2-9
あれから、僕の家での未耶からの扱いは酷いものだった。毎日あった帰宅のお出迎えはないし、ご飯は自分で用意しろと言わんばかりに食材だけ冷蔵庫にあるし、一緒に寝てくれないし、話してくれないし、チャットを送っても無視されるし。未耶に触れられさえできなくて。僕は内側からやつれてしかたがなかった。ああ、未耶に甘えたい。よしよししてもらいたい。
そんなだから。僕は暇で暇で。それも含めて未耶からの反省しろというメッセージだろうけれど。
……夜凪さんに謝らないと。
ただ、今更なにを。僕はスマホ片手に迷うばかりで。彼女に言うことが見当たらなくて。いや、それはある。あるに決まっているけれど。きっかけが欲しい。僕はそういうところが相変わらず弱くて。
という具合だから。僕は放課後の文芸部の部室で頭を悩ませていた。
「律、鬱陶しいくらいに無気力だね」
セナが机の下で、足で僕にちょっかいをかけてくる。
「……気にしないでくれ」
僕は果たして反省できているのだろうか。今こうしてセナといることが、もう駄目なんじゃないだろうか。僕の問題は、夜凪さんを裏切ったことで、セナにも彼氏役をやめると伝えられなくて。
いや、わかっているのだけども。どうしてかセナを目の前にすると僕の鼓動は忙しなくて。言葉がでなくなってしまうから。僕は今停滞していた。現状維持だ。
「無理を言うね。気になってしまうよ」
セナは参考書を閉じて伸びをする。それから僕に顔を向けてくるのだ。僕が話さなければやめないだろう。
「……いや、ちょっと。未耶と」
「え。未耶ちゃんと? 珍しいね。というか、信じられない」
どう言ったものだろうか。セナが原因の一端を担ってしまっているし。
「……僕が悪いんだ。その。……夜凪さんのことで」
僕は軽く、様子見でそう口にする。
「へえ」
セナは。一見何も変わっていないけれど。少しぴりついている気がして。僕は口を噤んだ。
「律は。未耶ちゃんとの時間が足りないのかい?」
彼女は緩やかに椅子を立つと僕の隣に移る。そして僕の頭にそっと手を置いて、頬に滑らせる。
「私がいるじゃない」
「いや。セナで変わりになるとでも?」
僕は失笑してしまった。
「は? ……は? はあ? ねえ律。私は気を利かせて、君を慰めてあげようとしたのはわかるよね?」
彼女ががっちりと僕の頭を掴んで離さない。なんて力強さだろうか。
「ごめんって」
「そんなんだから未耶ちゃんにも愛想尽かされるんだよ」
「おっしゃる通りで」
「全く」
彼女は呆れかえっていつつも、僕の頭を離してくれる。
でもまあ。僕は不思議だった。何がって。今こうして、足を組んで座っている彼女との距離感が。僕は彼女をそもそも友人としか見ていなかった。今もそのつもりだけれど。なのに。僕は彼女に多くを許して、許されている気がする。
そういえば。僕は未耶に説き伏せられてはっとしたのだ。現状に、僕の夜凪さんを遠ざけてしまう間違いに。
とすると。やはりとても違和感だった。僕の存在、言動、思考。彼女に都合が良過ぎないだろうか。僕は何を血迷っていたのだろうか。
「なあセナ」
僕は首元のネックレスに手を伸ばしながら、試してみた。
「セナは。そうだな。僕のこと嫌いなのか?」
夜凪さんが離れていって、未耶も失望させて。僕を。迷子にさせたいのだろうか。陥れたいのだろうか。
唐突にそんなことを口走ってしまったものだから。彼女は目を見開く。
「どうしたのさ律」
「聞いてみたくなって」
「どうして」
「未耶に言われてさ、夜凪さんに不義理だって。僕もそう思ったよ。……セナは……」
わかってやっていたのだろうか。だとしたら――。
僕が意を決して尋ねようとしたとき。彼女は顔色を変えて僕に迫ってきていた。顔が触れそうな距離で彼女は吐息を漏らす。
「君は私が醜い女だって言いたいのかい?」
「そう、じゃなくて……」
僕は言葉に詰まる。そう面と向かって言うには、僕の胸中は揺らいで、憚られてしまうから。
彼女はスカートに収まっていたシャツを外に出すと、僕の手を取る。その手をゆっくりと。自分のお腹に這わせた。艶があって、しっとりと柔く、温かい。へその窪みは僕を誘う。
彼女は吐息を荒くするまま僕の手を奥へと持っていく。スカートの中へと招いていく。中の下着の境目が手に触れた。
「ねえ律。触れたい?」
「……」
僕は息を呑んで、
「そっか、触れたいんだね」
彼女は身をよじる。更に手は進んでいく。徐々にその、彼女の熱に迫っていく。
「律はさ。未耶ちゃんが全てだから。少しは他人に、私にも傾いたほうがいいよ。未耶ちゃんに言われたから私のこと疑うんでしょ? でも。それが全てじゃない。わかるよね?」
「……僕は。ただ。夜凪さんに謝りたくて」
「謝るって。何を? 律は悪いことした?」
「したさ」
「いいやしてない」
彼女は僕を遮って。その勢いのまま僕に触れさせた。僕の指は確かに彼女の形を覚えようとしていて。
「いいかい? 君はただ私に優しさをほんの少し分け与えただけ。それは悪いことかい? 君は間違いを犯したのかい? 違うよね?」
僕は彼女の言葉で頭が満たされていく。なんだか、それ以外頭に巡らなくなっていく。彼女のしっとりとした香りが深く僕を刺激する。
「律はいい子だよ。だから、未耶ちゃんは君に求め過ぎただけで。夜凪さんは君に期待をし過ぎただけで。それは重たくないかい? 手放したくないかい? 律は在るままでいいんだよ。それに、私との時間も悪くなかったでしょ?」
彼女はそう、僕の手をそこに触れさせるだけに飽き足らず、強く押しつけさせる。彼女の持っている温かさがこれでもかと伝わってきて、僕の意識はそちらに向いてしまうばかりで。
「ほら律。言ってごらん? 正直に」
僕は言われてそんな気がしてくる。彼女は僕をよく理解していた。夜凪さんも未耶も、僕を過大評価しているだけだと。というか正直。確かに、そういう人との繋がりは重たいと。特に僕みたいな弱い人間には。
微かに。僕は口が開いていた。
「……セナ。僕は。柵が嫌いだ……」
「よく言えました」
彼女は僕とおでこを付き合わせる。
「私は君の好きにさせてあげるから、さ」
「でも、それじゃあ……」
「慌てないで、時間だって必要だよ。未耶ちゃんだってその内落ち着くはずだし、夜凪さんだっていつまでもこのままじゃないはずだから。だから今はいいんだよ。必ずしも律がなんとかしなくちゃいけないわけじゃない」
「そう、かな」
「そうだよ。大丈夫。私はずっと側にいるから。お世話だってしてあげるし、不安はこうして取り除く。……なんなら、そういう。色々だってしてあげてもいい。いくら触れたっていい。ね、魅力的、でしょ?」
彼女は触れそうな口で僕に語りかける。なんだか、それなら悪くないと。そう言う彼女を受け止めたくなってきていて。
僕の中は。藍那セナでいっぱいになっていった。夜凪さんが薄れて、あれこれ悩まなくていいと。彼女に満たされていればいいと。
そう、望んでいた。




