マギーの事情・5
マギーは仕上がったドレス類の最終確認を終えて、母であるレディ・バーバラの部屋で一緒にお茶を飲んでいた。確かに弟のアダムが持ち帰った中国の極上の茶は薫りが素晴らしい。それにしても同じ重さの銀と同じ価格と言うのは、どこがどう普通の茶とは違うのだろう? 弟が香港に戻る前に聞いてみなければ、などとマギーは思っていた。
「アダムが砂糖もミルクも入れてはいけないって言うのは、わかる気もするけれど、このお茶の香りと味わいの微妙さを感じてくれない人なら『砂糖をけちられた』なんていわれかねないわ」
使用人たちに出すお茶は、砂糖を好きなだけ入れさせるようにした方が喜ばれる。砂糖が最近までかなり贅沢な食品であったと言う事情もあるからだが……
「そんな鈍い人には、出してはいけないと思うわ、こんな上等のお茶は」
「それはそうと、結婚の準備の方はどう? 両家の使用人一同が参加するパーティーは、こちらでやろうと言うことになったの。ほらレイストン・ハウスだとうるさくて、御病気のお母様に良くないでしょう?」
「確かに、どんちゃん騒ぎになるでしょうからね」
「それはそうと、ウォーラム・アベイ滞在の準備は出来た?」
「荷造りを多少した程度。地の果てに行くんじゃないし、そんなに色々必要なのかしら」
「花嫁さんなのに、何て言い草かしら」
「ミリーと妹のリジーが詰めてくれちゃったから、それでいいかな」
「ああ。ミリーとリジーが詰めたの……それなら大丈夫ね」
昨日もミリーとリジーが大量のレースや絹で出来た下着類をせっせとパッキングしていた。マギーには今までレディーズ・メイドもいなかったので、何でもミリーがやって来た。だが、さすがに名門貴族の奥方がそれでは不体裁でもあるし不便でもあると言うので、急遽頼み込んで、ミリーの妹で一流のドレスメーカーで務めていた経験のあるリジーに入ってもらったのだ。リジーは警官と結婚して息子が生まれ、その息子も無事に警官になった今は楽隠居を決め込んでも良い身の上だったのだが、殉職した亡き夫の実家の雑貨店を切り盛りして、忙しく働いてきた。元は小さな店であったのを繁盛する店に育て上げたのはリジーの才覚だ。今回奉公するにあたって、店は共に働いてきた亡夫の弟夫妻に任せる事にしたようだ。
そんな訳で、リジーは気が利き、世の中の動きにも服飾関係の流行にも敏感だ。
「姉さん自慢の『お嬢様』のお輿入れなんですものね。せいぜい気を入れて務めさせていただきます」
そう言うだけあって、ミリーと二人三脚で初日から大いに働いている。
リジーによれば「姉さんは料理は上手いけどお針は苦手、私はその逆です」との事で、姉妹で互いに弱点を補い合ってやってくれそうだ。姉妹が仲睦まじいのはマギーも心強いのだが……この老姉妹は一緒になると賑やかすぎるのが玉に傷だ。だが無駄なおしゃべりと言う訳でもないので、文句も言えない。
リジーはミリーが暇な時には、これまでも時折マギーの邸に遊びに来ていた。そしてマギーの衣服に関していろいろ助言したり、時には実際に針を持って直したりもしてくれていた馴染みの仲でもあった。今回の結婚に際しては幾つかの「魅力的な」「ちょっとしたおもてなしの場で着ていてもおかしく無い」「コルセットの要らない」部屋着の類を幾つも誂えたのはリジーの提案に従った。特にロバートと過ごす休暇の時は、そうした服装の方が良いと言うのだが、その理由がマギーとしては少々恥ずかしいのであった。
「絶対、こういうものがこれから貴族の奥方様方の間で流行るはずです」とリジーは言う。
制作したドレスメーカーの主もリジーの提案に大いに賛成していたから、そうなるのかも知れない。
「この白い東洋の花の刺繍が入った絹地を使った、十五世紀ごろの貴婦人みたいな袖のこれ、いいわあ。お茶を飲む手も優雅に見せるでしょうね……それに……これこれ、このオレンジの大きく袖を膨らませたのも若々しくて良いわ。この小さな白いレースの花が沢山飾られているのもしゃれているわね」
母はこの体裁の良い部屋着類を非常に気に入ったようで、緑色の東洋の絹織物を使って一点、さらに薄紫のホニトン・レースをたっぷり飾った一点を仕立てる事になったようだ。だが、マギーはこうしたトルソーと呼ばれる嫁入り支度も、ひたすら面倒で鬱陶しいと感じるので、母の言葉に対する受け答えも、熱のこもらないものになる。
「こんなにお金をかけなくても、結婚できそうだけど」
「出来るでしょうよ。でも、親の立場ってものも有るんだから。伯爵が下さった宝飾品が何ともまあ、立派だったわね。あんなに見事な南洋真珠のネックレスは私も見たことが無いわ。ダイヤがびっしりのチョーカーも今風で素敵だし。ルビーとサファイアで花をデザインしたイアリングとネックレスのセットも綺麗ね」
「良く覚えているわね、そんなの」
