再界[4]
沢はやがて大きな川へと合流した。木々の隙間から視界が開け、その先に小さな集落が見えた瞬間、拓真は胸の奥で張り詰めていたものがわずかに緩むのを感じた。
川沿いに寄り添うように建つ茅葺きの家々。煙を細く立ち昇らせる囲炉裏の煙。畑を囲う粗末な柵。
そこには、教科書や時代劇でしか見たことのない「昔の日本」が、そのまま存在していた。
「日本にも……まだこんな村あったんですか……?」
日菜は呆然と呟く。
「信じられない……」
その声はかすかに震えていた。
先ほど目にした惨殺体の衝撃が、まだ彼女の心を強く締め付けているのだろう。ようやく人里へ辿り着いたというのに、その瞳には安堵よりも恐怖の色が濃かった。
それも当然だった。
村には電線一本通っていない。道は剥き出しの土で、アスファルトもコンクリートもない。行き交う人々は着物姿で、聞こえてくるのは牛や鶏の鳴き声ばかり。
まるで時代劇の撮影所に迷い込んだような光景。
だが、ここにはカメラも照明も存在しない。吹き抜ける風の冷たさも、土の匂いも、すべてが生々しい現実だった。
「一息ついたら、全部説明するよ」
拓真は静かに言った。
「怖い目に遭わせてごめん」
本来なら謝るべきことではない。
だが、胸の奥には重い罪悪感が沈んでいた。
自分と関わったせいで、日菜はこんな異常な世界へ巻き込まれた。もし自分が存在しなければ、もし彼女と出会っていなければ──そんな考えが、頭から離れない。
「すいません、少し助けてもらえませんか?」
三人は村の中でも一際大きな家の前へ向かった。土壁も門も比較的しっかりしている。おそらく村長の家だろう。
戸口から顔を出した中年女は、拓真たちを見るなり露骨に怪訝そうな顔をした。
見慣れない格好の男女に、血の付いた子ども。警戒するのも当然だ。
「入りな」
ぶっきらぼうな声だったが、拒絶ではなかった。
中へ入ると、囲炉裏を囲んで男が一人と若者が二人座っていた。薪の爆ぜる音と、粥の匂いが鼻をくすぐる。冷え切った身体に、その熱気がじわりと染みた。
「突然すいません」
拓真は真理を下ろし、深く頭を下げる。
「そこの沢でこの子を見つけました。両親らしき二人は……残念ながら亡くなっていて……。申し訳ありませんが、村の人を迎えにやってもらえませんか」
囲炉裏の向こうに座る家長らしき男は、しばらく無言で拓真たちを眺めていた。値踏みするような、鋭い視線だった。
「アンタは何者だい?」
低い声が飛ぶ。
「その子の連れか?」
「いえ。ただの通りすがりです」
そう答えながらも、拓真は自分の言葉の薄っぺらさを感じていた。
この時代にとって素性の知れない旅人ほど警戒すべき存在はない。
「ついでと言っては何ですが……何か食べる物をいただけませんか」
「今、食わせてやれるのは粥くらいだ。それでいいか?」
「十分です。お礼はしますので」
「礼?」
男は眉をひそめた。
「見たところ、アンタら無一文に見えるが。物乞いにしちゃあ肉付きはいいな……どこから来た?」
当然の疑念だった。
突如として現れた異物。しかも妙な言葉遣いに、不自然な身なり。
この世界では、警戒されて当然だ。
「えっと……」
拓真は一瞬言葉に詰まる。
財布も身分証もない。現代人としての肩書きは、この時代では何の意味も持たない。
ならば──。
使えるものは、一つしかなかった。
拓真は深く息を吸い、覚悟を決める。
「私は、工藤内匠頭と申します」
その場の空気がわずかに変わった。
「お手数をおかけしますが、紙と筆を貸していただければ書状を書きます。それを──」
ふと、日菜へ目を向ける。
彼女は完全に話についていけず、ただ目をぱちぱちと瞬かせていた。
「近江佐和山におられる宰相様の御家老、垣屋勘兵衛様へ届けていただければ、銭のことも含め、良きように取り計らってくださるはずです」
その言葉を聞いた瞬間、家人たちの顔色が変わった。
若者の一人など、慌てたように外へ飛び出していく。
(勘兵衛さんには悪いけど……ここは頼るしかない)
拓真は胸中で呟く。
この時代で自分が頼れる相手など限られている。勘兵衛なら多少無茶な頼みでも聞いてくれるはずだ。
いずれにせよ、この状態で近江まで向かうなど完全に不可能。まずは連絡を取り、迎えを待つしかない。
「そうですか、それは失礼しました」
家長は急に愛想の良い顔になった。
「随分お疲れのようだ。ささ、どうぞ。汚い家ですが、ゆっくりしていってください」
先ほどまで仏頂面だった妻も、慌てて水や手拭いを運んでくる。
現金なものだ、と拓真は苦笑しそうになった。だが同時に、それほどまでに「石田」の名が重いのだと実感する。
「その子の親御さんのことは村の者へ伝えました。じきに運んで、丁寧に弔ってやります」
「ありがとうございます」
拓真は深く頭を下げた。
「この子、村の子じゃないんですか?」
「いや、この辺じゃ見たことがないですね」
家長は真理をちらりと見る。
「たぶん行商人の子でしょう。あの沢を登った先にも小さな村がありますからな。物売りの途中だったんじゃないですかね」
それなら辻褄は合う。
賊は荷を狙った。行商人を殺し、金になる物を奪って去ったのだろう。
この時代では珍しくもない話だった。
だからこそ、余計に胸が重くなる。
まりはそんな現実も知らぬまま、両親の帰りを待っているのだ。
「そうですか……可哀想に……」
やがて粥が運ばれてきた。
米粒もまばらな薄い粥。それでも温かかった。冷え切った身体に熱が染み渡り、ようやく人心地つく。
真理は安心したのか、筵の上で小さな寝息を立て始めていた。涙で汚れた頬が、囲炉裏の火に赤く照らされている。
「あの……工藤先生……」
日菜が小声で囁いた。
「ん? 垣屋さん、大丈夫?」
「私は大丈夫ですけど……」
日菜は困惑した顔のまま、拓真を見る。
「ちゃんと説明してもらえますか?」
無理もなかった。
惨殺体。時代劇のような村。工藤内匠頭と垣屋勘兵衛。そして拓真が、まるでこの時代の武士のように振る舞っている。
情報量が多すぎて、頭が追いついていないのだ。
「そうだね……」
拓真は静かに頷いた。
「最初から、ちゃんと説明するよ」
そう言いかけた、その瞬間だった。
家の戸が勢いよく開いた。
冷たい風と共に、小柄な影が飛び込んでくる。
「タクミサマ!! タクミサマだぁー!!」
「うわっ!?」
次の瞬間、勢いよく抱きつかれ、拓真は目を見開いた。
「お、お賀津!? おまえお賀津なのか!?」
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