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魔術師の婚約者  作者: 鬼頭鬼灯
終章
41/41

初心な恋煩いと重すぎる愛

 青晶は洗い場で茶を入れていた。導諭が縁側でのんびりと書物を読んでいる。試験の時もそうだったが、導諭はいつ何時も笑顔で動じない人だ。勘違いをして青晶が試験に落ちたと言った時も首を傾げるだけで反応はそれ以上なかった。

 ──でも、私にいつの間にか婚約者がいました。なんて言ったらさすがに驚くのかしら。

 何気なく思った言葉を焦って自分で否定する。

 ──何を言っているの!婚約といったって、むこうが勝手に赤ちゃんの頃から契約をしただけで、私は何も知らなかったのだから。

 お茶を入れる手元が震えた。なにかを思い出したように顔を上げる。

 ……でも赤ちゃんの頃から私を守るという契約を果たしていたのなら、私のほうが勝手だということになるわ。

「……どうしよう。」

 とうとう声が漏れた。導諭が顔を上げる。穏やかな表情で口元を緩めた。

「大丈夫だよ、青晶。きっともうすぐ鳥がやってくる。」

 青晶は肩を跳ね上げる。そうだった。まだ結果は届いていないというのに、家に帰ってから尋のことしか考えていない。むしろ家路をたどっている間中だ。

 青晶は肩を落としため息を吐いた。顔色もあまり良くない。

「……先生、少し外に出てもいい?」

「ん?……うん。気分転換にいいだろう。鳥はお前の元にやって来るから、きちんと鳥が持っている手紙を受け取りなさい。」

 青晶は茶を導諭の脇に置くと、小さく頷いて外へ向かった。背中を見送りながら導諭が息を吐く。

「やれやれ……。まるで恋わずらいだのう。」

 導諭の呟きは青晶に届かなかった。

 夏の音が耳にうるさい。一日中校舎と家屋の影になる回廊は涼しい風を通した。髪の毛が風にさらわれる。夏の空が頭上に広がっていた。

 青晶はそのまま校舎を通り抜け外へ出る。強い日差しが校舎に反射して強烈な暑さだ。

 青晶は目元に手をかざし、愚痴をこぼした。

「どうして校舎を白にするのかしら。まぶしくって堪らないわ。」

 だが校舎が使用されるのは夏と冬を除いた穏やかな気候の時期だけだ。学生に影響は全くない。

 そんな文句を言うのは神学で生活している人間だけだ。青晶は仕方ないかと肩を落として門をくぐる。山道は村まで一本で繋がっていた。青晶は村へは行かず、裾野へ向かう。村の西側に離れた場所に小川と草花が溢れている裾野があるのだ。そこは青晶のお気に入りの場所だった。

 村から少し離れているため人気がなく、後ろ指を指される心配もない場所だ。昔はここでよく泣いていたと、青晶は笑う。

「綺麗……。」

 夏は青い小さな花が咲き乱れ、合間に黄色と白の花がちらほらと見えた。青晶は小さな小川に足をつける。ひんやりした水が少し混沌としている頭を休ませてくれた。

「尋は……何を考えているのかわからないから、私は困っちゃうのよね。」

「そうなのかい?」

 青晶は飛び上がる。尋がいつの間にか背後に立っていた。

「な、なにを……しているの?」

 何をいっているのか分からない。それを尋ねたいのは尋のほうだろう。一人で小川に足を入れて何をしているのか。

 尋は真上から青晶を見下ろした。

「俺?……そうだなあ、俺は君と約束をしたから。」

「約束?」

 青晶の頬が紅潮した。声が蘇る。──またすぐに会える。

 尋は妖艶に微笑んだ。

「約束したろう?また会うと。何度でも。俺が永遠に君を守ると。」

 青晶は耳を押さえた。これ以上聞いていると恥ずかしすぎて卒倒しそうだ。現に青晶の顔はこれ以上ないほどに紅潮している。額まで赤いと尋が笑った。

 自分だけ翻弄されているのが悔しい。青晶は眉を吊り上げそっぽを向く。

「守ってなんて言っていないわ。それは私を生んだ親が勝手にした契約でしょう?どうして律儀に守るのよ。」

 尋は肩を竦めた。少し悲しそうな笑顔だ。

「君が俺を嫌っても、俺は君を守り続けるよ。それが魔術師の契約というものだ。」

 青晶は眉を落とす。なぜそんな契約を結んだのだろう。一生尋を縛り付けるだけなのに。

「……どうして、赤ちゃんとそんな契約をしてしまったの?私が術師になれば、寿命だってただの人とは途方もなく違ってきてしまう。これからずっと、あなたは私に縛り付けられるのよ?」

「……そうだね。」

 尋は青晶の頬を撫でる。青晶の体が竦む。瞼を閉じた青晶には、尋の表情が見えなかった。

「でも君の瞳は子供の頃から、とても美しかったよ……。」

「え?」

 瞼を開けると、尋は口の端を上げて青晶の顔を凝視している。

「そう……俺は君の瞳が欲しいと思った。抉ったりして取ったものじゃない。生まれた時からその色を与えられた人間が、どれだけ美しく育つか見てみたかった。」

 そうは言うが、凝視する尋の目は今にも青晶の目を奪ってしまうのではないかと思わせるほど、欲望に満ちていた。青晶の背筋があわ立った。鋭利な爪が目じりに触れる。青晶は肩を跳ねさせた。

