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第0話:未来の悪夢

【本作はフィクションであり、実在の人物、団体、事件、および実在する格闘技・武道・武術流派の組織とは一切関係ありません。作中に登場する武術の技術・理合の描写は、演出およびエンタメとしての解釈を含んだ架空の世界線のものです】

廃倉庫の内部は、外の豪雨がもたらす重苦しい湿気と、何十年分も堆積した古い機械油、そして赤黒く朽ちた鉄錆の匂いが混ざり合い、肺を凝固させるような悪臭を湛えている。


割れた天窓から差し込むわずかな街灯の死んだ光が、這い回る雨水を鈍く照らす。その薄暗いコンクリートの最奥の床に、一人の少女が倒れ伏していた。


周囲の冷たい床の上には、彼女のものと思われる、乱暴に切り裂かれた衣服の残骸が散乱している。


衣服を剥ぎ取られたと思われる裸の体には、不釣り合いな男物の薄手の半袖シャツが、上半身を覆うようにかけられていた。シャツの裾から不自然に伸びるしなやかな脚は、日頃の厳しい武道の研鑽を物語るように健康的で美しく引き締まっていた。


少女は、まるで精巧に作られた人形のようにピクリとも動かない。死んでいるのか、それとも意識を失っているだけなのか。その端正な横顔からは判別すらつかない。


ただ、廃倉庫を支配する皮膚を刺すような冷たい違和感と、立ち込める硝煙の匂いだけが、そこにヒリヒリとした凄絶な緊迫感を創り出していた。


その少女の傍らで、少女の物と思われる鮮やかな緋色のリボンを、指の骨が軋むほどの力で握りしめている少年がいた。


黒いTシャツ姿の彼は、そのリボンを、自身の左腕の肉に食い込むほどの烈しさで固く、固く巻き付けた。


「みなごろしだ……」


稲光と共に激しい雷鳴が廃倉庫の鉄骨を震わせた瞬間、少年の口から、あらゆる感情が完全に消え失せた地獄の底から響くような呟きが漏れた。


少年の瞳からは、生きた人間の情緒たるハイライトが完全に消失していた。そこにあるのは、獲物を屠ることのみに特化した野生の獣のような、ギラついた漆黒の狂気だけだ。


それは、彼の血脈の奥底に眠る、脳内麻薬による限界突破の暴走状態――呪われた魔の力の覚醒だった。


暗がりに控えていた黒いスーツの男たちが、手にしたバタフライナイフや自動拳銃の銃身を鈍くギラつかせながら、広東語で怒号を浴びせる。


「臭小子、唔好太過分!(ガキが、調子に乗るな!)」


刹那、廃倉庫の閉鎖空間に、イングラムM11の無慈悲な超高速の銃撃音が鳴り響いた。


マズルフラッシュが闇を鋭く切り裂き、金属音とともに吐き出された九ミリ弾の無数の弾幕。――しかし、その死の鉛弾は、少年の肉体をかすめることすらできなかった。


どれほど近代兵器の初速が人間の反応速度を 超越していようとも、それを扱うのは「人間」という不完全な生体システムに他ならない。


銃撃における最大の隙は、引き金を絞る直前のわずか一ミリの「起こり(モーション)」にある。


射手が大胸筋を緊張させ、銃身の射線が固定されるその刹那を、少年の網膜は生物学的なリミッターを外した超知覚によって、完全に「先んじて」見切っていた。


一瞬にして少年のシルエットがその場から消失する。


弾道を見切った一挙動の動きで、弾幕のわずかな隙間をすり抜け、最前線にいた男の懐へと肉薄した。


男が短い悲鳴を上げる間すらなかった。


少年の強靭な大腿四頭筋の収縮から生み出され、腰の回転を経て正中線を突き抜けた鋭い掌底が、男の顎の先端へと炸裂した。


打撃のエネルギーは皮膚表面で分散されることなく、解剖学的な骨格の軸を伝って脳幹へとダイレクトに透過する。


バキキィンッ!!


