悪役令嬢人肉通り②
「嘆きの璐……?」
アンリエッタが不思議そうに言う。
私は地下に開いた広大な空間を眺めながら、ここがそうか、と驚いていた。
「そうだ。王都によくある都市伝説……のひとつなのかな。王都の地下にはラビリシア王国危急存亡の秋に備えた秘密の退路がある、という話だ。だがそれは伝説ではなく、現実に存在している。僕も……来るのは今日が初めてだけどね」
ジークハルトが低い声で説明した。
そう、王都に少しでも縁のある人間ならよく聞く与太話のひとつで、すぐ上が軟弱な地盤の湖底ということを考えれば、地下にそんな巨大な退路がある可能性は考えにくい。
だが、現実にそれは存在していた。そしてその名の通り、本日それは長い眠りから目醒め、城を追われた王族が嘆きとともに逃げ去る秘密の路となるのだ。
「殿下、この路はどこへ繋がっておりますの?」
「それは――僕もはっきりとしたことは聞いていない。とにかく王都の外へ繋がっていることは確実だ。ここ七百年で実際に人が通るのは初めてだろうから、全てが上手く行くとは思えないけどね」
「そうと決まればさっさと通り抜けよう。ここのことはディートリッヒ王子も知ってるんだろう? すぐに追っ手が来るぞ」
コンラッドの言葉に、ジークハルトはしっかりと頷いた。
「その通り、あまり時間はない。とりあえず、この門が開いてくれることを祈るだけだ……」
そう言って、ジークハルトは巨大な門に取り付き、手前に向かって思い切り引っ張った。
だが、ミシミシ……と扉は少し軋んだだけでビクともしない。それを見かねて、コンラッドとクラウス司祭、リオンも加勢に入る。
「よし、力を合わせて……いち、にの、さん……!」
四人分の力で引かれた門扉が、少しずつ動き始めた。
ゴゴゴゴ……という音と共に、巨大な石製の門が少しずつ開いていく。四人が地面を踏ん張り、体重を乗せて更に力を入れると――やがて門は一気に口を開いた。
途端に、ぶわあっ! と地下空間の空気が動いた。
うわっ! と私が頭を押さえてしゃがみ込むと、今までカビ臭く淀んでいた空気が一気に門の奥へと吸い込まれ始めた。
ごうごうと唸りを上げて流れていく風に、まるで嘆きの路が産声を上げるように鳴動し、不気味に低い唸り声を上げる。
その様を、私たちはしばらく呆然と眺めていた。
しばらくすると、不意に嘆きの璐の唸り声が治まった。
ごくり、と、誰かが唾を飲み込む音がやけに大きく響いた気がした。
「……おいジークハルト、本当に大丈夫なんだよな?」
「あ、ああ、風が流れたってことはどこかへ繋がってるってことだよ、多分……」
なんだか、随分気弱に聞こえる声だった。
流石にジークハルトと言えど、この光さえ飲み込んでいるような闇に駆け込む度胸はないらしかった。
顔を見合わせ、おずおずと先頭を譲り合っているように見える四人の男たちを見て、アンリエッタがずいと前に進み出た。
「みっ、皆さん……私が先を照らしますね!」
自分を奮いたたせる一言と共に、アンリエッタが右手を掲げた。
高く差し上げられた手のひらから白の治癒魔法の光が迸り――嘆きの璐の闇を真っ白く照らし出した。
「よし――じゃあアンリエッタを先頭に、一塊になって行こう。みんな、用心してくれよ」
ジークハルトの声とともに、私たちはそそくさと嘆きの璐に入っていった。
◆
ぶるっ、と、私の身体が凍える寒さに震えた。
なんという寒さなのだろう、ここは――。そりゃ地下だし、滔々と水を湛えた湖が真上にあるのだから寒いのは当たり前だろうが、それにしてもこの気温の低さは尋常ではない。
実に七百年ぶりに口を開けた秘密の通路を駆け足で走り出して三十分ほどか。相当の距離を移動したはずなのに、全く身体に火照りが来ない。一息息を吸えば、肺が痛く感じるほどにこの路の空気は凍てつき、冷え切っている。
この気温の低さのためか、嘆きの璐には蜘蛛の巣さえ張っていない。どこかから滲み出てくる地下水がじとじとと床を濡らしているだけで、コントラストに乏しい石造りの路が延々と続くだけ。
路がほとんど湾曲せず、一直線に伸びていることも相まって、ともすれば同じ場所をぐるぐると回っているだけのようにも感じてしまう。
ほとんど無言でしばらく路を走っていると、リオンが不意に声を上げた。
「な、なぁ王子様――本当に王都の外に繋がってるんだよな?」
その一言にも、ジークハルトはなんだか自信なさげに表情を固くしただけだった。この光景はあまりにも代わり映えしなさすぎて、彼でさえ不安になってきたのだろう。
ジークハルトの無言に、リオンもそれ以上問いかけるのが怖かったのか、それ以上何も言うことなく黙り込んでしまった。
重い――空気が重い。
そんなに高くはない天井のせいもあってか、まるで見えない手のひらに真上から押し付けられているような圧迫感が、路を行く私たちの足取りを重くする。
