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マギーの事情・4

 プロポーズに対してマギーが返事をした翌朝、ロバートはレイストン・ハウスのすべての使用人をホールに集めさせた。そこでマギーと「準備ができ次第」結婚する事、マギーはアフトン公爵の孫で有る事、バージルがカナダで生まれた息子である事を発表すると、どよめきが上がった。


「新たに奥方様となられる方を、どうお呼びしましょう」

 当然と言えば当然すぎる疑問に、ロバートはこう答えた。

「今まで皆、ホワイト夫人と呼んできたようだが……そうだな、単に『マ-ム』と呼んでおけばよかろう。ここ数日でセルビー伯爵夫人になるわけだし」


 マームという言葉は侯爵・伯爵の夫人への敬った呼びかけとして使われる場合も有る。その意味でも適切ではあるのだった。

 バージルはミスター・メルダと呼ぶ事に決まったようだ。だが、幾つかのヒソヒソとささやかれた「混血」という言葉が、明らかに好意的ではないのはマギーにもはっきり感じられた。ともかくもロバートの「家族」として敬意を払うようにハーグリーブス夫人からも申し渡したのだが……

 その後はロバートも片付ける事が色々有るようだし、キッチンの取り仕切り役の手配がつくまではマギー自身がこの邸の皆の食事に関する管理は行うのだ。いや、結局は結婚してからもする事にはなるのだろうが。


「でも……肉の解体やら野菜の切り分けなんて、やっぱりレディのなさる事じゃ無いですから」


 最初はそんな風に年かさのキッチンメイド達には言われてしまったが、この邸の人間全体の食生活に関する責任と権限は自分が握っているのだとマギーが言うと「教えて頂いたように、手抜きせず頑張ります」とも言ってくれたのだった。


「使用人の皆にも出す昼の食事はこの牛すね肉と野菜のシチューにしましょう。全員にバターとロールパンとジンジャービアが行きわたるようにしてね。後はリンゴを食べたい人全員が食べられるように、出しておいてあげて。上級職の人にはビスケットとお茶が行きわたるようにして。侯爵様にはこちらのテリーヌとサラダをお付けして、後はシェリーに合うチーズも忘れずにね」

「ミスター・メルダには?」

「侯爵様と同じテリーヌとサラダに、ココアとビスケットをつけて。私もバージルと一緒に食べます」

「マーム御自身は、ココアを?」

「お茶で良いわ」


 シチューのベースの作り方を少し手直しして、テリーヌを仕上げたらバージルの居る部屋に上がった。バージルの部屋はかつて次男であったロバートが使っていた子供部屋だ。そこに書庫から鍵付きの戸棚に収められた羊皮紙の古書以外なら、どれでも持ち出して読むことをロバートが認めた。マギーはバージルが興味を示した地球儀と世界地図、子供向けの図鑑類を持ちこんだ。


「ギリシャ語とラテン語、やった事がないよ」


 バージルは英語の読み書きは予想外に、きちんとできた。文章を書きとらせても綴りの間違いは、殆ど無い。計算は早い。分数と小数も概ね理解できており、図形の面積の求め方もちゃんとできる。


「へええ、ちゃんとできるのね。体積は……まだ、習ったことがないのね」

「うん。日曜学校だと聖書の話とかばっかりで、図形の勉強なんて出来ないんだ。アメリカの大学を出て自分の親が始めた商売の手伝いを始めた男の人がいてさ、俺、その人の店の仕事を手伝って、代わりに色々教えて貰ったんだ。商売始めるまで、学校の先生だったそうで、教え方もうまかったんだ、その人」


 何となくだが「測量技師なんか良いかも知れない」とバージルは思うらしい。


「だって俺、庶子ってやつだから貴族にはなれないんだろうしさ……父ちゃんが学問させてくれるなら、大学ぐらいは行って、鉄道とか船とかの仕事をしてみるのもいいかな、なんて思う。商売ででっかく儲けるのも無論素敵だけどさ」


 だが、その大学が問題なのだった。男で国教会の信者で貴族でなければ、めったに入れないオックスフォードやケンブリッジに、はっきり混血児だと見ただけでわかるバージルが入学した場合、どの様な扱いを受けるか、考えただけでマギーは憂鬱になった。