「……青晶はいつもそうだね。──俺が怖い?」

 また同じ質問だ。青晶は胸元で両手を握りしめる。心臓が飛び出しそうだ。薄く瞼を開けて下のほうに視線を落とした。

「……何も答えてくれないの?」

 青晶は焦った。寂しそうに聞かれると余計に答えられない。指先が瞼をなぞる。そのまま耳を撫でて首筋に──。

 青晶は以前も経験した事象に対しては免疫が出来ていた。尋の指先を握る。閉じていた目をしっかりと開けて尋を見据えた。尋は楽しそうだ。

「あのね?こうやって触ってくるからいけないのよ。私と話したかったら、不用意に触ってこないで。」

 尋の表情がみるみる曇る。

「触るなと言うのかい?俺の楽しみがなくなってしまう……。」

「……。」

 何を楽しみに来ているのだ。青晶は半眼で尋を見返した。

「だって恋人でもないのに、こんなに触るのはおかしいわ。それに……。」

「恋人ではない?」

 尋は青晶の言葉を遮った。青晶は言葉に詰まる。

「だって……。」

 目を眇めて一歩近づいた。

「恋人ではないのかい?」

「……。」

 青晶は一歩下がる。どうしたらいいのか分からない。尋は赤子の頃から青晶を見ている。そんな頃から生きている人が、わずか十五の娘に本気で言い寄るとは思えなかった。

「青……。」

 尋ももう青晶とは呼ばない。自分は術師になろうとしている。青晶は首を振った。青晶には青く見える髪の毛が風になびいた。

「私はもしかしたら術師になるかもしれない。そうしたらどうするの?本当に一生守るなんて言うつもりじゃないでしょう?」

「そのつもりだ。だから所有印だって結んだ。」

 事も無げに断言する。青晶は眉根を寄せた。

「……でも、所有印はただの陣でしょう?消せるじゃない。」

 契約を破棄してしまえばいい。そうしたらもう縛られない。尋は破顔した。はは、と力ない笑い声を上げる。

「尋?」

「そんなに俺が嫌い?」

 青晶は目を見開いた。尋は一歩下がる。

「嫌いかい?陣を消して、僕との縁を切ってしまいたい?」

 そのまま消えてしまうと思った。尋はいつだって忽然と消えるのだ。青晶はぽかんとしかできなかった。このまま尋が消えたらどうだろう。もう青晶の前には現れないかもしれない。 

 どうして彼が傷つくのかすら理解できない。まるで青晶に恋しているようだ。

 青晶は眉を八の字にする。

 とりあえずは自分の気持ちを伝えておこうと思った。青晶はゆっくりと口を開く。

「……嫌いじゃないわ、尋。あなたと縁を切ってしまいたいとは思わない。私、あなたに話して欲しいことがたくさんある。」

 それは術師学校のことであったり、魔術師としての経験だったりする。尋の経験は青晶の想像を絶するもののはずだ。

 青晶は息を呑む。尋が明らかに喜んだ。にっこりと微笑んだと思ったら、次の瞬間には青晶を腕に包み込んでいる。

「尋!」

「よかった!絶望するところだったよ、青。」

 青晶は逃れようもなく尋を仰いだ。尋は額を重ねて心底嬉しそうにささやいた。

「青はまだ知らなかったのだね……。」

「……何を?」

「所有印は俺が死なない限り消えない。」

「──。」

 青晶は愕然と尋の服をつかむ。

「死ぬ……?なに?どういう意味。」

 尋はあっけらかんと笑う。

「そのままだよ。所有印というのは死すら二人を別たない契約。互いの寿命を分け合い、死ぬ時すら同時だ。そしてどちらかが不慮の事故で死ぬことになると、その瞬間もう一人も死んでしまう。」

「……な、な?」

 なんて契約を結んだのだ。しかも勝手に当人の合意もなく。青晶は混乱する頭をなんとか整理しようと話し出す。

「すると、どうなるの?この契約を破棄する時は、私とあなたが死んだ時というわけ?寿命が分けられるなんて意味が分らない。なにが……。」

「寿命が分けられるというのはね、師録に登録するだろう?その時に潜在能力と呼応して寿命が莫大に延びる。でもそれは人それぞれで百五十年寿命がある人もいれば三百年の人もいる。だからそれを足して割った年数が互いの寿命となる。」

