ミドルベリー村にて・2
マギーは赤ひげ亭に日参している間、ティンハム・コートでは夜眠るだけだったが、入浴して眠るだけでも、使用人たちが皆手際が悪く、やる気が無いので、どうにかする必要があるとは感じていた。ロバートが「ひどい」という調理場をはじめ、邸内のすべての物品の所在と、資金の流れを掴む必要を感じて、赤ひげ亭のおかみさんが戻ってきた翌日から、早速調査を開始した。ロンドンからひきつれてきたメイド三人と従僕二人、更には探偵ポール・ラッシュにも依頼して、出入り業者と執事や家政婦の記録や帳簿類を突き合わせた。
案の定、磁器や銀器、銀製のカトラリーのセットの内、あまり使われてこなかったらしいものが、幾つか無くなっていた。納入されたはずのワイン・チーズ・バターといった品物は日常的に横流しされ、穀物類や家畜の所在もあやふやだった。更には幾つかの布製品や飾り物や古いドレスなども姿を消している。あきれた事に、下級使用人たちの大半が無給状態に置かれていたことも、判明した。
「ロンドンのお邸はお暮らしぶりが派手で、お手元不如意だと伺ってました」
庭師の老人は、お若い御夫妻、つまりロバートとマギーが派手に金を使うのだと言う執事の話を真に受けていたのだ。更にはキッチンメイドもハウスメイドも半年以上完全に無給だったし、フットマンやポーター達は丸一年無給に近い状態だった。ロバートの裁可を待たず、マギーがすぐに手許金で皆の不払い分の給金に幾分かの上乗せをして渡すと、邸の内部は見違えるように清潔になり、庭の様子も一変した。
週末になってマギーが調査結果を報告すると、ロバートも驚き呆れた。
「割り当てた総額がロンドンの邸よりはるかに少ないから、横流しの金額も大した額ではないようだが……それにしたって下級使用人の給金を使いこんだり、食事をちゃんと出さなかったり、酷いな」
「執事と家政婦、両方辞めさせます?」
「有能な人材をロンドンに集中させたからなあ。辞めさせて、ロンドンにいるこの地域の出身者で優秀な人材を、立て直しのために配置しよう」
「それにしても……」
ひどい執事とひどい家政婦の二人は、共にクラム一族だ。
「どうした?」
「昨日、私がリジーと一緒に個別に面談したのですが、二人とも『このお邸の秘密を終生守るなんて、無理ですから』とか言うんですよ。『どなたかに尋ねられて、知らないふりを続けるのは難しいです』ともね。私が何なのか尋ねても『侯爵様御夫妻の事ですからねえ』と言って、感じの悪いニヤニヤ笑いをするのです。二人とも。その顔つきが良く似てまして……あの二人、従兄妹同士だそうですね。ロバートは以前、御両親が何か秘密をお持ちだと感じるって、言っていたでしょう? 勝手な噂を広められたら困るし、どうしましょう」
「マギー、そりゃあ君が軽く見られたんだ」
「そう思いますが、追い出すにしても昔の何かと関わりが有るのなら、ロバートに決めて頂くべきだと思いました」
「これまでの不正の金額と証拠を突きつけて、訴えられたくなかったら、大人しくさっさとやめろと言ってやる事にする。不届き者二人を呼んでくれ」
従僕に急ぎ不届きな執事と家政婦を呼びに行かせたところ、何と二人とも荷物をまとめて逃亡した後だった。
「どう見積もっても、二人が持ち出した分は合計でも二千ポンドにはならないだろうな。それにしてもこの邸の人員が少なすぎて、庭師が『お手元不如意』だなんて信じ込む状態にしていたのは不味かった。毎年一度はこのティンハムコートにも滞在しなくちゃいかん、ということだ」
「それにしても、秘密って……何かしら?」
「両親揃って、この邸が嫌になる様な、何かが有ったんだろう。古い話のようだから、あえて突っつかないで置こうと思うんだ。奉公先の金品を持ち逃げした者が何か言ったって、世間じゃまともに取り合わないだろうしさ」
「従兄妹二人がティンハム・コートから逃亡したとなると、土地差配人のJ・クラムはどう出るかしらね?」
「自分も不正がばれたのではないかと、思ってはいるだろうな」
「炭田の権利に関して、何か勝手な事をしているかもしれない、そんな気がするのだけど」
「有り得るな。サー・ベンジャミンの事務所に特別調査を依頼するよ」
