悪役令嬢 LAST ESCAPE②
「う……げほっ、げほ……! 恩に着るぜ。貴族にもたまにはいいやつがいるんだな……」
やっと息が整ってきたらしい少年は、アンリエッタの顔を見て、信じられないぐらい薄い笑みを浮かべた。
ここにたどり着くまでに精も根も尽き果てたらしい少年は、よく見ると給仕の服を着ている。
私は内心首を傾げた。
誰だろう、この少年は。
年は私たちより下、十四~五歳程度か。
きれいに切りそろえられたオレンジ色の髪は手入れが行き届いており、非常に艷やかだが、釣り上がり気味の目元はなんだかその好意的な印象を打ち消さんばかりに意地悪く見える。
こんなキャラクター、《琥珀のエルミタージュ》の中にいただろうか。
「おい、お前。奴らにどこか噛まれたか?」
コンラッドが警戒を解かない声で少年に聞いた。
馬車の床にひっくり返ったままの少年は、目だけでコンラッドを見上げた。
「いいや……どこも噛まれてない。俺は足だけは早いんだ。おかげで命拾いしたぜ」
少年はそう言ってからぎゅっと目を瞑り、「俺以外の給仕は全滅したけどな……」と苦しそうに付け足した。
その一言に、少年が見た地獄を想像したらしいアンリエッタは、ふとポケットからハンカチを取り出して少年の顔の汗を拭いてやった。
「や、やめろよ……! 貴族がなんてことを……!」
「私は貴族じゃないわ。あなたと同じ平民よ」
「は……」
優しく語りかけるアンリエッタを、少年は信じられない表情で見上げた。
こういうところはやっぱり彼女だ。溢れ出る優しさがある。
「私には白魔法の才能があるの。だから特例で入学できただけの平民よ。あなたも平民なんでしょう? 名前は?」
少年は呻くように言った。
「リオン――リオン・オランジーナ」
聞いてみても、やはりその名前に聞き覚えはなかった。名前もなんとなく貴族のそれではない。
非攻略対象キャラか? と内心少年の素性を疑っている私の横で、ジークハルトが少年を面白そうに見た。
「ほう、平民か。それにしてもオランジーナっていうファミリーネームは珍しい。出身はどこだい?」
ジークハルトが言うと、少年はじっとジークハルトの顔を見た。
そして何事なのか、眉間に皺を寄せ、なにかを確かめたような表情をした。
口籠る雰囲気を見せた少年は、ややあってから「……言えない」と言った。
「言えない?」
「あぁ、言えない。悪いけど――それは勘弁してくれ」
「なるほど、訳アリってわけか。訊くなというなら訊かないよ」
おや、ジークハルトがこんなにあっさり引き下がるなんて。
このチャラ男のことである。根掘り葉掘り聞き出して人の心の闇をポンポンとさらけ出しそうなものなのだが。
不満そうにジークハルトを睨むコンラッドの目にもジークハルトはどこ吹く風だ。
「とりあえず、俺たちは生き残った。ところでなんだが……あいつらは一体どこから来たんだ?」
コンラッドが言うと、馬車の中の全員が顔を見合わせた。
「エレーナ、お前が言うにはアレはゾンビとかいう怪物なんだよな?」
「え、えぇ。単なる思いつきで確信はないのですけれど」
「ん? エレーナはアイツらのこと知ってるのかい?」
「殿下がそう仰るなら逆にひとつ確認したいのですが――皆さんはゾンビをご存じないのですね?」
私が順繰りに見渡しても、全員が首を振る。
つまりこの世界にはゾンビは存在しないか、一般的には知られていない存在であるらしい。
私は数秒の間、多くはない脳内情報をまとめてから語り出した。
「奴らは生ける屍です。既に死んでいるので知能も感情もない上に痛覚もなく、筋力もおそらくは常人より強いはず。奴らが厄介なのは、噛まれることで流行り風邪のように他人へ感染する点です。感染者は一度死んだ後、やがて同じように新鮮な肉を求めてうろつくようになる。唯一の対処方法は全身を動かしている脳を破壊するか、もしくは身体を動かしている頚椎や脊椎を破壊すること――要するに首を胴体から切り離すことです」
「う――!」
