(23)悪い知らせ
アンデッドゴブリンの襲撃よりも少し前。ギルド同盟議会の建物内に設けられた一室でレインは執務に当たっていた。やがて一段落すると軽く息を吐いて背もたれに体を預ける。と、そこで誰かが扉をノックする。
「レインさん。クルミさんが来られました」
扉の向こうから秘書のアンナの声が聞こえる。
「ありがとう、入ってくれ」
レインがそう声をかけると、扉が開かれて小柄なつり目の女性が現れる。彼女は「失礼します」と一礼すると執務室に一歩足を踏み込んだ。ギルド議会を立ち上げる前からレインの秘書をやっているが、本当によく出来た秘書だとレインは思っていた。
「…………サボってましたか?」
本当によく出来た秘書である。
「一息ついていただけだよ……。それより、クルミちゃんが来てるんだろう?」
「はい。クルミさん、どうぞお入り下さい」
アンナの後ろから「失礼します」とクルミが現れる。入れ替わりでアンナは礼をして執務室を出て行く。
「悪いね、わざわざ呼び出して。取りあえずそこに掛けてくれ」
そう言ってレインは部屋の中央に置かれた二人掛けの椅子を示す。それから机の引き出しを開けて書類を取り出すとクルミの向かい側に座った。そこで初めてレインはクルミの表情に気がついた。明らかに不満げである。理由はすぐに分かった。
「横助くんはいないのかい?」
「横助さんは南門で門番をしています…………お一人で」
「なるほど……」
レインは頷く。大方さっさと用事を済ませて横助の元へ向かいたいのだろう。
(人当たりのいい彼女が人に対してここまで不満をあらわにするとは、よっぽど横助くんの事が好きらしい)
これは早く用を済ませた方がいいと思い、レインは早速書類を机に出した。
「実はこの間出して貰った書類なんだけど、不備が見つかってね」
レインがそう言うとクルミはわずかに眉をひそめる。
「またですか……」
ルルリエ家は中央広場での露店がメインだが、一応西都の商業ギルドに登録しているためこうして書類を提出することが多々ある。そしてその書類は主にクルミの父、アルモンドが書いている。
「これは一度、お話をしなければいけませんね。お母様も交えて……」
「ほ、ほどほどにね……」
クルミから立ち上る覇気のようなものにレインは思わず身震いする。
「それで、用というのはこれで終りでしょうか?」
どこかそわそわとした様子でクルミは尋ねる。
「ああ。悪いね、わざわざ来てもらって」
「いえ……。では私は行くところがありますので、そろそろ……」
そう言って立ち上がりかけたその時、執務室の扉が勢いよく開かれた。
「レイン殿!!!」
商人風の男が勢いよく入ってくる。本来ならばノックをしろと怒るところだが、その男鬼気迫る表情から相当な緊急事態だということが分かったので、レインはスッと顔を引き締めた。
「何があった?」
「み、南門にゴブリンの大群が押し寄せ、門番の少年が一人で応戦中です!」
息をのむレイン。だがすぐに気を取り直すと、今にも部屋を飛び出そうとしていたクルミの腕を掴んだ。
「離して下さい!横助さんが!!!」
「待つんだクルミちゃん!気持ちは分かるが、取りあえず詳しい話を聞いてからの方がいい」
「でも……!」
「大丈夫、彼はそう簡単に負けはしないよ。それに、それだけの騒ぎなら戦士ギルドももう動いているはずだ」
「…………分かりました」
クルミが落ち着いたのを見て、レインは男に目配せをした。
「は、はい!私は商売のために護衛の傭兵二人と南都からこの街に向かって歩いていたんです。そしたら突然後ろから降って湧いたかのようにゴブリンの群れが……」
男の言葉にレインはピクリと眉を動かす。
「突然……ということはつまり、その辺りにはゴブリンなんてどこにもいなかった、ということだね?」
「は、はい……」