マギーの心配通り、J・クラムは海外に逃亡しようとしていたが、結婚した娘のもとに別れの挨拶をしようとしたのが運のつきで、警察に捕まった。J・クラムは炭田の採掘権を自分が地主であるかのように偽って、ロバートとは関係ない別の炭鉱会社に売りつけていた。それが一番金額の大きい背任行為で、地代・小作料の取り込みも相当な金額になった。その後、すぐに執事も家政婦もそれぞれ捕まったのだった。
「これでめでたしめでたし……かと思ったんだが、問題はこの日記だな、半分焦げている……」
警察の押収した資料の一部が返却されたが、この古い半分焼け焦げた日記もその一つだ。家政婦が、まだメイドであった頃に暖炉で見つけて、ずっと隠し持っていたらしい。事件性が無い昔の事情については、追求しないでいてくれるという警察の配慮らしかった。ロバートが警察方面にも資金をばらまいていたのは、決して無駄ではなかった……という事らしい。
「お母さまの物よね。焼いておしまいになるつもりだったのを、家政婦が拾い上げた……という訳ね」
「内容が過激だよな」
「お父様の庶子がこの邸で生まれて、お母様は……何か『おぞましい体験』をなさった……ね」
「庶子は男らしいが、名前も何もわからんな。どこかに貰われて行ったようだが」
「ねえ、あなたの腹違いのお兄さんであるわけよね。それなら多少なりとも顔が互いに似ると思わない?」
「そりぁあ、そうだな」
「一人心当たりが有るの。音楽教師と付き合いのある当人らしいけれど、赤ひげ亭に来るお客の中で『大佐』って呼ばれる人がいるの。脚が多少不自由らしいから、たぶん間違いないと思うわ。とは言っても私は顔を見ていない訳だけど、リジーがね、変な事を言ったのよ。『伯爵様に、ちょっと似ていらっしゃるように思うんですよ。イイ男は誰でも、ちょっとは互いに似るのかもしれませんね』ってね。その時は親戚にあたる人かもしれないって、言う事で話は終わったのだけど……」
「クラムの奴の恋敵だったら、本当にちゃんとした人望厚い牧師さんだった人の息子で、れっきとした大佐殿だ。牧師さんも奥さんも亡くなった。つまり当時の事情を知る人はいない訳だし、貴族では無いにせよ、紳士ではあるわけで……いきなり、あなたって実は貰われた子ですか? とか、庶子ですか? って聞くわけに行かないだろう? たとえそうであるにせよ、大佐殿本人がまるで事情を知らない可能性も有る。あの音楽教師とのことは、どうやらその御夫人が幾人かのならず者に絡まれて困っていたのを、ステッキ一本で見事に撃退したのが切っ掛けで親しくなったようだ。と言うか、音楽教師が押し掛けて世話を焼くようになったみたいだ。二人とも結婚の経験が有るけど、互いに連れ合いを失くしているらしい。別に結婚しようがどうしようが、互いの勝手なわけだ。ポール・ラッシュの調べたところに寄れば、二人は幸せな恋人同士で、近く結婚するつもりらしい。そこへノコノコ出かけて行って『あなたもしかして僕の兄にあたる方ですか?』なんて聞けないだろう?」
「そうねえ。先ずは……お父様に伺った方が良いんじゃない?」
「父に? 今でもこのティンハム・コートを嫌う程、嫌な思い出らしいのに?」
「でも、その……当事者でいらっしゃるもの」
マギーの言うことは、理屈としてはもっともなのだ。だが、こんな風に荒れ果てるまで両親揃ってこのティンハム・コートによりつかなかった事情と言うのが、きっと嫌な、それも非常に不愉快な事情なのだろうから、知りたくないと言う気がする。
老朽化した水回りの工事や、厩の修理、その他もろもろはマギーに任せて、月曜日になるとロバートはロンドンに戻った。そして、父侯爵と二人で、昼食を共にして話を聞くことにした。
「……私の娘を産んだメイドはお産の時に命を落とした。その娘は、無事に育って、とある準男爵の夫人になったよ。子供も五人生まれた」
「娘……なんですか? じゃあ、母さまの日記に有った『息子』は?」
「オフィーリアがクライブを産んだ翌年に産んだ男の子だ。父親は……王族だ」
亡き兄クライブと自分との間に、母が息子を産んだなどと言う話はロバートには初耳であった。
「お、王族ですか?」
