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「おはよう」
そんな澄んだ声で、僕は目を覚ました。
重い瞼を開けると一人の少女が僕の顔を覗き込んでいる。蒼い瞳。腰まで靡く長い髪はさらりと、銀に染まっていて。物珍しさというか、その美しさにというか。涼し気で。僕はものの数秒で目が覚めていた。
「おはよう、ございます」
同級生、二年だろうか。とても華奢で、でもシルエットでわかる、引き締まった身体。年上には見えないけれど。年下にしてはなんだかその表情が太々しくて。それでも、僕はなんとなく敬語になっていた。
というか、顔近い……。そして目力が強い。
ただ、少女はそんなこと気にせず言う。
「あのさ、ここ。いつもいるの?」
「ああ、うん。そうだね。大体昼休みはここにいる、かも」
ここ。昼休み、校舎別棟裏の階段。日陰で、誰もいなくて。うたた寝してしまうくらいには大変居心地がいい場所ではある。
少女は何か納得すると姿勢を更に前かがみにする。
「私もここにいていいかな」
少女からの申し出。それは別にいいのだけれど。体勢が体勢だけに、その、ネクタイもしてないシャツから覗く胸元が無防備だった。それに女性にあるものがほとんどないから、見えそう。というか見えてる。
「とりあえず座ったらどう?」
僕は困惑しつつも、自分の隣を空けて少女に譲る。
少女はスカートの折り目なんて気にせず座ると僕の食べ損ねた昼食のパンを勝手に手に取る。
「食べていい?」
「……どうぞ」
僕の昼食なのに。ただ断るには彼女の圧が強くて。
少女は袋を開けて無表情でパンを食べ進める。
誰もいないはずの校舎裏で、可憐な少女と二人きり。僕はとてもとても気まずかった。話題はないものかとあれこれ思案しても、初対面極まれり。僕のコミュニケーション力も相まって。案の定だんまりの時間が続いた。
「君は」
少女が突然口を開く。
「一人がいい?」
「えっと。そうだな。こんなところにいるくらいだし、それは否定しない。でも、だからって君を疎ましく思ってはいないから。だから」
僕は少女の口元を横目でちらと見る。
「もっとゆっくり食べるといいよ」
僕が口元についたものを指差すと少女は手で拭う。何とも豪快に。
僕はそれから少女が食べ終わるのを待った。
暫くして、少女は袋を空にすると、僕のペットボトルを無造作に手に取って飲み干す。
「それ、僕のなんだけど」
「え? くれるって言うから」
「……そうだね、言ったね」
遠慮を知らない子だな。
「私、これからもここにいていいかな」
少女はまた唐突にそう言い出す。
「それは構わないよ。別にここ、僕の場所ってわけでもないし」
「それもそっか」
少女はそれきり口を開かない。僕も話すことがなく。持っていた文庫本を開いて読書に耽る。
少女は黙って僕に目をやっていた。
……気になるな。
「あのさ。そんなに見つめられると。あの、そう。勘違いしてしまいそうになる」
「は?」
とても、拒絶の含んだ言い方だった。
「……え? 僕が悪い?」
「うん。君が悪い。新手の口説き文句かと思った」
「どちらかと言えば君が僕を誘っているほうだと思うんだけど」
「そう。そう見えちゃうか」
逆にどう見えるのだろうか。少女は唸って不思議そうにしていた。
「私はただその本が、私を無視するほど面白いのかなって」
「無視って。まあ話すことがないのは確かだけど」
「おかしいよ」
「おかしいのは君だよ」
「まさか。だって私こんなに可愛いんだよ? 男の子なら何としてでも私を楽しませようとしなさい」
「あのさあ……」
「あ、でも私そういうのはいいから。君が一人で勝手に勘違いしてて。そして一人で完結して。執着を押しつけないで」
嫌なタイプの女の子だった。鼻持ちならない。自信過剰。上から目線。僕はもうこの場を去ってしまおうかと。ただ、それじゃあ負けた気がする。
「あのね? 会話っていうのは互いにしようという意思があるから成立するんだよ。君にその意思がある? ないでしょ?」
「はあ」
「話聞いてる?」
「君、説教臭くてつまんない」
「ああそう」
僕は面倒だから読書を再開した。
「だから無視しないでよ」
少女は諦めの悪いことで、「ねえ聞いてる?」と、僕を空のペットボトルで小突いてくるけれど。僕が反応を示さなかったら。
「うわ、性格悪」
こんな台詞を吐く始末だ。
「……それ君が言う?」
「だって」
「あのね? 僕は静かだったからここにいたの」
「私が煩いとでも言いたいの」
「うん」
「ちょっとは私に興味示そうよ。美少女だよ? ほら。ほら!」
そう馬鹿みたいにアピールしてくる。僕は無視を決め込んだ。少女は僕に熱い視線を送り続けるが、次第にその熱は冷めていく。
「なにさ。つまんないの。君友達いないでしょ」
「いやいるけど」
「……ありえない」
そう戦慄されても。僕には確かに一人だけ、友人がいる。
「私は一人なの」
聞こえるか聞こえないか、そんな声で少女はぼやく。
「そう、それはいいね」
少女は目を見開いた。
「そこはさ」
「僕にそういうの求めないでくれ。君が一人で僕を勘違いして。一人で完結して。ありがちな常識を押しつけないで」
「まさかの意趣返し……?」
「嫌いかい?」
「そうでもない」
それから少女は退屈そうに空を眺めて、小さく左右に揺れていた。それくらいならまあ、鬱陶しいこともなく。
取るに足らない男子高校生と、自称美少女。まあ確かに美少女ではあるけれど。そんな二人で会話もなく隣に並んで。
何とも奇妙な光景だと思ったけれど。特段居心地が悪いということもなく。僕はその名前も知らない少女を受け入れていて。
そんな、真夏の前。七月初めの天気のいい日のことだった。




