DUEL PRINCE ~恋する悪役令嬢は勝利の女神~①
「ディートリッヒ……!」
兄であるジークハルトにそう宣言したディートリッヒ。
ジークハルトは静かな怒りを湛えた表情で弟を睨みつけている。
ありえない――いや、あってはならない光景だった。
あのディートリッヒが父を弑逆し、その犯人としてジークハルトを断罪するなんて。
原作である《琥珀のエルミタージュ》にはこんなイベントはなかった。
だから――きっとこれは何かの間違いに違いない。
私はディートリッヒに詰め寄った。
「ディートリッヒ……嘘よね? これはなにかの間違いなのよね!?」
私は諦めきれずにそう言った。
これが出来心や何かの気の迷いだったなら、まだ戻れる。
そうだ、これはきっと何かの間違いであって、すぐにもとに戻る。
ディートリッヒがジークハルトを裏切るはずがない――!
そんな私の顔を、ディートリッヒは冷たい目で見下ろした。
そして、大袈裟なほど大きなため息をついた。
「姉上――姉上は、まだ僕がどういう人間かわからないのですか?」
その一言は、私の心を激しくかき乱した。
私はジークハルトに瓜二つのディートリッヒの顔を見上げた。
そこにあったのは、莫大な恨みの感情――そのように見えた。
「幼い頃から、僕は兄上になにひとつ敵わなかった。勉学も、剣技も、立ち居振る舞いも、生まれ順でさえも、何にでも差をつけられた。僕はそんな兄上と比較され続けて今日まで育ちました」
ディートリッヒはジークハルトの背後に座る、王の玉座にちらと視線を移した。
そうですよね? と、既に事切れた王に確認するような所作だった。
「王も王妃も兄上だけを溺愛し、僕をまるで最初から存在しなかったかのように遇した。僕が廃嫡や毒殺を免れ、生きてゆくには、優れた兄に媚びへつらうしかなかった。僕は心から兄上を崇拝していたわけではない。そうすることが居場所のない僕にとって唯一の処世だったのです。――まぁ、リヴレ公爵の一人娘として蝶よ花よと育てられたあなたにはわからない世界でしょうがね」
低い声で付け足された声には、底深い怨念が滲んでいた。
ディートリッヒの黒い瞳は、今や奈落の底に通じているかと思うほどに暗い光を湛えていた。
だが、それも一瞬のことだった。
ふっ、と短いため息をついて視線を下に落としたディートリッヒは、話題を変えるかのように声の調子を上ずらせた。
「今、王国は存亡の時を迎えています。このままでは王国は、否、世界は奴ら化け物の力で滅ぶでしょう。だが、それは同時に好機でもある。ラビリシア王家がこの事態をいち早く打開し、素早く立て直すことができれば――父や王家の宿願であった大陸の統一も夢ではない」
凄いでしょう?
ディートリッヒはジークハルトを見た。
ギリッ、と、ジークハルトの奥歯が嫌な音を立てた。
「大陸の統一……!? ディートリッヒ、あなた何を言ってるのかわかってるの!?」
私は再び声を上げた。
「あなた、今の状況がわかってるの?! 王国は、いや……世界中にゾンビたちが溢れてるのよ! この混乱の最中にどうやってそんなことをするつもりなの!?」
「えぇ確かに、あの化け物共がこの地上から消えてくれないことには世界相手に戦争など仕掛けられない。――ですが、我々には切り札がある」
そう言って、ディートリッヒは背後を振り返り、顎をしゃくった。
重武装の兵士の一人に肩を抱かれて引き出されてきたのは――後ろ手に拘束され、猿ぐつわを噛まされたアンリエッタだった。
「あ、アンリエッタ――!?」
「彼女には強い白の治癒魔法の才能があり、これが化け物の根絶や治療に役立つかもしれない……そうでしたね、クラウス司祭?」
ディートリッヒはそう言って、兄の背後に佇むクラウス司祭に言った。
クラウス司祭は悔しそうに奥歯を噛み締めた。
「なんと我々には治療方法という特上の解決策があるんですよ、姉上。あなたが僕にもたらしてくれた解決策です。なんとお礼を申し上げるべきか……僕にはわかりません」
ディートリッヒは実に楽しそうな声で言った。
まさかクラウス司祭も、ディートリッヒが裏切るなどとは思っていなかったに違いない。
