黒曜教の侵蝕
「邪教の虜となった家人が戻って来ないのです」
ライセル城へと、そんな訴えが増えている。マティマナはルードランと一緒に、訴えに来ている者たちの話を聞きに行った。
「おうちの方、黒曜教の根城に居るの?」
黒曜教の本拠地がどこにあるのか分からないが、マティマナは家人が戻らないという女性に訊いた。
「はい」
死んではいないらしくホッとする。だが、助けださねばならない。
「黒曜教の建物は分かるかい?」
ルードランが訊く。
「幾つもあるらしいのですが、家人が入っていったのはルペギュ町の神殿跡です」
「神殿跡ですか? 建物はあるのかしら?」
今度は、マティマナが訊いた。
「元々は農期のための掘っ立て小屋です」
規模は小さいのかな?
と、マティマナは思案する。
「掘っ立て小屋のなかで、何をしているのだろう?」
思案気にルードランは訊いた。
「暗黒神を信仰するように強要されています」
「暗黒神? 東の果てのほうに暗黒神らしきを信仰する土着の宗教があるが、別物だろうか?」
女性は暗黒神に関してはほとんど知らない様子で首を傾げた。
「粗末な祭壇に向かって一心に祈っています。黒い石が祀られて、暗黒神さまに導いてもらっているのだと。連れ戻そうとするのですが、強行に居続けようとします」
操られているような異様な目つきで、怖くて怖くて、と、女性は言葉を足した。
そのうち、死後の安楽を夢見ての死を選ぶことになるに違いない。
「連れに行こうか」
ずっと思案している表情だったルードランは、さらりと告げて立ち上がる。ルペギュ町は、馬車で行くならそれほど遠くはない。
「あ、ルーさまが連れに行くのでしたら、一緒に参ります!」
ルードランは頷いた。外出を止められなくてホッとする。
「なんて畏れ多い。申し訳ございません」
ルードランとマティマナが一緒に行くと分かり、女性は真っ青になって平伏している。だが、ちょっと他の者に任せるには危険な気がした。
案内のために女性を同じ馬車に乗せ、ルードランとマティマナも乗り込む。後ろから、騎士たちを乗せた馬車が複数続く。
女性の言葉どおり、ルペギュ町の神殿跡に粗末な農業用の建物が在った。ルードランとマティマナは、女性に続き、掘っ立て小屋へと入る。
騎士たちは、小屋を取り巻くように自然に配置された。
「暗黒神さま今度こそ私をお選びくださいませ」
「早く連れて行ってください」
「もう、少しも待てません。ああ、暗黒神さま!」
狭いのだが、かなりの人数が床に正座した状態で前屈みになり口々に祈りの言葉らしきを唱えている。決まった呪文や祈りの言葉があるわけではないようだ。どの者たちも、憑かれたような表情で正気があるようには見えなかった。
「あなた! 帰りましょう! ここに居てはダメです!」
案内してきてくれた女性が家人を見つけて腕を引きながら訴える。面倒くさそうに、その腕を振り払い、男性は祈りの仕草を続けた。
「どうしましょう。ひとりだけ連れ帰るのでは、拙い気がします」
マティマナは小声でルードランへと囁いた。
「そうだね。皆、被害者だ。幸い、教祖らしきは留守のようだね」
魔法なりを施しておけば逃げはしないと油断しているのだろうか? 広範囲を教祖がひとりで活動しているのなら、手が足りない状態だろうか?
ルードランはマティマナの手を引き、女性は残したまま一旦外へと出た。
「荷送用の馬車は持ってきているかな?」
騎士たちの責任者へとルードランは訊いた。
「はい。運ぶものがありますか?」
「人を二十人ほど。ちょっと暴れるかもしれないが、小屋のなかにいる者をすべて、ライセル城まで運んでくれるかな」
「畏まりました」
全員運ぶ手立てがあるらしい。
マティマナはルードランと共に小屋へと戻り、騎士たちが後からぞろぞろと付いてくる。訴えに来た女性に声を掛け、その家人は騎士のひとりが立たせて歩かせた。
若干暴れたが、構わずルードランとマティマナの乗ってきた馬車に乗せる。隣に女性を座らせ、ルードランとマティマナは向かい側に座り、一足先にライセル城へと向かった。
ライセル家の馬車に乗せられると、呆けたような表情になったが大人しくしている。
「あの……どちらまで?」
不安そうに女性が訊いた。
「一旦、ライセル城へ。このまま家に戻しても、また黒曜教に戻ってしまうだろうからね」
ルードランに何か勝算があるのかは謎だが、馬車はほどなくライセル城へと入る。
ライセル城の門をくぐり敷地に入ると、明らかに女性の連れた家人の表情が変わった。
「……? ここはどこだ? 俺は……何を?」
「あっ、あなた! 元に戻ったのね?」
無理矢理ライセル城まで連れ込んだことで、正気に戻ったらしい。
あら、ライセル城に働く力が効いたのかしら?
マティマナは驚きに緑の瞳を見開く。
「戻った? なんのことだ?」
ただ、ルードランとマティマナは黙って様子を見ていた。豪華な馬車に乗っていることも、誰と一緒にいるかも、把握はしていないだろう。普通の領民は、ライセル家の者の顔など知らない。
「邪教に染まって、ずっと帰らずにいたんですよ!」
「邪教?」
きょとんとした表情だ。これだと、どんな経緯で教団に入らされたのか訊いても無駄に違いない。
「ここは、ライセル城だよ。たぶん、ライセル家の力で邪教の洗脳は解けた」
やがてルードランが告げた。
「は? もしや、ライセル家の御方でしたか? ああ、なんと畏れ多い。お手間を掛けさせて、申し訳ございません」
連れてこられた男性は慌てて馬車のなかで平伏する気配だ。
「いや、お陰で何人か救い出すことができたよ」
ルードランは笑みを向けて応える。
「もう二度と、あんな邪教に関わらないで」
家人の女性は、涙ながらに訴えていた。
騎士たちが荷送用の馬車で連れてきた十数人も、ライセル城に入ると皆正気を取り戻したようだ。
詳細は分からないが、荷送馬車に乗せられる者たちが朦朧と喋る言葉から、魔法で操られた者のなかには魔法を授けられ仲間を増やしに行く者がいるらしい、と分かった。
都外れでは自警団が活躍しているので墓荒しの報告は随分と減っている。
その分、あちこちで黒曜教が蔓延る勢いが増しているようだ。
似たような根城が、ルルジェの各地にあるのに違いなかった。






