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 日曜日の夜十一時をまわったころ、祐一郎は原付のうしろに花を乗せ、研究所から一五キロほど離れた、「千葉県カントリー公園」という名前の山あいの自然公園に出かけた。もともとはつぶれたゴルフ場だった場所を、成関市が買い取って作った公園であり、周囲の人家はまばらで、ただっぴろく、夜はまるで人気がない。おかげで人目につく可能性もほとんどない。

 花には黒のダウンジャケットとグレーのニット帽をかぶせ、白いマフラーで白髪を隠したが、近くで見るひとがいれば、ただの人間ではないと見破られるだろう。

「ねえ、そろそろ?」

 行く途中、花が浮き立つような声で聞いてくる。

「あと五分!」

 と祐一郎は向い風とエンジン音に負けないように声を張る。早く連れていってやりたいと、はやる気持ちのままアクセルを踏むけど、原付はのろのろと遅い。看板の文字の消えかかったガソリンスタンドや、葉を落とした背の高い街路樹が、どれもゆっくり遠ざかっていった。

 原付がカントリー公園の駐車場に停まると、花は歓声をあげた。

「広い、ひろーい!」

 少女が跳ねるように降りて、砂利を散らして駐車場を駆け抜け、芝生に挟まれた土の道をのぼり、両手を広げてぐるりと回りながら立ち止まる。ニット帽とマフラーからのぞく紅い両目が、外灯で照らされてきらきらと光った。

 昨日の夜、花は麻衣に連れられて、祐一郎の待つ宿泊所にやってきた。夜食の箸と丼を置いて祐一郎がドアを開けると、二人とも疲れ切った様子で、花は浅黒い顔を青くして、麻衣の汚れた白衣の肩にぶら下がり、玄関灯の下に立っていた。少女は大人二人に引きずられるように布団に横になって、シャワーも浴びずに寝息を立てだした。

 花は翌日の昼前まで眠ってたけど、目覚めてからベッドのうえで一つ背伸びをすると、スッキリした顔で起き上がった。痛みや疲れは特にないという。

 翌日、夜になったら公園に行こう、といいだしたのは祐一郎のほうだ。アパートの近くに遊ぶような場所はほかにないし、そもそも人目につくところには連れていけない。でも、渉のようになる前に、渉に対してはできなかったことをしたい。

 たぬきそばと出来合いの豆腐サラダとふかしたサツマイモだけの昼ごはんのあと、祐一郎はそれを提案し、花が箸を持った手でバンザイをした。

 サトリの存在が公になることは、中野城製薬研究所では禁止事項とされている。彼らがマスコミにつかまれば研究に専念できなくなるし、競合相手もできてしまうだろう。

 会社の事情以上に、祐一郎は花を困らせたくない、よろこばせたい、という気持ちが強かった。そして、死んでしまった渉への、罪ほろぼしの意味もふくまれている。

 ――渉も、もっと外に連れだしてやればよかった。

 初冬の寒空の下、感傷がおもてに出ないように笑顔をつくって、祐一郎は花について歩く。普通に歩いてるように見えるのに、少女の歩みは速かった。ときどきふり向いて待ってくれるけど、それがなかったら、置いてけぼりにされそうだ。白い息を弾ませ、しだいに上りになってゆく固い土の道を、もつれそうな足で踏みしめ歩く。

 十分ほど上ると、あたり一面を芝生でおおわれた広場みたいな場所に出た。

「祐一郎ー!」と花が芝生のまんなかでこっちを呼んでいる。どこで拾ったのか、手のひらサイズの蛍光ピンクのボールを片手に持ち、頭上にかかげて振っている。

「いっくよー! 大リーグボール一号!」

「なにいっ? おまえ、ほんとに自称二十三なの!?」

「うるさーい! えいっ」

 花がボールを放った。それは初速をほとんど落とすことなく、空気を切りさいてピンク色の矢のように一直線に飛び、受け止めようとした祐一郎の手をすり抜けて、右頬に命中した。

 祐一郎の体はうしろにのけぞり、両足が地面からはなれ、芝生を擦る音をたてて仰向けに倒れた。超痛い。ボクシングの経験はないけど、ヘビー級のパンチが直撃したら、こんな感じなのかもしれない。