「それは普通のゴブリンだったかい?何か、見た目の違いとかはなかった?」
レインが尋ねると、男は少し考えて、思い出したように言った。
「そういえば、普通よりもちょっとくすんだ色をしてたような……」
(ほぼ確定、だな……)
クルミも気がついたようで、不安そうな目でレインを見ている。レインはクルミに向かって頷いくと、再び男に尋ねた。
「数はどれくらいいた?」
「おそらく百体以上はいたかと……」
「百か……そこそこ多いな……」
無論、普通のゴブリンの百体とアンデッドゴブリンの百体は違う。だがそれくらいの数なら戦士ギルドの戦力を集めれば十分撃破可能だ。
「分かった。じゃあ戦士ギルドに至急連絡を取って、情報の共有を…………」
レインがそう言いかけたとき、廊下の奥から激しい足音が聞こえてきた。やって来たのは腰に剣を携えた戦士ギルドの戦士だった。その表情を見て、レインは胸騒ぎを覚えた。そして戦士は息を整え、告げた。
「西門、東門、北門にゴブリンの群れが現れましたっ!!!」
ドクン、とレインの心臓が跳ねる。戦士は続けて言った。
「現在、戦士ギルドと狩猟ギルドがそれぞれ対処に当たっています!!!」
その瞬間、レインの頭を大量の思考が駆け巡る。三年前の王都襲撃事件、二週間前に起きたアンデッドゴブリンの一件、消えたシルバーウルフ。しかしレインはそこではたと気付く。
「ちょっと待ってくれ。今、戦士ギルドと狩猟ギルドが対処に当たっていると言ったね?」
「は、はい……」
戦士は怯えながら言う。それは聞いて商人の男ははっとした表情を浮かべた。
「なら南門にいる横助くんは今…………」
レインが言い終わらないうちにクルミが部屋を飛び出した。
「クルミちゃん!?」
レインはその後を追いかけるが、クルミの背中はあっという間に廊下の奥に消えていく。
「くそ……一体何が起きてるんだ!…………いや、ダメだ。こういう時こそ冷静にならないと」
焦る気持ちを何とかなだめ、レインは執務室へと戻る。
「とにかく市民に被害が出ないように、これが最優先だ。そして西、東、北の戦闘員はその場を制圧した後、速やかに南門へ向かって欲しい」
レインは戦士ギルドの戦士に指示を伝えると、執務室の窓に手を掛けた。その背中に商人の男が呟く。
「レイン殿……」
「彼を……信じるしかない」
戦士の報告を聞きいた瞬間、クルミはレインの執務室を飛び出していた。一度はレインに止められたが、もう考えている暇はなかった。横助が今この瞬間もたった一人で戦っていると知って、冷静でいられるわけがなかった。
「横助さん……!横助さん……!」
クルミは西都の街を駆け抜ける。一刻も早く、その思いだけでクルミは足を動かしていた。しかしそんなクルミの行く手を、魔物の襲撃によって混乱した市民が阻む。牛乳売りのおかげでクルミの脚力は同年代の男子と比べてもそこそこのものだったが、人混みが邪魔をして思うように進めない。それでもクルミは走り続けた。
『大丈夫、彼はそう簡単に負けはしないよ────』
ふとレインの言葉が頭をよぎる。
(違うんです、そういうことじゃないんです…………)
確かに横助は強い。だが、同時に無理をするというか、自分の身を顧みないところが横助にはあった。クルミは何よりもそこが心配だった。報告では百体以上のアンデッドゴブリンが南門に押し寄せているらしいが、さすがの横助もその数を一人で相手にすればただでは済まない。だが、横助ならやる。クルミはそう確信していた。
人混みを縫って走る。人にぶつかり、転びそうになり、それでも走り続ける。そんなクルミの姿を見て、人は言うかも知れない。なぜそんなに必死になっているのか、と。しかしクルミからすればそれは不思議なことでも何でもないのだ。横助と過ごす中で気付いた、体の中から溢れ出す温かな力、それが全ての答えになることをクルミは知っていた。




