
「剣聖の……加護?」
不思議そうに言ったのはアンリエッタだ。
その声に、ジークハルトは物珍しそうにアンリエアッタを見た。
「おっ、君は噂の平民の子だね? 王太子として説明しよう! ……僕の高祖父である初代のラビリシア王は剣聖と呼ばれてた英雄だった。だから王家を継ぐ僕は、その剣聖の力を与えた女神の加護が込められたこの宝剣を携帯してるんだよ」
「と、いうことは?」
「うーん、つまりだね」
ジークハルトはウインクしながら言った。
「僕はめちゃくちゃ強いってこと」
虫酸が走る。
私は婚約者である男のキメ顔を絶対零度の視線で見つめながら、反対に納得してもいた。
今言ったのは全て本当のことだ。
この乙女ゲ『琥珀のエルミタージュ』では、剣聖の加護を受け継いだジークハルトは剣の達人なのである。
一度剣を持ったら十数人はあっという間にノしてしまう腕前なのは事実で、その剣技故にこの惨禍を生き残ったとしても――別に驚くには値しないことだった。
「あ、あの怪物たちと戦っていらしたんですか……」
「まぁね。まぁでも参ったよ。あいつらどこ斬っても死なないんだ。ああやって頭を落とすしか方法が無いみたいで……めんどくさいから逃げることにしたんだ」
「まぁとにかく、王太子とやら。自己紹介は後だ。お前はどうする?」
長い自慢話を遮ったのはコンラッドだ。
ジークハルトは快活に言った。
「もちろんここを脱出するさ。あんな化け物がうろつく学院とはおさらばするよ。君たちも一緒に王都へどうだい?」
「生憎だが、俺はこの事態を王宮に報告したら自分の領地に帰るつもりだ。あの化け物の討伐となればラントイェーガー家にも出動がかかるかもしれん」
「おぉ、君はラントイェーガー家の令息か! こういうときは頼りになる! ぜひ君も事態が落ち着くまで王都にいてくれれば助かるんだけどなぁ!」
「悪いが御免被るぜ。俺は宮殿での礼節なんかひとつも知らないんでね」
口調は穏やかだったが、コンラッドの言葉には明らかに棘があった。
お前とは同行したくない、という言外の意味がありありだった。
アンリエッタが困惑したように私を見たが、私は無言で首を振った。
いがみ合う設定なのだから仕方がない。
と――そのとき、うううう、という低い唸り声が聞こえ、その場にいた全員がそちらを見た。
見ると、再び十数人ほどのゾンビがこちらに向かって来ていた。
「逃げましょう!」
私が駆け出すと、さっきまで険悪だったジークハルトとコンラッドも後について走り出した。
衛兵隊長の骸の側を通り過ぎ、厩まで来た。
よし――ここにはゾンビはいない。
それに幸運なことに、厩には青い顔をして今まさに馬車を出発させようとしている御者がいた。
御者は私たちの足音に振り向き、怯えたように声を上げた。
「あ、あんたたちは……!?」
「俺たちは人間だぞ! 頼む、乗せてくれ!」
コンラッドが手を挙げて人間であることを主張すると、御者は一瞬迷ったような表情を浮かべながらも、やがて「――乗りなさい!」と大声で言い、出発の準備を始めた。
ほっ、と胸を撫で下ろす気分で、私たちは次々と馬車に乗り込んだ。
どうやら、助かったようだ。
荒い息を整えながら、私は激しく咳き込んだ。
その場にいた全員が酸欠の金魚のように息を整え、今や全身で息をしていた。
「よし、全員乗ったな! 飛ばすぞ!」
御者が後ろを振り返りながら言った途端だった。
「おいそこの貴族! 待ってくれ!!」
そんな声が遠くに聞こえ、私たちはぎょっと声のした方を振り返った。
見ると、白い服を着た少年が必死の形相を浮かべてこちらに走ってくる。
その背後に――数人のゾンビを引き連れて。
「おい! 待ってくれ! 俺も乗せて……乗せてくれ! 頼むよ!」
「ま――待って! 誰か来ますわ! 馬車を出すのを待って!」
私は大声で御者に言った。
その間にも、少年はまっすぐこちらに走ってくる。
よほど長距離を走ってきたらしく、顔は汗びっしょりなのがここからでもわかった
「おい! どこでもいいから乗せてくれよ! 怪物に追われてるんだ! 貴族だけで逃げるな! この平民もたまには哀れんでくれ! おい!」
聞いただけで必死さのわかる声だった。
どうする? もし彼が感染していたら……!?
コンラッドと目配せするより先に、アンリエッタが動き、馬車のドアを開け放った。
「あ、アンリエッタ――!?」
「乗ってください! 早く!」
アンリエッタがそのちっこい身体を乗り出し、腕を広げた。
少年がその腕めがけて飛びついた瞬間、「ええい、くそっ!」と喚いたコンラッドの右腕が、アンリエッタごと少年を馬車に引きずり上げた。
「馬車を出して!」
私が御者に言うと、御者は「捕まりなさい!」と叫ぶやいなや、馬車を猛スピードで走らせはじめた。
弾丸のような速度で構内を駆け抜けた馬車は、あっという間にリストランテ学院の正門を飛び出した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
こんなスプラッタでめちゃくちゃな小説を気に入っていただければ幸いです。
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