6:徒花令息、対面する
「ねえ、本当に大丈夫……? どこか具合が悪いんならノエルは休んでていいよ。案内は僕だけでも……」
「大丈夫です。問題ないです」
ノエルが自分とセシルの親密な様子を想像して勝手にダメージを受けているなんて知る由もないヴィクトールは、とりあえずノエルの奇行を単なる体調不良か何かだと捉えることにしたらしい。そのため、しきりにノエルの体調を確認し、休むように促していた。
先ほどノエルが突然大声を出しながら頭を抱えしゃがみ込んでから、この問答はこれで三回目になる。あれからずっとヴィクトールはノエルのことを心配と疑問が入り混じった怪訝な表情で見ていた。そして、どうしたものかとグレンと目を合わせては首を傾げている。
ヴィクトールから心配されていると思うと、正直言ってうれしくはある。しかし、これからノエルは非常に嫌な奴を演じセシルを罵倒して紅茶をかけたあとその場から逃走するという重要な任務をこなさなくてはならないので、断固として移動するつもりはなかった。ノエルの瞳は己に課した使命により熱く燃えている。
そう、これからノエルは悪役として生きていくのだ。ノエルはヴィクトールからの心配の言葉もこれが最後になるだろうと、心の中でそっと噛み締めた。
「……そ、そう。うーん、それならいいんだけど……とにかく無理はしないでね。――あ、あれはセシル君じゃないかな」
ヴィクトールがノエルの謎に決意に満ちた眼差しに若干気圧されていると、ふいにこちらに向かってくる馬車の存在に気がついた。時間的にも間違いないだろう。どうやらようやくセシルがやってきたようだ。
「……」
ノエルは緊張とこれから自分がやろうとしていることへの罪悪感で胸が張り裂けそうだった。静かに呼吸を整える。ノエルはセシルの一挙手一投足を見逃さないようにと馬車を見つめた。
ついに、夢で見たセシルと現実で対面することとなる。
+ + +
馬車の扉がゆっくりと開かれ、そこから一人の少年が降り立った。ノエルは目を細める。
――ああ、やっぱり夢で見たあの人だ。
ノエルは静かに息を呑んだ。一瞬の瞬きすらも煩わしく思い、ただただ食い入るようにセシルを見つめる。その姿を目にした途端、夢で見ただけのどこか朧気だった輪郭はペンでなぞられたように鮮明になった。
ゆるく波立ったライトブルーのショートヘアは、ところどころ毛先がぴょこんと跳ねている。前髪は長めで若干目にかかっていた。ノエルよりは数センチほど背が高いようだが、ヴィクトールには届かない。セシルは多少目つきが鋭いものの目鼻立ちがはっきりとした非常に整った容姿をしており、左目の下には泣きぼくろが一つあった。
そして、一際目を引くのはその瞳だ。凪いだ冬の海のように澄んだその眼には、不思議と惹きつけられるような何かがあった。どこか懐かしさすら感じる。
「君が編入生のセシル・メレディス君で間違いないかな? 学院へようこそ。私が生徒会長のヴィクトール・シルヴェストルだ。君の案内役を任されている。これからよろしくね」
まずはヴィクトールが先んじてあいさつをする。歓迎を示すように表情は明るく、気さくな笑みが浮かべられていた。
対するセシルはというと、どこか感情の読み取れない表情でヴィクトールをじっと見ていた。しかし、次にふっと口角を上げる。愛想のいい笑みだ。
それからセシルは数歩ほど近づいて足を止める。初対面の相手には丁度いいくらいの距離感で、迷いのない動きだった。
「お初にお目にかかります、ヴィクトール殿下。セシル・メレディスと申します。殿下直々にご案内していただけるなんてとても光栄です。未熟者ゆえに至らない点もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
ノエルは思った。
――あれ? なんか思ってたよりも丁寧だな……? と。
語られる言葉は流暢で、お辞儀の角度すらも特に文句の付け所はない。ノエルはとても焦り始めていた。
ノエルの想像ではセシルは「こんにちはー! セシルって言いまーす! へー! お前ってヴィクトールって名前なんだー? これからよろしくな、ヴィクトール!」みたいな感じのあいさつをするはずだった。
しかし、実際のセシルは想像の何倍も丁寧にあいさつをしている。大誤算だ。こうなるとセシルのマナーを指摘してそこから罵倒するという計画が崩れてしまう。
「いや、落ち着けノエル……僕はヴィクトール様の婚約者だぞ……? 僕ならやれる。何かしら注意するんだ……!」
ノエルは顔を両手で覆い途方に暮れながらも、小声でぶつぶつと己を激励した。
そもそもマナーの指摘は罵倒のきっかけに過ぎない。最終的にノエルが嫌な奴だと思われればいいのだ。ノエルは必死で気持ちを切り替えた。切り替えようとした。
「紹介するよ。彼が私の婚約者で、君と同じ光魔法の――」
「ノエル。……ノエル・ヴェルディエ……ですよね?」
意図的かどうかは知らないが、セシルはノエルを紹介しようとするヴィクトールの言葉を遮るようにそう言った。セシルは頭のてっぺんからつま先まで、ノエルのことをじっと凝視している。
名前を知られていることに関しては特に疑問は持たない。ノエルはこの国の数少ない光魔法の使い手であり、第一王子のヴィクトールの婚約者として世に名前は知れ渡っている。別におかしなところは一つもない。
しかし、わざわざヴィクトールの言葉を遮ってまで言う必要はないのではないだろうか?
ノエルはこれ幸いと一先ずそのことを基点としてセシルを責めることにしようと口を開いた。いや、開きかけた。
結果的にノエルがそのことについて言及することはなかった。そうなってしまったのは、それよりも早くセシルがノエルへと近づいて、ノエルの手を両手でぎゅっと握りしめたからだ。
ノエルは、ぱちりと瞠目した。そんな一呼吸の合間に、セシルはノエルとの距離を更にぐっと詰めた。
「俺はセシル。俺たち、手始めに親友になろう!」
セシルは口早に熱く語った。その瞳はまるで水面に光が反射するように、キラキラと輝いている。
「きっと仲良くなれる。俺はノエルのことを知りたい……俺はノエルの話が聞きたいんだ!」
そこにはノエルだけが映っていた。
そう、まるで今この場所には二人以外、他の誰も存在しないかのように。
セシルはただ、ノエルだけを見ていた。
「……は?」
ノエルはただ呆然と立ち尽くした。




