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それが初めて観測されたのは二十世紀末。2000年の夏だ。
環太平洋合同演習に向かう自衛艦上で、見張りの航海士は絶句した。
「なんで?」
と呟くが、何でもクソもない。
かれは海上に直立する人型の物体を発見し、すぐさま報告する。
未確認物体は、音声による警告を受けたが、それに対しての言語的な反応をDDHは得られなかった。
「あ、そもそもですね。海面歩ってましたから。アイツ」話が通りそうな雰囲気あるじゃないですか。じゃないですかではないのだが、と自分で突っ込む。
そしてそこは、公海上であって、その何かは海面を歩いている。それだけであって、いや、その時点で超常的な危険を感じるべきだから、彼らが臨戦態勢に移行するかもしれませんよと言う警告をしたのはいたって正解であるのだけれど、それよりも早くDDHは威嚇を受けることになる。
「正直、ビビりましたよ。もしかして死んじゃうんじゃないかなって。全員」
思いがけない距離から、思いがけない方法での交戦。
衝撃波はブリッジのガラスを盛大に奮わせるほどの出力だった。確かに数百メートルの距離まで近寄ってしまったのは、わたしたちのミスですハイと言う。
だけれど、こう言うことが起こりうるってことを政府から連絡しておけよと怒り出して、やっぱりアレです、ミスじゃないですと訂正した。
死者は出なかったものの、その衝撃はフェイズドアレイレーダーを簡単に破壊した。そして当時の砲雷長はこう語る。
「艦の攻撃手段ではどうすることも出来なかったんです。あれはどういった原理なんですかね」わからない。だれにも。
ただ、ただ事ではないことなんだ。油断しちゃいけないんだという気持ちが彼の言葉をすこし早口にさせたのが、受け手に伝わる。
「何かって? わからないんですが、我々は衝撃波みたいなものを食らって火器管制装置が壊されてしまったんです。幸い撃沈だとかそういう事にならずに済んだんですが、あのときは怒りがこみ上げて」だが、持つべき感情は怒りではなくて、恐怖だったんだ。そして、すぐさま悟ったというその判断は、彼らを深追いに駆り立てることをさせなかった。最大戦速で海域を離脱し、そして、それは、
「正解だった」
と、DDHの艦長は語った。
これにかかる通信を傍受していたアメリカ海軍は、艦載機を飛ばしたがすでに目標は消失しており、交戦には至らなかった。仮に航空機と正体不明の兵器とみられたそれが交戦したなら、何機かF/A18を失う損害を被ったとしても、どのような経過でどのような結果に至るのかという事に、合衆国軍は強い関心を持っていたのだった。彼らはやっと出会えるのかと心躍っていたようだった。
彼らは、それが存在すると言う事を、知っていたからだ。
そして、日本国内では、公式には自衛艦の故障を隊内で処理したと言うことになった。日米ともに上層部では、初めてその存在を確認したこの一件で、準備すべき対象に他国軍や国際紛争ではない何かがいることを認識し、それをあっさり受け容れた。
そして、既存の交戦状態を作り出す戦力やら国力やらなにやらの概念から、対象の領域を一つ広げた。
日米の中枢では、それを物事の根本をなす新しくて基本的な概念のひとつとしてとらえ、我々の知る現象を立脚するニュートン物理学や量子力学とも違う概念を持つ、万物の根本がそこにあるのかもしれないという恐怖を込めて命名した。
その名称は正式に、
「エレメンツ(elements)」
とされた。