 混血児の場合、白人的な特徴が強く出る者も居るのだが、バージルは大地主だった母方の祖母の血筋を強く受け継いだようだ。


「そうね。大学に行くつもりならラテン語とギリシャ語は必要ね。どういう訳か出来ないと大学に入学できないのよ」


 貴族以外にも広く門戸を開いているロンドン大学の校風が、バージルには好ましいかも知れないが、それにしたって入学できなくては話にならないのだ。家庭教師は人柄が良くて、熱心で高い学力の持ち主が好ましいが、そんな人物がどこにいるのか、マギーには見当もつかない。弟たちにも相談した方が良いかも知れない。


「マギーさんが教えてくれるの?」

「先生が決まるまでは、私が教える事になるかな」

「外でちょっと遊んでもいい? 家の中ばっかりだと、気がふさぐんだ」

「そうねえ、馬は?」

「俺、馬好きだよ」

「じゃあ、厩に行ってみましょうか」

 

 ロンドンには姿形が美しく、性格が穏やかで市街地を走っても大丈夫な馬ばかり六頭置いているらしい。


「六頭は馬車用ですが内二頭は乗用にも使えます。乗用専用は旦那様が偶にお乗りになるこれ一頭きりですな。御領地の牧場には馬が沢山居りますが、ロンドンで大事な御用に使うには、まだ訓練が足らないものや、年が行き過ぎた物も居ります」


 厩務員達はボブを知っており、名人として尊敬しているようだった。


「ボブじいさんが自慢していた『うちのお嬢様』とおっしゃっていた方が、このお邸の奥方様になられるなんて、何だかうれしいですねえ」


 ボブはマギーをベタ褒めしているようだ。


「まあ、じゃあ、ボブにお礼を言わなくちゃいけないわね」


 勉強に飽きたら、馬小屋で馬の話をするぐらい、バージルの好きにして構わないと言う事にしておく。馬達の方もバージルを気に入ったようだ。だが、まだ、外出はさせられないと言うと、ため息をつきながらも「人さらいも多いしな、わかった」と言って承知はしてくれたようだった。


「イングランドかスコットランドかはっきりしないけど、兄ちゃんが居るはずなんで、連絡取れないかなって思うんだけどさ……おふくろさんたら、何の手がかりも残してくれてなかったし、カナダの兄ちゃん達も連絡の着けようがないって言ってはいたんだ。まあ、半分あきらめているよ」


 ルイーズ・メルダの息子たちが少なくとも二人は国内にいる可能性が高いようだ。だが、手掛かりがないのでは、確かに探しようがない。その息子たちのそれぞれの父親の名前なり出身地なり、何か伝わっていれば良かったのだが……二匹のマスチフが、鼻を鳴らしてバージルに擦り寄る。この犬たちはすぐにバージルになじんだ。バージルも犬を相手にすると、気がまぎれる部分も有るだろう。


「こいつらこんな顔してるくせに、可愛いな」

「人間の方も、こううまく仲良く出来ると良いんだけどねえ」

「マギーさんとは上手くいっているけど、父ちゃんはダメみたいだな……俺が息子なんて、嫌なんだろう」

「戸惑っているんだと思うわ。生まれたのも知らなかったから」

「俺が混血なのが……良くないんだな、でもさ、俺にはどうにもできやしないよ」


 その通りだとマギーは思い、胸が痛んだ。


「混血だって、立派な人はいるわよ。皆、その事を知らないだけなんだと思うの」

 

 一緒に昼食を取り、マナーについて、音を立てない事と姿勢をよくすることが基本だとまず教えた。だが、あまり口うるさく言うつもりはない。


「貴族の社会ってね、理不尽な腹の立つ事が一杯あると思うわ。でも、それと戦うためにも……紳士らしいマナーと学問は必要だと思うの。少なくとも有効な武器になるわよ」


 それにしても笑い方も似ているし、ふとした仕草も、手の形もロバートに似ているのに……肌の色と鼻の形が純粋なイギリス貴族には見え難いのが、やはりハンディになりそうだとマギーは残念に感じた。肌の色が人としての本質的な価値に影響が有るなどと思っていないが、この国で有色人種はやはり「格下」と見なされるのも事実なのだ。この国だけではない。ヨーロッパ中のすべての国と、アメリカやカナダの都会でも、更には恐らくオーストラリアや南アフリカでも……なんて理不尽なのだろうか。マギーは暗澹たる気持ちになった。