「マギー! そういう立派な御仕度をして頂いたのだから、実家としては見合う支度をさせなくちゃいけないという事なのよ、わかる?」
ロバートの髪の毛を一房だけ切っておさめた金のロケットペンダントはマギーも確かに嬉しかったのだったが、正直な話、マギーは余り宝石にも興味が無いので、適当に返事をした。そして宝石の話を切り上げてマギーが、自分とロバートが留守の間のバージルの生活についての話を始めると、レディ・バーバラは微かにではあるが眉をひそめた。
「マギー、あなたがそのバージルって子の心配を親身になってするのは良い事よ。でもね、あなた結婚するんだから、一番大事に考えるべきなのは旦那様になる方よ、わかる?」
「分かっているつもりよ」
「どうもその辺があやふやというか、バランスが変に感じるのは私だけかしら?」
「バージルの学問に関する事なら、多少は手助けが出来るって思うのだけど……ロバートに何をして差し上げたら良いのか分からないの。身の回りの世話は召使いがやるでしょ、ビジネスの事は分からないし……」
「旦那様を立てて、お任せするって……マギーの『主義』には反するのよね、きっと。夫に大切にされる事イコール夫に縛られる事でも無いと思うのよ。その夫である男性の人柄なり、力量なりによってずいぶん事情は変わると思うの。ともかく、子供、跡継ぎが必要だわ。マギーの言う『互いの人格を尊重した夫婦平等な関係』って理想だけど、一足飛びには無理ね。伝統的な枠組みの中で貴族の妻に求められている責務を果たした上でなければ、家庭内での力を握る事は難しいでしょう。ま、私はうんと気楽な相手と結婚したから、跡取りを産めと言うプレッシャーは無かったのだけどね」
「子供ねえ……」
「変に意識しすぎると、ダメなのよ、そういう事は……あなたセルビー伯爵が好きなんでしょう?」
「そうなんだと思うけど」
「何その? 頼りない答えは」
「だって初めてなんですもの。男性に抱きしめられたいとか、他の女の人と話をしたら嫌だとか思ったの」
「あー、そう思うの。なら大丈夫かしら」
「子供を作る具体的な方法も……心配と言えば心配」
「あなた御得意の解剖学の本やら医学書やら、色々読みすぎちゃって、考えすぎなんじゃない?」
「ああいう本は、男性の見地からでしか書かれていないから参考にならないの。女の人が関わるのは……お産に関する事が殆どだし。子供が妊娠中は子宮の中で羊水の中に浮かんでいるのは知っているけど、その……人類の場合も他の哺乳類と同じやり方だとは思うけど、具体的にどの様な手順で受精を誘発して『着床』するかなんて、どこにも書いていないの」
それを聞いたレディ・バーバラは爆笑した。
「マギー! まあ、マギーったら、『受精』ですって? 『着床』? 初めて聞くけど、子供のもとが納まるべき場所に納まることかしら? 『受精』なんて、みーんな深く考えずに本能に基づいて『行っている』から!」
「そういうものなの?」
「だって……だってそうでしょうよ。まず最初に何分見つめ合ってから、キスして、それから服を脱がせてなんて、手順を考えてやれるわけないわよ。特に経験の浅い内は恥ずかしいでしょうし」
「それも、そうね」
「ともかく……マギーの旦那様になる方は子供を作る方法は知っているし、んー、結婚証明書に署名が済んだら邸の皆はドンチャン騒ぎで、あなたは旦那様とさっさとウォーラム・アベイに引っ込むんでしょう? せいぜい頑張って受精でも着床でもさせればいいわ」
あからさまにそう指摘されて、マギーは赤面した。すると、レディ・バーバラはまた笑った。
「マギーが『ちょっと変てこな所が、また可愛い』ってセルビー伯爵がおっしゃったのは、こういう所かしらね。それにしてもオールマックスみたいな社交場に出て旦那様探しをしなくても良かったんだから、あなたツイているわ」
母だって、そんな所で父と出会ったわけでもないだろうにとマギーは思った。
「社交シーズンになったらエセルがお婿さんを探すのに協力してね。一度ぐらいはオールマックスで旦那様共々、踊ってほしいものだわ」
「オールマックスって、出入りするのにやたらもったいつけて、仕切り役が名門貴族の方々だけど、やってることはダンスとカード賭博って場所よね。そんな所で、まともな人が見つかるの?」
「お金目当てのひどい人もいるけど、まともな人も付き合いで顔を出すわよ」
「お母様は行った事がお有り?」
「物凄く昔だけどね。お父様と最初に出会ったのは、オールマックスではないけれど、行ったから縁がつながったって事も有ってね」
「仲立ちなさる方とか、共通のお友達と知り合ったって事?」
「んー、ちょっと違うわね、ま、いずれ話してあげるわ。オールマックスも確かにかつてほどの権威も人気も無いわ。これから社交界デビューを目指すお嬢様がいる貴族のお宅では、お前のお祖父様がなさったようなパーティーを催す家が増えそうね」
