賑ヤカ哉、我ガ一族②
「ああ、お労しや兄上! ここにも、ここにも……あ! お顔にも傷がついて! すぐに治療させます! ――おい、なにをやってる、兄上が負傷された! 早馬で医師を連れてこい!」
「も、もう大袈裟だよディートリッヒ、こんなの単なるかすり傷だ! それに今は早馬なんか仕立ててる場合じゃないだろう!?」
「場合です兄上! 兄上はゆくゆくはこのラビリシア王国の王となり神となる御方! 御身に万が一の事があれば王国の未来にも傷がつきまする! どうかご自愛を!」
「もうわかったわかった! わかったよ! 医者はいいから傷薬を持ってきてくれ、それを塗るから!」
「は! 承知いたしました! ――おい、薬だ! 宮殿中のありったけの膏薬を練って持ってこい! 一秒でも遅れたら兄上は身罷られると思え!」
「だから大袈裟だって言ってるじゃないか! こんな傷程度で死ぬわけないだろ!? 膏薬はピーナッツバターじゃないんだから!」
ディートリッヒは半泣きの声と顔でわぁわぁと大騒ぎした。
兄であるジークハルトになんとか縋りつこうとする弟。
弟の腕をカンフーマスターのようにいなしながら部屋の中を逃げ回る兄。
湯浴みをし、新しい服に着替え、ようやく一息ついたところでこれである。
コンラッドやクラウス司祭、リオンやアンリエッタはまるで漫才のようなジークハルトとディートリッヒのやりとりを唖然と見ている。
私は――というと。
正直この大混乱は予想されていたことなので、一人だけ明後日の方向を見て、出されたホットミルクをずずずと啜りながら無感動に城の壁のあたりを見ていた。
「な、なあエレーナ。お前、アイツの婚約者なんだよな? いつもああなのか?」
コンラッドが耳打ちしてきた。
私は「今日はいつもより落ち着いてる方よ」と答えた。
「ディートリッヒ殿下の世界は、自分と兄上、その他大勢の世界なのよ」
「はぁ」
「ほら、先に身罷られたお妃様ってキツい方だったでしょう? ディートリッヒ殿下はいつも叱られてばっかりだったのよ」
私は、なんとか愛しの兄上を捕まえようと大騒ぎするディートリッヒを眺めた。
「それを事あるごとに庇ってたのがジークハルト殿下。そのおかげでディートリッヒ殿下はジークハルト殿下に対してああいう行き過ぎた愛情を持つようになったの」
「愛、情……?」
「あれが愛じゃなければ私は逆立ちしたっていいわ。ジークハルト殿下が学院に行くと決まったときも『いやだいやだ』って一週間寝込んだのよ」
「え、えぇ……」
無論、その狂気の愛は彼の婚約者である私にも向けられた。
私とジークハルトが婚約したてのとき、彼は9歳。
どこの馬の骨とも知れない私に対してディートリッヒはスネまくった。
兄上泥棒! と睨まれるのはしょっちゅうのこと。
事あるごとに私の後ろにつきまとい、兄上にふさわしくない、なんだその所作は、マナーがなってない、礼儀知らず、田舎者、お里が知れる……などと、まるで小姑のように嫌味を言い、如何に私が『ジークハルトと釣り合わない女か』をチクチク申し立てるのである。
当時はまだ高柳千鶴の記憶を思い出していなかった私にしても、正直、たまったもんではなかった。
最近は流石に諦めたのか、私のことを『姉上』と呼んでくれる程度には打ち解けられた自信はある。
だが、それでもディートリッヒの兄に対する狂気の愛は全くもって収まっていないのだった。
「とにかく兄上! 今日兄上は何度も何度も死にそうになったはず! 僕はその事を考えるだけで胸が張り裂けそうです! 救助が遅れた僕をどうかどうか打ち据えてください!」
そう言ってディートリッヒは跪き、頭を垂れて「打ち据えられる」体勢になった。
ジークハルトは引きつった顔で首を振った。
「い、いいよもう助けに来てくれたんだし! な、な、なんで僕が君を殴らなきゃなんないんだよ! もういいよ顔を上げてくれ、みんな見てるだろ!? ねぇ!」
「見られていられるからこそ打たれとうございます! 嗚呼、御学友の皆々様、この愚弟ディートリッヒの失態を是非笑覧あれ――さぁ打って兄上!」
「うっ――! ああもう、許す! 今日のことは王子として許すから! だからもう全部なかったこと! なかったことにするから! ね!?」
そう言った瞬間。