 それでもできる限りの事はしよう。そう決心した。

 マギー自身が子を産めば、紛れもなくこのバージルの弟か妹なのだから……兄弟仲は良い方が良いに決まっている。そして自分の産む子供たちには、人種差別はさせないように育てなくては……そこまで考えて、余りに気が早かったかと、一人で赤くなった。


「マギーさん?」

「え?」

「俺、午後は勉強しておけば良いのかな?」

「ええ、そうしなさいよ。あの自習用のテキストが役に立つと良いのだけど」

「ギリシア語とラテン語をやっつけないと、大学、入れないんだよな。俺、動物の勉強がしたいなあ……」

「ロンドン大学で立派な動物学の講座が受けられるようよ。頑張りなさい。そうねえ、パブリックスクールに入るより、家で家庭教師を呼ぶ方が良いと思うの」

「うん。貴族の学校じゃあ、俺は仲間外れになるかもしれないもんな」

「……バージル」

「見るからに貴族って人じゃないと、仲間外れになって大変だって聞いた事が有る。女の人も絶対受け入れないんだろ?」

「ええ、そうね。残念だけど……」

「じゃあ、俺、ロンドン大学目指すわ。牧師さんに聞いたことが有るんだ。貴族じゃない人間が学問するには良い所だって」

「私の父はパン屋の息子でロンドン大学で学んだのよ。そして作家になって、公爵の娘と結婚したの」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、俺も頑張らないとな」


 そんな会話を交わした後、マギーはアフトン公爵家に母であるレディー・バーバラを訪ねた。


「ええ? それでプロポーズをお受けしたの? この前私が聞いた時は『結婚すべきだなんて思えない』とか何とか言っていたくせに、マギーは何時だって、いきなりなんだから……確かにマギーの好きにして良いとお祖父様はおっしゃったでしょうよ。でもねえ、考えてみて頂戴。母親としては娘を嫁に出すのに支度ナシって訳に行かないのよ。わかる? マギーの主義として、それが下らないと思っているにしたって、世の人の視線やら注目やら、嫌でも集める立場に立たされるのよ、あなたも。あの方の奥様になると言う事は、そういう側面も有るんですからね。それにお祖父様がケチクサイ事をなさったかのように噂されては、やはり困るわ」


 そして更に「イングランドの領地もスコットランドの領地も御隣同士で、このセイフライド・ハウスとレイストン・ハウスは道一本を挟んで隣り合わせなのよ。きちんとしてくれないと、ちょっと気まずい事が有るだけでも両方の家の使用人一人一人にまで大きな迷惑がかかるのよ、わかる?」と言われてしまった。


「ですからこうして真っ先にお母様に御報告に参りましたけど」

「もう午後じゃない。御祖父様のところに、朝一番にセルビー伯爵のお手紙が届いたのよ。『マギーは何て言っている?』ってお祖父様に尋ねられた時、何の事か最初わからなくて困っちゃったわ」


 それから嫁入り支度のためのドレスの採寸をする必要が有るから、夜にマギーの邸にドレスメーカーを連れて行くと言う事と、寝具やリネン類はサラ、つまりキーネス侯爵家の家政婦ハーグリーブス夫人だが、そのサラと相談して適当に決めてしまうと言う事を言い渡された。


「何しろ、日数が無さ過ぎるわ。お祖父様が賛成なんだから、特別結婚許可書だって、すぐ届いちゃうでしょうし。マギーに相談したって『飾りなんて無い方が衛生的に洗いやすい』とか『そんなにたくさん要らない』とか言うのがオチでしょうから、あなたはこれから義理のお母様になられる侯爵夫人が滋養に富んだ御食事を召し上がるように気を配っていればいいわ。あー、そうそう、マギーの言っていたそのバージルって子、どうするの?」

「今日は私と一緒に朝食と昼食も取りました」

「それは良い事だと思うわ……混血に偏見を持たない教師が必要ね。賢い子なら尚の事ね」


 母にもバージルの良い教師になってくれそうな人物を探してほしいと、マギーは依頼した。


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