悪役令嬢人肉通り①
宮殿を走り抜け、階段を何段か飛ばしで掛け下り、私たちは徐々に宮殿の下層階へと走っていった。
ここまで走ると、追手の気配は遥か後方に過ぎ去り、今では続々と増やされているらしい篝火の灯りだけが大混乱を伝えていた。
「おっ、おいジークハルト! いい加減どこに向かってるんだ!?」
「ちょっと今は静かにしていてくれ! 着いたら話す!」
アンリエッタを抱えたままのコンラッドが大声を上げるが、ジークハルトの返答は素っ気ないものだった。
情熱キッスの興奮もやっと冷えてきた頭で、私は自分が宮殿内のどの位置にいるかをエレーナの記憶から想起していた。
宮殿は湖上に顔を出した小島をまるごと城に作り変えたもので、傍目から見ても堅固な要塞そのもの。だが、湖上の城であるから、地下はないはずだ。
だが今の私たちは明らかに日の光の届かない穴蔵へ向けて徐々に下降していっている雰囲気がある。
まさか、宮殿に地下階層があるのか――と私が朧気ながらに思った時だった。
「エレーナ、怖いかい?」
ぽつり、という感じでジークハルトが口を開き、私は腕の中からジークハルトを見上げた。
「すまない、こんなことに君たちを巻き込んでしまって――ディートリッヒがあんな風に僕を見ていたことにもっと真摯になるべきだった」
全力疾走の騒々しさの中でも、その声は不思議と私の耳に澄んで聞こえた。
私が無言のままでいると、ジークハルトは続けた。
「僕たちは王家の兄弟だ。いずれどちらかが消えてしまわないことには無用な混乱が起きることはわかっていた。けれど――僕は弟を粛清するなんて想像もできなかった」
ぐっ、と、ジークハルトの顎に力が入る。
悔しそうに奥歯を噛み締めたジークハルトの、まっすぐ前を見据えた目に、一抹の後悔の念が過ぎった。
「彼が言うことはある意味で正しい。僕は王族にしては優柔不断すぎたんだ。もっと早くディートリッヒの野心に気づいていれば――いいや、正直に言えば、ずっと前から気づいていた気もする。いつか僕に牙を剥くだろうことに、そうせざるを得ない生き方を強いられていることに――それをわかった上で彼を止められなかったことは、僕が意気地なしだったからだ」
その懺悔は、私ではなく、私以外の誰か――いやもっと大きなものに対して向けられているような気がした。
《琥珀のエルミタージュ》運営さんからの情報を考えるまでもなく、ジークハルトはナンパな男であるが、どこか妙に真面目で繊細なところもある。
彼が女の尻ばかりを追いかける刹那的な人間に育ったのも、結局の所、時期ラビリシア王としての重圧からの逃避行動だったことは想像に難くない。
そんな彼がこうして真剣な弱音を吐くこと自体、きっとものすごく勇気がいることだったに違いない。
ずき――と、『私』ではない誰かが感じた愛しさが、心の奥底から湧き上がってきた。
私はジークハルトの頬に右手を添え、その顔を愛しく見上げた。
「エレーナ――?」
驚いたように目だけで下を見たジークハルトに、『私』が言った。
「大丈夫、殿下のお気持ちは誰よりもこの私が理解しております。私はあなた様の婚約者ですから」
その言葉に、ジークハルトの顔が切なそうに歪んだ。
下唇を噛み締め、眉間に皺を寄せたジークハルトに、『私』はなおも言った。
「殿下、何度も言いますが、決して私を無力な女だと思わないでくださいませ。私は確かに無力な女です。ですが、無力である前に、あなた様と将来を誓い合った伴侶ですわ。あなたの苦難は私のもの、あなたの嘆きは私のもの――だからあなた様の弱音など、私でよければいつでも受け止めて差し上げますわ」
ああ、やっぱり『私』ではないエレーナは、彼を心から愛している――。
高柳千鶴ではない、エレーナという女性の言葉でそう言うと、ジークハルトの目から迷いが消えた。
「そうだな、そうだった――君と僕は婚約者だ」
さっきまで、深い後悔を湛えていた目に、新しい光が宿った。
ジークハルトは私にしか聞こえない声で、小さく、だがはっきりと言った。
「僕は――ディートリッヒと戦おう。そして必ず勝つ。兄貴として一発張り倒して、目を覚ませって怒鳴りつけてやるんだ。そして必ずこの国を、この世界を、肉食系腐男子から取り戻す、約束だ!」
よし、もう大丈夫だ――。
『私』の中のエレーナがくすりと笑い、そしてまたゆっくりと眠りにつこうとするのがわかった。
ごめんねエレーナ、後は私に任せて――もう一人の『私』に向けてそう言葉をかけてから、私は彼と共にまっすぐ前を向いた。
肌に感じる空気は、徐々に冷たさと湿り気を帯びてきていて、何年も人が通っていないらしい、埃っぽさが鼻腔に絡みつくようになってきた。
ジークハルトの後ろをついてくるみんなが、徐々に戸惑い始めたのがわかった。
「な、なぁ王子様……! 本当にこっちで合ってんのかよ!」
「僕にだってわからない! 何しろこの場所には初めて来たからね!」
「は、はぁ……!?」
ジークハルトの声に、リオンの素っ頓狂な声が聞こえた。
その返答に、代わりに声を上げたのはクラウス司祭だった。
「ジークハルト君、まさかこの場所は――!」
「ああ、多分想像の通りだ、クラウス司祭! 噂にはなっているが、実際に通るのは初めてだろう?」
噂? 私は周囲の風景を見渡した。
どうやら、この場所は本当に地下階らしい。ところどころに蜘蛛の巣が張り、分厚い石造りの天井は徐々に低さを増してきて、人が一人やっと通るのが精一杯の広さになってきた。
この迷宮のような場所は一体――と思っていると、ジークハルトが急に減速するのがわかった。
「さぁ、着いたぞ」
その言葉とともに、ジークハルトの腕が緩んだ。
随分久しぶりに地面に下ろされた私は、足に伝わる床の感触を懐かしく感じながらも、到達した場所をきょろきょろと見渡した。
さっきまであんなに狭い道だったのに、ここだけはぽっかりと広い空間になっている。
よく見ると、天井も壁もなく、四方は剥き出しの岩壁だ。洞窟――? と私が理解すると、突然、ボッ! という音とともに、周囲の松明に勝手に火がついた。
「ああ、ラビリシアの王子がこの場所に来ることになるなんて――父祖たちの霊は大変な嘆きようだろうな……」
ジークハルトが落胆したように肩を落とし、目の前を見つめた。
勝手に点いた照明に赤々と照らし出されたのは、分厚い鉄製の無骨な門扉だった。
門には、ラビリシア王家の権威を示す竜の紋章が彫り抜かれている。
ジークハルトが、壁にかかった松明の一本を掴むと、その門の存在を全員に示すようにした。
「おいジークハルト、これは一体……?」
コンラッドが困惑したようにその巨大な門を見上げると、ジークハルトが言った。
「《嘆きの璐》への門だ。僕らが王都から脱出するための――唯一の路だ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
『バイオハザード・ヴィレッジ』発売してるし更新しました。
最近、更新が亀以下になってしまい申し訳ありません。
他作品がちょっと書籍化することになりまして、その書籍化作業のため、今後もどうしても更新が亀になります。
個人的にはめっちゃ面白いと思ってる作品なので完結まで頑張ります。
面白かった
続きが気になる
そう思っていただけましたらブックマーク、
下記のフォームより★★★★★で評価等よろしくお願い致します。