ディートリッヒが顔を上げ、ぽーっと恍惚の表情で“兄上”を見上げた。
「兄上――。こんな愚か者をも赦してくれるとは、やはり兄上はお優しゅうございますね……」
ひっ、と、アンリエッタが悲鳴を上げた。
コンラッドは吐きそうな顔で目を背ける。
リオンは何故かさも面白そうにニヤニヤしている。
クラウス司祭は苦笑しながら、後ずさるジークハルトを見ていた。
「ディートリッヒ、そのへんにしたげなさい」
これ以上、兄弟同士のBL漫才をやられたのではたまらない。
私が『姉上』の声を出すと、ディートリッヒはハッ! と驚いたような表情を浮かべた。
「姉上……そう言えば姉上もご無事で!?」
「無事よ。どこも噛まれてはいないし怪我もしてないわ。私たちのことはいいから、まずは王都の今の状況を説明してくれる? 悪いけど、ここでは身分差は不問で頼むわ。全員に丁寧に質問して頂戴」
ハイ! とディートリッヒは小学生のような良い返事をした。
「王宮に報告が上がってきたのは昨日の午後でした。リストランテ学院に負傷者多数、救助に迎えと。正直、報告を聞いてもわけがわかりませんでした。魔物がいるだの、殺人事件が発生しただの……だが僕は他ならぬ兄上の危機だと考え、救助隊を組織し派遣を決定しました。それが昨日のことです」
頑張りましたよ? というようにディートリッヒはジークハルトを見た。
ジークハルトは物凄く細かく頷いて先を促した。
「ですが――それと同時に、王都内でも異様な報告が相次ぎました。王都のいたるところで人が発狂し、生きたままの人を喰い殺している、と」
ディートリッヒの説明に、全員が俯いた。
「混乱は燎原を駆ける火の如く広がり、やがて報告方もパンクする始末。どこで何が起こっているのか、僕らにも把握できなくなりました。僕は事態の収集と生存者救出のために近衛師団を投入することを決断しましたが――焼け石に水でした。混乱は一昼夜続き、ようやく夜が明けた頃、事態を重く見た我々は、王都と、宮殿の封鎖を決断しました」
そこで、クラウス司祭が声を上げた。
「ディートリッヒ王太子。生存者は? 生存者はいなかったのかい?」
「いたのかいなかったのか、それすら確認のしようが――」
ディートリッヒはその先を言い淀んだ。
「相手は重武装の近衛師団ですら敵わない怪物。しかも噛まれるとたとえ生きていた人間ですら奴らと同じ様になってしまうとかで――王宮は、王都内の生存者を救助するのはあまりに危険だと判断しました」
「ってことは、王宮は王都を見捨てた、ってことかよ?」
コンラッドが棘のある声を出した。
ディートリッヒは首を振った。
「ラントイェーガー卿のお怒りはご尤もです。ですが王都と王はこの国の最後の砦なのです。奴らの侵入を許した時点で勝負は非常に不利と言わざるを得ない。王宮内の戦力の消耗を防ぐには致し方がなかった」
「負傷者は? 隔離はしているのか?」
「できる限り隔離しておりますが――奴らに噛みつかれた時点で、遅かれ早かれ、負傷者はいずれ奴らと同じように怪物化することがわかっています。非常に心苦しくはあるのですが――」
「わかった、もう言わなくてもいい。すまない」
クラウス司祭がその先を止めた。
「――父上は?」
ジークハルトが重々しく言い、全員の視線がジークハルトに集まった。
「ディートリッヒ、黙って聞いていれば、ほとんど君が王都のことを動かしているな。父上は――ラビリシア王はどうなされた? 何故この場にいない?」
その問いが出た途端だった。
ディートリッヒの顔に緊張の針が突き立ったように、私には見えた。
「父上は――」
どう捉えても不自然な間があった。
やがてディートリッヒはぎこちない笑みを浮かべて話し始めた。
「父上はご無事でいっしゃいます。ただ少しお疲れということで、今は私室でお休みになっておられます。僕が指揮を取ったのは父上からの指示であって――」
嘘だ。
全員がそれを悟った。
ジークハルトはディートリッヒの顔を真っ直ぐに見て言った。
「ディートリッヒ。嘘をつくな。父上はどこにいる?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
もしよろしければ評価・ブックマーク等、よろしくお願いいたします。




