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01. 借りものの微笑み

 シャンデリアの光というものは、どうしてこうも人を値踏みするように輝くのだろう。


 二十一歳になったアリアナ・アークライトは、大広間の隅で微笑みを顔に貼りつけたまま、そんなことを考えていた。


 目の前を、深い青のドレスをまとった女性が通り過ぎる。歩くたびに艶やかな生地が波打ち、幾重にも重なる裾のひだを光が滑っていった。張りのある絹を惜しみなく使った、見事な仕立てだ。


 ただ、裾を飾る装飾は、もう一段少なくてもよかったのではないか。せっかくの生地が持つ美しさを、少し隠してしまっている。


 その隣で談笑する令嬢のドレスは、淡い薔薇色だった。胸元を彩る繊細なレースも美しいが、アリアナの目を引いたのは、肩から袖へ続く布の収まりである。腕を動かしても不自然な皺が寄らず、柔らかな線が崩れない。


 あの袖は、どのように裁ってあるのだろう。もう少し近くで見たいと思ったところで、令嬢と目が合った。


 アリアナは何事もなかったように微笑み、軽く会釈した。相手も笑みを返したものの、その視線はアリアナの髪飾りからドレスの裾まで素早く往復し、何かを見定めたようにわずかに細められる。


 どうやら、お互いチェックしているものが違うらしい。


 こちらは袖の仕立てが気になっただけなのだが、それを説明したところで話が弾むとも思えなかった。


 アリアナは壁の花へ戻り、窓ガラスに映る自分の姿を何気なく眺めた。


 夜の深い暗闇を背景に、窓ガラスへくっきりと浮かび上がっていたのは、アークライト・ファブリック商会が誇る新作だった。


 軽やかなチュールと極細の銀糸を織り込んだ生地は、光を浴びるたびに夜空の星屑を散らしたように可憐に煌めく。淡い菫色の層が重なり、歩くたびにふんわりと揺れるスカートは、数ミリ単位で計算された裁断によって、決して子供っぽくならない洗練されたシルエットを描き出している。


 ただ残念なのは、今日のために母が選んでくれた真珠の首飾りが、少し重く感じられることだった。

 少しでも見栄えを整えようと鎖骨の真珠に手を伸ばし、その位置を直しているところで、ガラス越しに母と目が合った。


 母はアリアナの指先を追ったあと、首飾りではなく、手袋の縫い目を確かめるように小さく目を細めた。


「また自分で直したの?」


「親指のところが余っていたから」


「お針子に頼めばいいでしょう」


「私が縫ったほうが早かったのよ」


 母は困ったように眉を下げたものの、叱ることはしなかった。代わりに、アリアナの肩に落ちていた髪を優しく耳の後ろへ整えてくれる。その温かな手つきは、十年前と何も変わっていなかった。ストーンハースト領内にある繊維工場の裏庭で、夢中になって遊ぶ幼いアリアナの髪から、そっと木の葉を取ってくれたあの日のままだ。


「あなたがこういう場所を好きではないことは知っているわ。でも今夜くらいは楽しんでちょうだい。お父様が頑張ったお祝いなのだから」


 そう言われてしまえば、頷くしかなかった。


 アークライト家が男爵位を授かってから十年。王都へ移り住んでからも、同じだけの月日が流れている。その二つの節目を祝う夜会には、大勢の貴族が集まっていた。


 父の繊維工場が生み出した布をまといながら、陰では父を成り上がりと呼ぶ人々も、今夜ばかりは笑顔で祝辞を述べている。


 どれほど熱の籠もった賛辞も、指先で叩けば軽やかな音を立てて砕けてしまいそうだ。


 そんな本音を隠すための言葉ばかりが飛び交う空間に、うんざりする気持ちで広間へ視線を向けた途端、見知らぬ夫人が親しげにアリアナの腕へ触れた。


「なんて見事な生地なのかしら。こちらも、お宅の工場で作られたもの?」


「ええ。染め方を少し変えたんです。灯りの下では――」


「娘にも一着お願いしたいわ。もちろん、王妃陛下にお納めしているものと同じ品質で」


 アリアナは言葉を止め、自分で縫い直した手袋の親指に、そっと人差し指を添えた。


 どれほど心を込めて説明しようとも、この絢爛(けんらん)な広間では誰の耳にも届かず、磨かれた床へ滑り落ちていくだけなのだろう。そう悟ったアリアナは、続きを口にせず、曖昧な微笑みを浮かべて小さく頷いた。