1765年にウィリアム・オールマックという人物が開いた正式には「オールマックス・アッセンブリー・ルームズ」と呼ばれるその場所は、1835年ころまではロンドンで最も権威ある社交場と認められていた。地位、富、才能、美貌、流行、スタイル、エレガンス、マナーなどなど、全ての面で超一流の人物が集う場所とされた。あくまでもされただけで、マギーはそんなにすぐれた人物が群れを成すほど存在するわけがないと思っているので、せいぜい玉石混交、その実はずれの方が多いということではないかと疑っている。
だが、その場所に出入りするには、鬱陶しい決まりごとが有る。七人の貴婦人が運営する委員会が認定した人物か、後は実に曖昧なのだが「しかるべき人物によって紹介された者」に限るのだ。
「しかるべき人物って、どんな人なのかしらね」
マギーは胡散臭いと思っているので、つい顔も顰めてしまう。
「七人の女性たちが配慮する必要を認める人物って事でしょうよ。大金を持っているとか、王族だとか、芸術とかモードの分野で皆に認められているとか」
「つまりご都合主義って事ね」
「それを言ったら、おしまいよー」
レデイー・バーバラはきついマギーの言葉に苦笑気味だ。
「ワーテルローの英雄ウェリントン公爵の入場を断ったって、さぞ立派な見識ある事みたいに言うけど、単に軍功で公爵にまでなった方が気に入らなかった人がいただけなんじゃないの?」
幼いころ、その話を聞いてマギーは子供心にも「オールマックスなんて馬鹿馬鹿しい所に行くものか」と思った物だった。祖国の英雄に対してあまりに無礼だと腹が立ったのだ。
入場資格の保持者であっても服装規定に違反すると、公爵でも入場拒否されると言うので、その事件以来オールマックスの名は高まったらしい。だが、有資格者の男性はすべてブリーチズと呼ぶ半ズボンに白のクラヴァットを着けることを義務付けるその服装規定は、今となっては時代遅れだろう。
「白いブリーチズは流行遅れよね。ワルツを踊るのに制限が有るのも、どうかと思うわ。マギーもそう思うでしょ?」
「ええ。ワルツだって楽しく踊れば良いと思うわ」
ワルツが「あまりに男女の位置が近すぎる」ので好ましくないダンスだとかなんとか、変な規定だとマギーも思う。七人のうるさ方の貴婦人たちに気に入るか入らないかだけが基準なのだ。確かにスコティッシュ・ダンスなんかに比べたら、特定の男女の組み合わせで踊る状態が長いし、恭しいメヌエットより接触の度合いも大きいとは思うが、今流行のウィンナーワルツを踊れないのでは詰まらないと感じる若者は多いだろう。
「でも、ロバートの白のブリーチズ姿は、一度見ておきたいかも」
肖像画で見るウェリントン公爵よりきっとハンサムだとマギーは密かに思っている。
「そうでしょう? そう思ったらあなたからもお話しておいてね」
だが、そんな社交の場に出て行くより、のんびり家で食事を作る事から楽しみたいと思うマギーは、上流社会の女としては変わり者なのだろう。
「あなた手がまた少し荒れているから、保湿クリームをつけて、手袋をしなさいよ」
注意するのは母親の義務だとレディー・バーバラは思っているようだった。
「この前の夜会ではちゃんとしていたでしょう?」
「でも、伯爵夫人の手が荒れているのは……まずいと思うわよ。野菜なんかしばらく触るのやめなさい」
「でもねえ……ロバートのお母様のスープのレシピは書き上げて、キッチンメイド達にも練習はさせたんだけど、ちょっとした野菜の扱いで、不満な所が有るのよね。仕事がいい加減だと味も悪くなるし。おとといはメイド達だけで作らせたら、お母様、スープを残してしまわれたの。美味しく無いっておっしゃって……ミリーなら丁寧にやってくれそうなんだけど」
「わかったわ。あなたが戻って来るまで、ミリーが厳しく仕込んだうちのキッチンメイド二人を応援にやるわ。それならミリーもやりやすいし」
「その間、こちらの御食事はどうするの?」
「お父様が懇意の街の料理人達に応援を頼むわ。みんなお父様の弟子みたいなもんだし。お呼びになればあの人たちは、喜んで店を休んで邸に泊まり込んでくれるでしょうよ。お父様が気前よく美味しいお酒を飲ませてあげるし。邸の中がしばらく、下町のパブみたいになっちゃうかもしれないけれど、美味しいものは食べられるから、いいの。久しぶりにアイリッシュシチューとか、シェーパーズパイとか下町風の美味しいのが食べられるかしら」
祖父の人脈は広いと思っていたが、パブや食堂の主達にも広がっていたようだ。
田舎での休暇の最中は、やっぱり自分でロバートと食べる食事を作りたい……母の手前黙っていたが、マギーは密かにそう決めたのだった。