アンリエッタの顔が真っ青になった。
私がアンリエッタの頭を撫でてやると、全員が絶句して私を見た。
「本物の怪物じゃないか……。ところでエレーナ、聞いてれば随分奴らについて詳しいみたいだけど、君は何故そんなことを知ってるんだい? しかも弱点までも」
なんでそんなことを訊くんだろう、と思いながら私は言った。
どんなゾンビ映画でもゾンビは頭部を破壊すれば沈黙すると相場が決まっているのに。
私は不思議そうに言った。
「何故って……常識ですわ」
「常、識――?」
全員が私をポカンと見たが、気を取り直したらしいジークハルトが難しい表情で言った。
「とにかく、アレが王国中に広まったら、ラビリシア王国はおしまいだ。王都で奴らについて調べるしかないね」
そう言って肩をすくめたジークハルトの言葉に、会議は終わりそうな気配になった。
私は手袋をしたままの手で、額の脂汗を拭った。
とにかく――もう乙女ゲームごっこどころではない。
今やこの世界はスプラッタ映画の世界だ。
とにかく、王都で奴らについて調べないと。
だがそれには前世でプレイした《琥珀のエルミタージュ》の予備知識など全く役に立ちそうもない。
だいたい、ゾンビが存在しない世界で、どうやって奴らの出現について調べるというのだ。
一体これからどうしたものか――。
「え、エレーナ様……大丈夫ですか? お顔色が優れないですけど……」
アンリエッタが遠慮がちに私の肩に触れた。
おっと、いけない。随分心配させてしまっているようだ。
私は「えぇ、ちょっと考え事をしていただけ……」と顔を上げて、そして、絶句した。
「エレーナ様――?」
ない。
アンリエッタの顔が欠けている。
はっと私は周囲を見渡した。
ない、コンラッドもジークハルトも、ほとんどが全身が虫食い状に欠けて見えていない。
《バグ》だ――!
随分忘れていた現象の発現に、私は背筋が凍る思いがした。
だがそれは普段起こるそれよりも遥かに激しく、世界を侵蝕していた。
私の視界に映る世界はもはや、見えている方が少なかった。
何が起こってるの、何が――!?
「エレーナ様、どうかなさいましたか?」
アンリエッタの声を無視して、冷静になれ、冷静になれ……! と私は混乱する頭を叩いた。
《バグ》が理由なく起こることは決してない。
私たち、否、私は今、間違った方向に行こうとしているのだ。
既に大きくシナリオが書き換えられているはずの《琥珀のエルミタージュ》を、なお進行不能にする行動を私は取ろうとしているのだ。
何が原因だろう。
今更ギュンターが喰い殺されたことが影響しているのだろうか。
それとも何か踏まなければならないフラグを立てなかったのだろうか。
経験していないイベントがあるのか。
ありとあらゆる可能性を逡巡する中で――私ははっと思い出した。
そうだ――なんでこんな事を忘れていたのだろう。
「――ダメよ」
ぽつり、と私が言うと、欠けて見えない世界で、他の四人が私の顔を見る気配がした。
「このまま王都に向かってはダメ……まだ足りない、一人足りない……」
「エレーナ様……?」
そうだ、この馬車には『彼』が足りない。
そう、何故なら彼は――今日の入学式には参加していないのだから。
しかし――どうやってそのことを説明しよう。
もはや彼が来るべき学院は壊滅した。
その上、彼を迎えに行くとなると、どこにゾンビたちが彷徨いているかわからない中を寄り道することになるのだ。
私は迷った。
迷ったが――答えはこれしかない。
ならば私が彼らを説得するしかないのだ。
私は決然と顔を上げて言った。
「みんな、私の話を聞いてくださる?」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
こんなスプラッタでめちゃくちゃな小説を気に入っていただければ幸いです。
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