 花は斜めに跳ね返ったボールの落下する場所へ、人間ばなれした速さで走りこみ、楽々と捕球している。それから祐一郎のもとへ駆けより、片手で口をおおってみせた。

「あっちゃー……。だいじょうぶ? だらしないね」 

「大丈夫じゃないよ、ダメだよ。アレだよ、大リーグボールは、素人にはキャッチできなかったよ……」

 と祐一郎は息も絶えだえに文句をいった。

 花は片手を腰にあて、「ダメだね」と残念そうにいう。

「だってさ、いまの直球、時速百六十キロくらい出てなかった?」

「わかんないけど、きっと、そんなにスピード出てないよ。だって、あたし手加減したもん」

「あれでも、加減、してたのか……」

 といいながら、祐一郎はぎこちない動作で、芝生に手をつき立ちあがる。体にくっついた芝生を払い、痛くて熱い頬を指でもむ。花が祐一郎の空いたほうの手にゴムボールを押し込み、パタパタ離れていって手をあげた。

「カモン、祐一郎。カモーン!」

「はい、はい」

と投げやりに返事をして、祐一郎は返球した。手元が狂って、花の頭上を抜けてしまいそうなボールになったけど、花がタイミングよく、一メートル近くも跳躍し、空中のボールを片手でもぎ取り、音も立てずにつま先から着地する。花が人間ではないという事実をあらためて思い知らされる。

 ――サトリ、か。

「ヤバイねっ、ちょっと楽しいね!」

 花が弾んだ声でいい、ゴムボールをもう一度投げてくる。さっきよりスピードを抑えたボールが、祐一郎が差しだした手のひらめがけて、一直線に飛んでくる。スパーン、と乾いた音を立ててゴムボールが手のひらに収まる。

ブルペンで投球練習するピッチャーとキャッチャーみたいだ。ジンジンする手のひらの痛みをこらえながら、キャッチボールを続けるうち、花の手首が祐一郎の目にとまった。

 思わず息をのむ。ほっそりした手首の内側の白っぽい皮膚に、真新しい、注射の跡らしい複数の赤い痣を見つけ、祐一郎の胸は痛んだ。自分に痛がる資格なんてあるのか、と自問するけど、答えなんて出ない。

「……罪悪感?」と花が、ボールを手にして音もなく近づき、こちらの顔を下からのぞいていた。

心を読んだの? って祐一郎が聞くより先に、花の唇が動く。

「ごめん、見えちゃった」

「見えた……って。ぼくの顔に『罪悪感』って、書いてあるの?」と祐一郎は聞いた。

 花が吹きだしながら首を振った。「ちがうよ、そんなんじゃない。『ごめん』って言葉と、この間の写真の男の子の顔が、浮かんで見えたから……そう、感じたんだ」

 と少女が渉のことを言う。

「そっか。そうだったよね。大したもんだよな、ほんとうに」

 祐一郎は下をむいた。驚異的な運動能力に、読心術。そのどちらかでも、遺伝子を特定し、人類に移植することができれば、世界がひっくり返るだろう。だからこそ、目の前の少女――花――は貴重な実験体なんだ。わかっていたはずの事実が胸を刺し、祐一郎は息苦しさをおぼえる。

「祐一郎は、あたしが実験体だから、死んでいくのが、悲しいの?」

「ちがうよ、よくわかんないけど、たぶん、ちがう。花が実験体だからじゃない、と思う」

 まだ花とは会ったばかりだけど、と前置きを挟んで、祐一郎は考えを言う。

「花が目の前にいるから、こうやって会っちゃったから、居なくなるのが悲しいのかな、って思う」

 祐一郎はそういって、下をむいた。涙がこぼれそうな気がしたからだ。

「泣いてるの?」

 と花が短く聞いた。祐一郎は首を振って顔をあげる。花の顔に、心配そうないろが浮かんでいるのが見える。

「まさか」と強がり、祐一郎は走って行って花からはなれた。それから、無理に笑顔をつくって、蛍光ピンクのゴムボールを少女に投げつける。そうでもしなかったら、ほんとうに泣き出しそうだったからだ。

