身をつくしても
「水泡が、今朝早く届けてくれたのよ」
小萩は、朔がゆっくり見られるようにと配慮したのか、それ以上は言わずに立ち去った。
朔は、その白い紙を見つめた。
これが誰からの手紙か、小萩ももう分かっているのだろう。
胸が高鳴るのは、今まさに考えていたからだ。
あの日からずっと、
私はあの人のことを思わない日はなかった。
そのために今まで生き延びてしまったのだ。
あの場所で、
もう現世に戻れなくても、ちっともかまわないと思っていたのに。
朔は、そっと白い紙に触れた。
外の冷気を吸って、表面は冷たく、少し湿っている。
なかを開くと、——歌が書かれていた。
よほど歌を詠むのが苦手なのか、また引用されたものだったが、それすらも珍しく、好ましい気がする。
あの人の筆跡と分かる、角ばった文字で大きく、
わびぬれば 今はた同じ難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
( つらい思いに嘆き苦しんでいる今は、難波にある「澪標」という言葉のように、この身をつくしても逢おうと思います )
——これは、密事が発覚した時の歌じゃなかったかしら。
曖昧な記憶のなかで、朔はそう思った。
この歌のつくり手も、許されない恋をしていたのだ。
手紙の末尾に、
——いつか必ず、会いに伺います
と短く書かれているのを見て、朔は思わず微笑みたくなった。
それが実行に移されれば、今の立場も揺らぎかねないというのに。
朔は手紙を前に、御格子の方を見る。
未だ雪は降り続いていて、辺り一面、白く染まっている。
——ずっとこのまま、降り続けばいい。いつまでも溶けてしまわないように。
そう思いつつ、朔は文箱のなかから美しい紙を選んで、返事を書くべく再び筆を取った。
《了》