肉と骨が凄絶に破壊される乾いた音が響き、男は脳震盪を起こしてそのままコンクリートの床に強烈に頭を叩きつけた。


衝撃の反動で床にボロボロと飛び散ったのは、血塗れのへし折れた人間の歯だった。


少年はその白固きエナメル質の破片を、凄絶なスナップを利かせた指先で瞬時に拾い上げた。


間髪入れず、背後に控えていた別の男たちに向けて、電撃的な手首の「振り」を以て放つ。


超高速で空間を切り裂いた歯の弾丸は、イングラムM11を構えていた男たちの眼球を破裂させ、あるいは引き金を引こうとしていた手の甲の神経節を正確に射貫いた。


「哇啊啊啊啊啊っ!?(ぎゃあああああかっ!?)」


「我嘅眼、我嘅眼啊啊ぁッ!!(俺の、目が、目がァァァッ!!)」


これにより、男たちのサブマシンガンの射出タイミングは失われ、廃倉庫の連携は瞬時に瓦解した。


「怪物……っ! 唔好過嚟、唔好過嚟あぁッ!(化け物……っ! くるな、くるなぁぁッ!)」


圧倒的な速度の飽和と不条理な肉体戦術を前に、銃を持ったプロの暗殺者たちは完全に恐慌状態パニックに陥った。


少年は、銃を落として後退する男たちの膝関節を、瞬時に距離を詰めての苛烈な関節蹴りによって、解剖学的な逆方向へ容赦なく叩き折った。


人間の膝は前方からの荷重には耐えられるが、斜めからの剪断力には極めて脆い。


グシャリという嫌な骨折音が響き、崩れ落ちた男の首の骨を、無造作な手の動きで捻り折る。


死角である背後から青龍刀の重い刃を振り下ろして切りかかる男に対し、少年は軸足を微塵もぶらすことなく、独楽のように鋭く身体を反転させた。


遠心力と重心移動を完全に一本の運動線に乗せた鋭い跳び回し蹴りが男の側頭部を捉え、一撃でその意識を断つ。そのまま、床に倒れた男の喉仏を、容赦のないカカトの踏み込みで踏みぬいた。


さらに手斧を振りかざして死に物狂いで襲い掛かる男に対し、少年は一歩前へ踏み込む「入り身」の体捌きを以て、攻撃の軌道の外側へと滑り込んだ。


相手の突進する運動エネルギーをそのまま利用する形で重心を崩しつつ、男の喉輪を強靭な五指で鷲掴みにする。


そのまま質量移動の勢いを乗せて頭部を床に叩きつけると同時に、剥き出しになった首に鋭い掌底を垂直に叩き込み、頸椎を完全に粉砕した。


肉が裂け、骨が軋む音が、激しい雨音に混じっていく。


近代兵器の銃も冷兵器の刃物も、この素手の怪物には何一つとして通用しない。十人近くいたマフィアの男たちは、瞬く間に殺戮されていく。


外では激しいスコールと雷鳴が轟いていたが、廃倉庫の中では、男たちの悲鳴を伴奏とした血の雨が降りしきっていた。


「唔好、救命、救―――(いやだ、助け、て――)」


いつの間にか最後の生き残りとなった、ビデオカメラを持った男。


彼は戦意を完膚なきまでにへし折られ、武器もカメラもその場に投げ捨てると、唯一の出口である重い鉄扉へ向かって遮二無二走り出していた。


逃亡を図る男の後方から、少年は床に転がっていた三脚固定の重いビデオカメラを、寸分の狂いもないキックで容赦なく蹴り飛ばした。


質量を持った鉄の弾丸と化したカメラが男の背中に激突し、その凄まじい衝撃で男の身体が前方へ大きくよろめく。


さらに、人間の限界を超えた推進速度で距離を詰める少年。


なんとか男が鉄扉の真鍮のノブに手をかけようとしたその瞬間、少年の強靭な五指が、男の後頭部と首の付け根――第一頸椎(環椎)と第二頸椎(軸椎)を完璧に鷲掴みにした。


「が――っ!?」


逃げることすら許されぬ非情。


少年は感情の消えた瞳のまま、捕らえた男の首を、前腕の回外運動による螺旋の剛腕を以て力任せに回転させながら、出入り口の鉄扉にその頭部を凄絶に叩きつけた。


ベキ、ボキィッ……。


男の頭蓋はまるで高層ビルから墜落したかのように割れ、暗がりの鉄扉に脳漿が飛び散る。


男の身体は、完全に生気を失った人形のように床へと崩れ落ちた。


男たちを血の海に沈めた少年が、激しい肩での息を荒くしながら、倒れている少女の元へとゆっくり歩み、膝をつく。


少年――如月きさらぎ志馬しばは、溢れんばかりの慟哭の表情で、天を仰いだ。


………………………………………………


時は戻り、満開の桜が咲き誇る『誠修館せいしゅうかん学園高校』の入学式。


柔らかな春の風が校庭を吹き抜ける中、肩口までのロングボブ、天然の茶色がかった髪とお気に入りの緋色のリボンを風になびかせた少女が、最高の笑顔で、眠そうな顔をした幼馴染の垂れ目の少年の名前を呼びながら手を振っている。


志馬しば! おはよう!今日からまたよろしくね!」


――すべては、あの美しい日常から始まったのだ。

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