 尋は丁寧に説明してくれた。頭が冷静さを取り戻す。所有印の仕組みはわかった。

「そうなの。……よくわかったわ。」

 青晶はにっこりと微笑んだ。そしてその頬に自分の手のひらを打ちつける。

「いっつー……。」

 尋の顔が歪もうがどうでもいい。青晶は微笑みながら言葉を連ねた。

「これくらいされても文句なんて言うはずないわよね?」

「……ごめんね?」

 尋も青晶の勘気を知って両手を広げる。青晶は目を逸らさなかった。

「……謝るくらいなら、もっと早くに契約について話すべきだったのじゃないかしら?」

 尋の額にじっとりと汗が滲みだす。

「……すみません。」

「配慮が足りないと思わない?ねえ、私を守ってくれる契約をしていたのは分かるけれど、一生……人生まで共にあろうとするあなたの心意気には感服するわ。」

「そう?」

 青晶は尋の顔から視線をそらす。ため息しか出なかった。

「青……?」

 青晶は心配そうな顔を見上げる。どんな時も美しいという形容しかできない顔が自分を見下ろしていた。

「あお……?ひててててて。」

 尋が鈍く痛みを訴える。青晶は気にせずその美しい顔の頬を両手で引っ張った。涙ぐんだ顔を見ると、もう怒る気も失せてしまった。

「もう。今後は私に何も言わず大切なことを勝手に決めたりしないでくれる?」

 両手をぱちりと離す。尋は両頬を擦りながら頷いた。

「そうします。」

「わかればいいのよ。」

 偉そうに言い返す。

「それと、その爪どうにかしたら?」

「爪?」

 尋は不思議そうに自分の爪を眺める。毒々しい赤い爪は面接の時と同じく鋭利に研ぎ澄まされていた。

「趣味が悪いわ。赤く塗るまでは本人の自由でしょうけど、そんなに研いでしまったら人に怪我をさせるじゃない。」

「……そのつもりで……。」

 青晶が睨みつけると尋は素直に頷く。

「わかりました。」

 青晶は脱力する。恐ろしい契約を結んだものだ。尋が死んでも青晶が死んでもお互いを殺すことになる。

「死が二人を別つまで……。」

 青晶は呟いてみる。教会の儀式でよく聞く言葉だった。死が二人を別つまで、共に永久にある。

 これはそんな甘い契約ではない。死すら二人を分かたない。

 尋は黙り込む青晶に首を傾げた。顔を覗き込み、とても優しく笑った。

「俺のお嫁さんになって。」

「──……。」

 青晶は言葉を失った。次第に顔が赤くなっていくのが分る。この魔術師は約束を必ず守る。だからこの言葉も嘘ではない。

 所有印も勝手につけたが、それは遠まわしな尋の言葉なのだろう。

 永遠に共に生きようと言っているのだ。

 人生最悪にして最大の出会いは赤子の頃。その時から自分の運命は決まってしまっていた。

「仕方ないなあ。」

 諦めた声を出して、青晶は尋に笑顔を向ける。

「どうしても一緒に居るの?」

「うん。」

 しかしすぐにこの男とどうこうなるというのは腰が引ける。青晶は苦肉の策として人差し指を立てた。

「じゃあ、お友達からお願いします。」

「嫌。」

 即答されてしまった。眼光が鋭い。ちょっと怖い。青晶は下唇を突き出して考える。

「えっと……じゃあ、友達以上恋人未満……。」

「ねえ、青。青。青。」

 尋は再び青晶を抱きしめた。苦しいほどに強く抱きしめられ、何故か胸が熱くなった。目に涙が浮かぶ。心臓が狂ったように鼓動を打ち、青晶は瞳を閉じた。

「お願い。俺の青になって。」

 耳元で酷く甘い声音が囁く。

「んっ。」

 背筋にぞくりと寒気が走った。尋は追い打ちをかけるように首筋に何度も柔らかく口付けを落とす。触れられた肌からじわりと熱が広がり、青晶は混乱の極みに達していた。頭がもうろうとして何も考えられない。

「青……お願い。」

 切ない囁きで瞼をあげれば、そこには熱を帯びた絶世の美貌が青晶ただ一人だけを見下ろしていた。

 青晶は訳が分からないまま、震える唇を動かした。

「は……はい。」

 か細い答えを聞いた瞬間、魔術師の美貌はにやりと笑んだ。

「俺との約束は絶対だよ。」

「──!」

 息を飲んでももう遅い。長い爪の指先が器用に顎を掴んだ。端正な顔がゆっくりと近づいてくる。

「……っ。」

 もう逃げられない。青晶が涙目で身動きすら忘れた瞬間、目に何かの影が映った。青晶は視線を空に奪われた。

「あ!鳥だわ!」

「……はー……。」

 尋が何故か脱力した。だが青晶は顔を輝かせて鳥に手を振った。あの鳥が運んでくる書簡はきっと──。

 翼を広げて舞い降りてくる。その手紙を持って行くべきは育ての親。

 尋は片手を上げる。

「行っておいで。」

 青晶は穏やかな笑みに押され、駆け出した。風を切って髪がそよぐ。

 青晶は覚えていない。導諭が拾った赤子は彼を見上げて嬉しそうに声を上げたことを。

 しかし彼女の瞳はあの頃の面影を失わず、彼の元へ駆け戻る。

「お父さん!」

 導諭は穏やかにほほ笑んだ。

「おかえり、青晶。」



以上で完結となります。

拙作をお読みいただきました皆様、大変ありがとうございました。

お一人でもお読みいただけたことを心から嬉しく思っております。


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