「ああ。オフィーリアが望んだ事では無かった。相手は王族とは言ってもな、とんでもない色狂いだったし。私は……実子として養う覚悟は決めたのだが、オフィーリアが養子に出すと決めたのだ。その子に罪は無いが、やはり養子に出して正解だった。その後私たち夫婦は和解して、お前が生まれたのだからな」
忌まわしい事の一切は、ティンハム・コートで起こり、夫婦の和解はロンドンのレイストン・ハウスでなされたのだと、父侯爵は昼食の際のワインのせいか、かなりあけすけに語った。
可能な限り早く新たな土地差配人を任命して、ミドルベリー村に赴任させねばいけないが、適任者がおいそれとは見つからない。やはり総差配を任せているサー・ベンジャミンに相談するのが手っ取り早いと思われた。すぐれた人材であっても雇い主と馬が合わない場合は、早めに解雇されたりする場合も有る。
ロバート自身が出かけてサー・ベンジャミンに直接面談して依頼したため、耳寄りな情報が得られた。他の貴族の所領で実績を上げた人物の心あたりが有ると言う。白髪の人の良さそうな老人は、ますます商売繁盛のようで、非常に忙しそうであった。息子のジェフェリーがアフトン公爵の婿になった事も、あるいは影響しているのかもしれない。ロバートと話すわずかな時間に、色々な案件について決裁を仰ぎに来る者が引きも切らない。
「雇い主である方の農家の女性達に対する犯罪的な行為を批判したら、クビになったらしいです。今どきの領主に初夜権など有りませんのに」
「どこの誰です? そんなすっとぼけた貴族は」
「各方面から圧力をかけて、犯罪行為は止めさせるようにしましたが……そのお名前の方は御容赦を。まあ、その内お分かりになるでしょうが」
「それにしても、サー・ベンジャミンの所は、色々な貴族と深くかかわっておられるのですね」
「それは否定致しません。ですが、おたく様とアフトン公爵家は我が事務所における特別に大切な顧客でいらっしゃいます。ですから、ここまで突っ込んだ事情を申し上げるのでして」
どこかの馬鹿貴族の話は、内密にしてほしいと言う事のようだ。
「その有望な土地差配人の候補は、どんな人物ですか?」
「古い家柄の貴族の庶子でして、正妻腹の弟である方のために、領地の収益性を大いにあげたと言う実績が有ります。裕福な相続人である御婦人と結婚したので、稼がなくても食べていけるのですが、やはりそれを良しとしないのでしょう。新農法研究会のメンバーでして、私も色々教えて貰っています」
「サー・ベンジャミンが裕福とおっしゃるからには、大層な資産家なのですな、その御夫人は」
「豊かでいらっしゃるばかりか、自分より身分が低い夫を尊敬し、細やかに気遣い、大切にしておいでです。私が彼の立場なら、美しい邸宅でのんびり致しますがなあ」
「御冗談を。あなただってジェフェリーに事務所を譲られて、のんびりなさることもお出来になるのに、こうして働いておいでじゃないですか」
「まだ、せがれは未熟でして。仕事熱心ですし、勘も悪くは無いですが、何分経験不足で、提示された条件の裏を読む事が十分出来んのです」
「なるほど。ではジェフェリーは修行中で、将来有望ということですな」
「だとよろしいのですが……ああ、参りました。彼です」
サー・ベンジャミンは傍らの弟子に、その人物を呼んでこさせた。仕立てのよい濃紺のフロックコートとウェストコート、真っ白いシャツに真っ白いタイ、ピカピカの黒い靴という隙のない身なりはビジネスにふさわしいが、波うつ金色の髪に緑の眼、整った鼻梁に秀でた額、大した美形だ。土地差配人より俳優か……おとぎ話の王子様とでも言った方が似つかわしく見える甘い顔立ちだ。だが、話を始めると大きく印象が変わった。あまり感情をあらわにしないように気を付けているのだろうが、何かの拍子に煌めく感情のかけらのようなものが、独特の生き生きとした雰囲気に繋がる。どこかの大金持ちの美女に深く愛されている幸せな男らしいが、確かに女にもてるだろうと思わせる風貌だ。だが、万事抜け目のないサー・ベンジャミンが彼の能力を高く評価しているのは、互いの話しぶりからして明らかではあるので、この男に依頼するしかないようだとロバートは思った。そう思うと、素直に依頼の言葉が口から出てくる。
「ミスター・ジョージ・ラモント、キーネス侯爵家のイングランド北東部の領地の立て直しに力を貸して頂きたいのです」
ロバートは、自然と手を差し出して握手を求めた。