 不意をつかれた様子の花が、「うわ、わっ」と情けない声をあげる。その顔の、細くなった赤い目じりが、ぴかぴかと輝いて見えた。

 そのあと十五分ほどキャッチボールをつづけ、祐一郎が疲れきったので、二人は家路についた。原付にまたがった二人の頭上で、上辺のわずかに欠けた月が、ぼんやり光って、自分たちを見送っているみたいだと、祐一郎は感じた。



 月曜日の朝、目を覚ますと、祐一郎の右のほっぺたは赤くはれ上がっていた。

 授業は午後からなのが幸いだった。右頬にガーゼをはりつけて昼過ぎに出勤すると、同僚の野々原先生が、わざわざ寄ってきて冷やかした。

「やるじゃないか。キスマークか?」

「ちがいます」

「じゃあ、歯型か。変な場所につけられたな」

「いや。これは、その、大リーグボール一号を受けた跡ですよ」

「くくく、すごい言い訳だね。ほんとうの大リーグボール一号なら、顔には当たらないはずなんだけど……まあいっか。きみは相変わらず、面白いね」

 と先生はにやにやしたが、直後に教頭先生の呼び出しを受け、頭をかきながらそっちの机に行ってしまった。研修報告書が出ていなかったらしい。野々原先生はしっかりしてるようで抜けてるところがあり、それが憎めないので、生徒から人気があった。

 祐一郎は苦笑いでやり過ごし、授業のプリントを準備する。

 月曜日は午後の二時限とも生物の授業がある。放課後が近づくにつれ、土曜日に剣治という少年と話したことが気になってきた。

 勇気を出して、昼休みに少年のクラスを訪ねると、彼は祐一郎に、放課後に空き教室に来られないか、と聞いてきた。祐一郎はうなずいた。

 そして放課後、少子化のあおりを受けて使われなくなった成関高校の空き教室で、祐一郎は自分の額に指の爪を立て、狩野剣治とむきあっていた。

「日々野先生、こいつが、あたらしいサトリってヤツっすか?」

 二人は空き教室の机のうえに腰かけ、足をぶらぶらさせながら、二人のあいだの机に剣治がひろげた写真を見て言葉を交わす。写っているのは、暗がりでキャッチボールをする剣治と花の姿だ。祐一郎の斜め後方、少し遠目から撮影したみたいだった。知らないうちに、後をつけられていたらしい。

 祐一郎は、動揺した。だけど、それを悟られないようにと、落ちつきはらった声で聞いた。

「なんの写真だい、これ」

 すると剣治は、難しそうな顔をした。茶色っぽい髪をかきあげて、祐一郎にたずねる。

「昨日の夜、日々野先生と、いっしょにいたサトリです」と、剣治がそこで言葉を切って祐一郎の表情をうかがう仕草をみせ、後をつづけた、「昨日、千葉県カントリー公園にいましたよね?」

「いや、知らないよ、なにも」

 と祐一郎はしらばっくれた。

 すると、剣治がじーっと祐一郎の姿を上から下まで観察し、苦笑いを浮かべて体をゆらした。不愉快なしぐさだと、祐一郎は感じた。

 ――なんだ、この子は……やっぱり、なにか知ってるのか?

「なにも知らない、ね」

 と剣治がいい、机をガタンと鳴らして座りなおす。

「たしかに日々野先生はなにも知らないでしょうね。ただ、俺は思うんすけどね……先生、ちょっと知らなさすぎるんじゃないっすか?」

 剣治の言葉は、祐一郎の予想の外から胸を刺した。

「……知らなすぎる?」

「はい。いちおう、先生のことは調べさせてもらったんですけど、間違ってたら言ってください」

 と少年が前置きして話しだす。

「日々野祐一郎、三十一歳。四年制大学卒業後、中野城製薬研究所に就職。営業課に勤務していたが、中野城製薬研究所の設立とほぼ同時期に退社、研究所所属の研究助手として働く。一年後、社員時代の蓄えが底をつき、成関高校非常勤生物講師の職に受かり、現在まで勤める。……合ってますか?」

「合ってるけど……」と祐一郎は首をかしげて、「きみ、履歴書でも見たのかい?」

 剣治が黙って首を横に振った。祐一郎の背中を冷たいものが走り抜けた。職歴なんて調べればすぐわかることなのかもしれないけど、他人に、しかも年下の生徒に言葉にされると、気持ち悪い。