何もかも――彼には筒抜けなのか。
私は絶望のあまり、全身から力が抜ける思いを味わった。
ディートリッヒは一歩前に踏み出し、目の前にいる兄の顔を真正面から見た。
「今は混乱の時代です。そんな時代に、あなたは優しすぎると思いませんか、ジークハルト第一王子。血に塗れながらこの大陸に覇を唱えるのは、愚かで猜疑心の強い父でも、愛情という温室に育ったあなたでもなく、泥水を啜って日陰に根を張った僕だと――そうは思いませんか?」
ディートリッヒはクスクスと笑い、ジークハルトに向かって言った。
「そこでご相談です。――どうです兄上。僕の下で働く気はありませんか?」
一瞬だけ、ジークハルトが動揺した。
ディートリッヒはいつも通りの声と雰囲気に戻り、実にあっけらかんと言った。
「無論、姉上や御学友の皆様も一緒に、です。流石に王位だけは譲れませんが、身の安全や皆様の地位は保証致します。僕の下で働いてくれれば、今ならこの大陸だけではなく――この世界そのものが手に入るかもしれませんよ?」
それは――あまりに子供じみた空想だと思えた。
彼がやりたいこと、それは下剋上や自分より優れた兄の処刑ではなく、世界征服だというのか。
しかも、今も日夜増え続けているだろうゾンビを一掃し、その隙にこの大陸を手に入れる?
いたずらを思いついたような、ふふふ、というディートリッヒの笑声は、どう聞いても狂人の笑い声にしか聞こなかった。
「何しろ奴らに噛まれれば、身分の差などなく全てが平等に化け物化するのですからね。その地位も平和も安寧も恒久のものではない。そう思い知った世界の人間は、治療方法の提供と引き換えに僕らの支配を歓迎するかもしれない。とてもいい機会だと僕は思っていますよ。これは神が与えた好機であると――」
「愚かだな、ディートリッヒ」
初めて聞く、ジークハルトの抑えた怒声が、ディートリッヒの言葉を遮った。
ジークハルトは怒りを湛えた瞳でディートリッヒを睨みつけた。
「化け物との殺し合いの次は、人間同士の殺し合いをするつもりか、君は。馬鹿馬鹿しい、子供じみた妄想もいい加減にしてくれ。はっきりと言おう――僕は穢れた大逆者のためには働かない」
その一言に、ディートリッヒが露骨に残念そうな顔を浮かべた。
「残念です、兄上」
そう言うと、ディートリッヒは素早く背後の兵士に言った。
「宝剣を取り上げろ」
言われた兵士の一人が、ジークハルトの手から宝剣を取り上げた。
それを受け取ったディートリッヒは、鞘を払って満足そうに笑った。
「素晴らしい――なんという軽さだ! これが剣聖の剣、王の証か!」
ディートリッヒは血に塗れた刀身を月明かりに透かすようにした。
その刀身を恍惚の表情で見たディートリッヒは、その鋒を兄に向けた。
「さぁ兄上、覚悟はよろしいですか? ここで一息に首を刎ねられたいですか? それとも、僕と決闘でもしてみますか?」
酷薄な笑みを湛えて、ディートリッヒはその鋒をジークハルトの胸元に移動させた。
「今や剣聖の加護を持った僕に立ち向かうのはおそらく得策ではない――ですが、死にものぐるいで戦えば僕に傷の一筋でもつけられるかもしれない。さぁ選べ、ジークハルト王太子!」
大声で言ったディートリッヒは、異様な恍惚にぎらぎらと輝いていた。
ちりちりと、焦げるような空気が二人の間に流れる間に――。
私はジークハルトの前に身体を移動させ、ディートリッヒに向かって両手を広げた。
「おっ、おいエレーナ!?」
背後に、コンラッドの悲鳴のような声が聞こえた。
猿ぐつわを構われたアンリエッタも、突然の私の行動に目を見開いた。
「何の真似ですか、姉上?」
不審そうに眉根に皺を寄せ、ディートリッヒが私を見た。
私はごくりと唾を飲み干し――そして、震える声で言った。
「殿下を斬るなら――まず私から斬りなさい、ディートリッヒ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
面白かった
続きが気になる
そう思っていただけましたらブックマーク、
下記のフォームより★★★★★で評価等よろしくお願い致します。




