気まぐれ
少女の短い人生の中で、随分と久しく感じる敗北の味。
それほどまでに少女は、あまりに多くの者と戦ってきていた。
そして今までにない敗北が、彼女の目覚めを悪夢から現実へ引き戻す。
見覚えのない天井が見えた。
ここに至るまでの経緯がわからない。
混濁する意識の中で、記憶を遡る。
確か……アルベールとの戦闘になり……。
記憶を振り返るうちに、事の顛末をすべて思い出した。
そして、ここにきてようやく周囲を見渡す。
やはり見覚えがない。おそらくは、ここは王都のどこかなのだろう。
寝かされていたソファーから起き上がりフラフラと歩くが、思い通りに足が動かない。
右足に体重をかけた途端によろけ、テーブルゲームなどで使われる台に倒れそうになる。
腕で何とか身体を支え、テーブルをつたって部屋を眺めると、どうやらここはカジノか何かを改装した場所なのだと理解した。
そして、カジノ台の上で寝かされている仲間のエルフを発見した。
ネーゼが意識を失ってから、一体どれだけの時間が過ぎたのだろう?
そんな事を考えながら出口を目指すと、妙な違和感に気がついた。
モンスターの気配がしなかったのだ。
国中に蔓延るモンスターが闊歩する中で、なぜネーゼがいるこの場所には気配がないのか。外へ出た瞬間、その理由を理解した。
それは、刀を一心不乱に振るう男の姿だった。
通常の段階でも放たれるプレッシャーが、意図的に殺気として放たれていては、モンスターでさえ近寄れない。
フェリックスがネーゼに気がつき、無機質にこちらを向いた。
「少し待て。あと千は振る」
とだけ言い、再び剣を振るい始めた。
だが、なぜだろう。
「可哀想」
ネーゼの口から思わず出た言葉だった。
その言葉に反応し、ピタッと男の動きが止まる。
修練を邪魔されたのはこれで何度目だ?
フェリックスの記憶上、これで三度目だ。しかも、すべて女に邪魔されていた。
言いたくはないが、フェリックスは誰にどう話しかけられようが基本は無視を貫く男だ。
そんな男が思わず剣筋を止めてしまうほどの言動。男は「空気が読めない」「気が利かない」などと言われるが、真に相手の気持ちを理解できていないのはどちらだろうか。
加えて、彼女たちはフェリックスの嫌なところを絶妙に突いて攻撃してくる。本当にたちが悪い。アルベールが女嫌いな理由を、フェリックスも何となく理解し始めていた。
「何だ?」
フェリックスは、抑えきれない怒りとダメージを隠すことなくネーゼに見せつける。
「あっ、」
ネーゼも、とんでもないことを口走ったと途端に理解し動揺した。
だが、彼女はフェリックスを馬鹿にしたかったわけではない。
フェリックスが放つ「冷たい殺気」が、彼の本来の優しさから生じていると理解したからだった。
フェリックスはネーゼとは全く違う生き方を選択した男だ。
二人は共に英雄を目指し歩んできた。
だがフェリックスは、戦いに生き、戦いによって得た偉業と成果こそが英雄への供物だと考えていた。
だからこそ一人で、淡々と研鑽し、ここまで上り詰めてきた。
それは誇るべきことであり、称えるべき行為だ。
だが、そんな歩みはいつしか朽ち果て、折れるべきものなのだ。
レナが言っていたように、フェリックスがいくら偉業を成し遂げようが、見届ける者がいなくては英雄にはなれない。
そしてアルベールの言葉を借りるなら、一人で歩み続けられる前進には限度がある。
誰からも称賛されない。誰にも認識されない。
それは、英雄を志す者にとっては致命的な痛手であるはずなのだ。
そんな男が辿る道は、本来なら一つしかない。
それは、鎧の男がたどり着いた最高峰、勝利への渇望。
だが、この男は未だにそうなっていない。
目の前の勝利には興味がなく、ただ一人で研鑽し高みを目指す。
純粋に、戦闘狂になり果てることなく、モンスター共を牽制するだけに留め、思い焦がれる英雄への階段を一歩一歩踏みしめる。
その見果てぬ夢を、一人虚しく延々と繰り返す。
何度も折れ、その度に己を鼓舞し奮い立たせる不屈の魂。そこから放たれる冷たい殺気に、思わず溢れた「可哀想」の一言だった。
「あなたは、それでいいの?」
ネーゼは覚悟を決め、真っ直ぐに言い放つ。
ここで腹を括れるのは女の強さだ。男はいつだって、いざという時に意気地がないから、こういう時の女には勝てない。
だから鎧の男は、自分と同じ道を辿ると理解していながら、何も言えなかったのだ。
「可哀想とは、どういう意味だ?」
「見てよ、私。さっきまで食事を作ってみんなを笑顔にしてたんだよ。羨ましい?」
「……。言っている意味がわからない。女は会話が成立しないやつが多すぎる」
「あなた、英雄になりたいんでしょ? 残念だけど、私がなるから無理よ」
ネーゼにアルベールやレナほどの洞察力はない。ただ、同じ目標を掲げる者として通じるものがある。それゆえに宣言した。
だが、ネーゼはついにフェリックスの地雷を踏み抜いた。
今まで対話した二人の女が躱してきた地雷を、完璧に踏み抜いたのだ。
フェリックスは鮮烈な一刀を繰り出すような速さでネーゼに肉薄し、カジノの壁際まで逃げた彼女の首元に刀を突きつけた。
その速度はネーゼですら全く見切れず、気づいた時にはこの態勢になっていた。
「答えろ! 俺より弱いお前が、英雄になるだと?」
その気迫は凄まじく、崩壊した城壁からモンスターが逃げ出すほどであった。
「なるよ。だってあなたじゃ、住民達(あの人達)を導けないもの」
平然とそう返すネーゼ。
フェリックスは歯を食いしばり、睨みを利かせる。
ネーゼの言ったことは真実である。そして、そんなことはこの男自身が一番よく知っていた。
記憶の中のアルベールがフェリックスに告げたのは、あの一瞬で彼の本質を看破していたからだ。だからこそ、孤独な道を否定してきた。
だがそれも届かず、フェリックスは諦め、アルベールと共に人類を裏切った。なのに、未だに捨てきれない思いが彼を堂々巡りさせている。
そんな中、この女は堂々と言い放ったのだ。
「―――ッ!!」
フェリックスは刀を首元から外した。
「弱者の願いは懇願と同義だ。中に武器がある。英雄に成るというなら、俺以上の実力を証明してみせろ」
それだけ言い残すと、彼は元いた足場へと戻っていった。