 得体の知れなさを怖がって、祐一郎が口をつぐんでしまうと、少年がまた語りだした。

「あの『サトリ』に一番近い人間の日々野先生には、もうちょっと、知っておいてほしいことがあるんですよ。研究所のほかの連中は、先生が知られない方が都合がいいから、なにも知らせてないだけなんすから、先生のほうから探ったほうが良いと、俺は思うんすよ」

 少年の声の調子は少しずつ沈んでいく。

「これはおれの考えですけど、自分からはなにも知ろうとしないで、知らないって言って……死んじまったときだけ悲しむのは、ちょっと人が好すぎるっす。そのやり方は、やめたほうがいいっす」

 まるで、剣治自身が当事者みたいな悲しそうな物言いで、剣治は祐一郎の無知を責めた。

 息が苦しかった。だから祐一郎は胸を手で押えて訊ねた。

「もしかして、狩野君もサトリか……似たような何か、人間でないものなのかい?」

「いいえ。おれは正真正銘の人間です」

 と剣治は首を振ったが、声には苦々しそうな響きがあった。がっしりした体をちぢこめて、肩をすくめる。

 祐一郎はため息をつき、頭を抱えた。チャイムが一つ鳴りひびいて、下校をうながす放送が流れる。たどたどしい口調の放送委員の声を聞きながら、なにか反論を――反撃を――するために、祐一郎の視線は空き部屋にならんだまま色あせた茶色い机の上をさまよう。

 ――知ろうとしない、っていわれても、しょうがないんだよ。聞いたって教えちゃくれないし。

 彰良と麻衣の態度を考える。結局のところ、祐一郎は二人からまだ何も聞きだせておらず、うやむやのままに花の世話を始めている。

 剣治がいってるのは、それで本当にいいのか、ということだろう。このまま花も死ぬことになってもいいのか? よくない。よくはないけど、どうすればいいのかがわからない。

 途方に暮れた顔で、祐一郎は提示された写真をつまみあげる。写真の真ん中には、楽しそうな花の笑顔、右端に祐一郎の背中と後頭部が映ってる。こいつで祐一郎のことを本人と判別するのは難しそうだ。

「写真、ってさ。この一枚きりなの?」

「……はい。これだけです」

 と考えるような間を置いて剣治が答えた。

「だとしたら、剣治くんには悪いけど、お話しにならないんじゃないか? だってぼくは、『こんな写真、僕には関係がない』ってしらばっくれることも出来るんだよ?」

 祐一郎が問いなおすと、剣治がひょいと写真を祐一郎の手から取りあげ、結んだ唇を斜めにかたむけた。

「日々野先生って、おもしろいっすね。その言いかたじゃあ、自分に関係ある、って言ってるようなもんじゃないですか」

「うっ。……まあ、そうか、そうだね、うん」

 祐一郎はうろたえ、わざとらしく咳払いした。そういわれればその通りだ。墓穴を掘ってしまったみたいだった。笑われるのをあきらめて、開き直ることにする。

「もしも関係があったら、きみは、ぼくに、どうしろっていうんだ?」

「日々野先生には、サトリに関する研究内容を調べて、おれに教えてほしいんですよ」

「いや、いや。それは機密事項だから、無理なんだってば」

「でも先生、やろうと思えば、出来ますよね?」

 祐一郎は背中をまるめて腕組みした。さっきまで校庭から聞こえていた部活動の掛け声も聞こえない。部屋のうす暗さが気になって、一度、教室の壁へ立っていって蛍光灯のスイッチを入れ、戻ってきて机に座ってまた腕を組んだ。少年のいうとおり、やってやれないこともない。

 ――けど、それをやったら、助手のバイトは、確実にクビだよなあ。

「やらないんだったら、この写真、公表しても、良いっすか?」

 浮かべていた笑みをすうっと消し、剣治が写真を振りながら訊ねてきた。祐一郎は腕組みしたまま、息をのむ。なにも書かれていない黒板をじっと見つめ、鼻で息を吐いた。

「公表って、うーん」と腕組みをといて頭をかき、「それは、困るよ」

 サトリの存在が公になったときのことを、祐一郎は想像する。もしかして、いわゆるマスコミっていう人達が、花を取材しに来たりするんだろうか。それだけじゃなくて、もっといろいろな研究機関をたらいまわしにされたりするだろうか。そもそも、花を外出させて写真を撮られたことがばれたら、祐一郎はもう、花とも中野城製薬とも、関わりを絶たれるにちがいない。胃の奥が痛みでうずいた。