湿気と埃臭さが数百年という時間を掛けて空気と混ざり合ってしまったように、一息吸う度に身体のどこかから元気が漏れ出ているようなイメージが浮かぶ。
一体この路はどこまで繋がっているのだろう……段々と不安になってきた時、不意に先頭を行くアンリエッタの足が止まった。
「どうしたの、アンリエッタ?」
「みっ、皆さん見てください!」
アンリエッタの声に促され、私たちはアンリエッタの右手が照らし出す方向を見た。
そこにあったのは脇道――どこから来ているのか全くわからない、果てしない闇が私たちのすぐ横に大きく口を開けていた。
アンリエッタがおっかなびっくり右手を差し出してみても、その先の闇をすべて照らし出すことなどはできそうになかった。
「どうやら、この路の入り口は王都のあらゆる場所に隠されているらしいな……」
クラウス司祭が呻くように言う。
どうやら、この路はいつどこにラビリシア王がいても落ち延びられるよう、地下にクモの巣状に――あるいは阿弥陀くじ状に張り巡らされているらしい。
一体どれだけの財力と時間をかければこんな広大な地下壕を掘り抜くことができるものか……私はその事実に少しだけうそ寒いような気分を味わった。
と――脇道の向こうから、やはり凍てついた風が吹き抜けてきて、私たちの横を通り過ぎた。
風が通り抜けた途端、既に芯から冷え切っている私の身体が更に熱を奪われ、私はうっと呻いた。
寒い――このドレス姿では、そろそろ体温調節が難しくなってきた。
思わずかじかんだ手をこすり合わせると、不意に――ぱさっという音とともに、上半身がほのかな暖かさに包まれた。
「大丈夫かエレーナ。寒いんだろ、それ着ろよ」
声のした方を見ると、シャツ一枚になったコンラッドが、私の肩に軍服を掛けてくれていた。
途端に、軍服から心地よいコンラッドの香りとぬくもりが伝わってきて、私は顔が赤くなるのを感じた。
「ん? どうした?」
「いえ――ありがとうコンラッド。悪いけどちょっと貸しておいて」
そう言いながら、私は胸の前で軍服の前をかき合わせた。
急に騒がしくなった心臓の鼓動が、軍服の生地を掴む手にもはっきりと伝わった。
エレーナには申し訳ないのだけれど――やっぱり高柳千鶴はコンラッドが好きだ。
それは単に推しであるとかお気に入りであるとか、そういうものを遥かに通り越して――私はこの青年のすべてを知りたいと思っている。
私の異変をすぐに察知して、自分の都合を考えることなくすぐに手を差し伸べてくれる優しいコンラッド。
この世界の元ネタであるゲーム《琥珀のエルミタージュ》では、おそらく一度もエレーナに向けたことはない優しさを、今ではこうして私が独り占めできている――それを考えるだけで、私は堪らなく嬉しかった。
「さぁ、行きましょう。全員で王都を脱出するの。全員で――ひとりも欠けずに!」
私が気を取り直すように言い、コンラッドがなんだか不思議そうな表情を浮かべた、その時だった。
うううう……という、重く低いいななきが、闇を這うように響き渡った。
その音に、ぎょっと全員が足を止めた。
「お、おい、今のは……!」
リオンが言うと、全員が顔を見合わせた。
ジークハルトが血相を変えてリオンを見た。
「いや、まさか……そんなはずはないだろう!? この路は七百年も閉ざされていたんだ! そんなところに奴らがいるわけが――!」
「いいや、ジークハルト君。この路は複数に枝分かれしていると言ったな? なおかつ君はそのすべてを把握していない、そうだろう?」
クラウス司祭の声に、ジークハルトがどういうことだとその顔を見た。
その途端、じゃり、じゃり、という、なにかを引きずるような湿った足音が闇の向こうから迫ってきて、私たちは戦慄の気持ちとともに背後を振り返った。
「やれやれ、君の弟君が一枚上手だったな……自分だけが把握している路の入り口を開放して、奴らを引き入れたか……!」
うううう、おおおお……という意志なき屍の声は、一人分のものではなかった。おそらく何十人という数のうめき声と足音は、私たちが今しがた通り過ぎてきた脇道の方から徐々に迫ってくる。
やがて――アンリエッタの魔法におぼろげに照らし出された光の中に、随分久しぶりに見るような気がする『奴ら』が踊り込んできた。
肉食系腐男子――しかも、その数は尋常ではなかった。
嘆きの璐を覆い尽くすほどの大群、その数は十、二十……いや、数え切れないほどの数。
そのどれもが私たちに両手を伸ばし、まるで亡霊のように押し迫ってくる。
「急げ……! 急いでこの路を抜けないと挟み撃ちにされるぞ! 早く!」
そのクラウス司祭の一喝とともに、私たちは全力で路を駆け出した。
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