 祐一郎は額に手をやって、返事の声をしぼりだす。

「考えがまとまらないんだ……待ってくれないかな」

「煮え切らないっすね。べつに考えるほどのことなんてないんじゃないすか。やるか、やらないか、どっちかなんすから」

 剣治のぶっきらぼうに放った言葉が、祐一郎の腹の底におちて、ずしりと重たい。小さな声で、「わかるよ」とつぶやいて、剣治の顔を見返した。

「そりゃあ、きみの言うのはわかるよ、返事するだけなら、今すぐだってできるよ。だけど僕は、よく考えないで返事して、後悔したくないからさ」

 そういうと、写真をつかまえて取り返し、話を聞け、という気持ちを込めて裏返しで机のうえにパチンと置く。

「剣治くんは、そんなに急いでるのかい?」

「俺はべつに、急いじゃいませんよ」

「だったら、いま、五分くらいもらいたいんだけど。……ダメかな?」

 剣治が小さくうなずいたので、祐一郎は机に手をついて立ち、大股で歩いて廊下に出た。何か言ってくるかと思ったけど、剣治の声は追ってこなかった。

 人気のない三階の廊下の窓から外を見ると、二人組の女子生徒がなにか話しながら校門のほうへ歩いていく。祐一郎は窓枠に肘をついて目を閉じた。

 閉じた視界に、昨夜の花の明るい顔が浮かんで消え、つぎに渉の笑顔が思いだされ、同時に『尊い犠牲になってくれたと思って』という彰良の言葉がこだました。だけど、犠牲だなんて思えるわけもない。

 目を開けるとき、むなしい笑いがこみあげてくるのを、祐一郎は感じた。あらためて、渉の死が悲しくて、――自分も彼を殺した一員なのに――悲しんでる自分が滑稽だ。

「……やってみるよ」

 と五分より短い間で教室に戻り、祐一郎は答えた。

「だけど、教えてくれないか。きみは本当に、サトリじゃあないの?」

「ちがいますよ」

「だったら、きみは『何』なんだい?」

「人間ですよ。日々野先生と同じです」

 祐一郎の問いに、剣治は低い声で簡潔に答えた。

 それからガラリと調子を変えて、剣治が情報を盗み出す実際の方法について祐一郎に講義をはじめる。自分のほうが学生みたいだ、と思いながら、祐一郎は手帳とボールペンをとり出した。

 首になるかもしれないし、訴えられるかもしれないが、それでも今度こそ、何もしないことはできそうになかった。悔しいけど、少年のいうとおり、じぶんは知らなすぎた、知ろうとしなさすぎたんじゃないか、という自責の念に駆られ、祐一郎はメモを取る手を走らせた。

 指示を終えると、剣治が忠告した。

「大げさかもしれないっすけど。死ぬかもしれないんで、自分の身を自分で守れるように、気を付けてください」

 というと、少年が祐一郎の肩をポンとたたき、いやな笑いをみせて、空き教室から出ていく。

 祐一郎は一人になって、途方に暮れてガランとした教室の天井を見あげた。自分が死ぬなんて考えられないし、考えたくもない。けど、全然ありえないともいえない。渉だって、死んじゃったんだし。

 ――どうしよう。防犯グッズでも探してみるか?

 鞄からスマートホンを取りだし、祐一郎は時々おそってくる徒労感と戦いながら、防犯グッズの通販サイトをいくつかのぞく。気休めだけど、なにもしないよりはマシな気がする。クレジットカードを財布から出して机の上に置き、盗聴器や警棒、スタンガンなど目についたものを買い物かごに入れ、決済まで完了する。

 教室を出ると、校舎のどこにも人の気配がなくなっていた。祐一郎は戸締りを確認し、校舎を出て、原付置き場へとぼとぼと歩いてく。暗くなった道に、原付を走らせながら、今夜は長くなるだろうな、と思った。


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