 夫人が満足そうに去っていくと、姉のオリビアが小さく笑った。


「自分の話を聞きたい人と、お父様の布が欲しいだけの人は、早めに見分けられるようになったほうがいいわよ」


「オリビアお姉様は、見分けられるの?」


「失敗しながら覚えようとはしたわ」


 オリビアは、わざとらしく肩をすくめた。


「でも、今は大事な人を見守るのに忙しいから、後回しになっているわね」


 姉の視線は、壁際で所在なさそうに立っている青年へ向けられる。


 そこには姉が現在夢中になっている、身分も富も持たない平民の画家、デレクがいた。


 借りものらしい礼服をまとった彼は夜会の絢爛な雰囲気に気後れしたように、落ち着かない様子で何度も袖口を気にしながら身を小さくしている。


 控えめな立ち姿ではあるが、緩やかに波打つ柔らかい栗色の髪と、絵筆を握り慣れたしなやかな長い指先。何より、怯えと好奇心が同居した大きな瞳は、社交界の擦れ切った男たちにはない、純粋な透明感を放っていた。


「見た目だけで選ぶのは、お姉様の悪い癖だわ」


 小さく呆れ声を漏らすと、オリビアは悪びれもせずにデレクを見つめる瞳を輝かせた。


「磨けば光る原石を拾うのも、私の大切なお仕事よ」


 すっかり恋する乙女の顔になった姉を眺めているうちに、アリアナの脳裏には、数日前に掲載された社交新聞の記事が蘇ってきた。


『男爵家の次女、顔だけの平民画家を囲う?――アークライト家の奇妙な道楽』


 世間はオリビアを愚かなパトロンだと書き立てていたが、デレクを見つめる姉の横顔には、少なくとも今夜、自らの選択を後悔している様子などみじんもなかった。


「お姉様、私のことはいいから、デレクさんのところへ行ってあげたら?」


「そうさせてもらうわ。お針子任せにせず、自分で手袋を直してしまうあなたくらい、私も恋には頑固だから」


 オリビアは悪戯っぽく微笑むと、グラスを片手に優雅な足取りで青年のもとへ歩き出した。自分を嘲笑う周囲の視線など意にも留めず、まっすぐデレクのもとへ向かう横顔は、この広間にいる誰よりも誇らしく見える。


 母からじゃじゃ馬と呼ばれ、いつも一家を混乱の渦へ巻き込むオリビアの背中を見送りながら、アリアナは手袋の縫い目を、もう一度指先で優しくなぞった。


 他人の品評にさらされながらも、自らの意思で手繰り寄せた縁を守ろうとしている姉。それに引き換え、自分は母が用意した重い真珠と豪華なドレスに身を包み、言いたいことさえ飲み込んでいる。


「自分の手で結んだ糸なら、簡単にはほどけないもの」


 誰に聞かせるでもなく呟き、アリアナは窓の向こうへ目を移した。


 十年前に越してきた王都に建てた屋敷の庭は、どこを見ても美しく整えられている。しかし、そこには故郷にあったような草の匂いがない。生まれ育ったストーンハーストでは、この季節になると、牧場の柵に小さな白い花が絡みついた。仲のよかった牧場の息子サイモンは、その花を摘んでは、不器用で花冠をうまく作れないアリアナに、笑いながら差し出してくれたものだ。


 いつか彼のそばへ帰ることができたなら、こんな手袋も、重い真珠も、もう必要なくなるのだろうか。


「ここにいたのか」


 心をホッとさせる声に振り返ると、父が人波を縫うようにして近づいてきた。父の胸元には立派な勲章が輝いていたが、礼服の袖口には薄い黒ずみが残っている。


「また機械を触ったでしょう」


「デモンストレーション用に展示しておいた織機が止まったんだよ。さすがに放っておけんだろう」


「だからってお父様自らが修理しなくても、私に言ってくれればよかったのに」


「機械の油でお前のドレスが汚れたら、母さんに怒られてしまう。それに父さんだってお前の着飾った姿は見たいしな」


 父は照れくさそうに、アリアナの頭を大きな手でぽんぽんと撫でた。その手のひらは分厚く、指先は職人らしく固いタコができている。王都の貴族たちがどれほど父ベンジャミンを成り上がりと嘲笑おうと、このゴツゴツとした手こそがアークライト家を支え、自分たちを守ってきたのだと、アリアナは知っていた。


「お父様の手は、世界で一番格好いいわ」


「そうか? そう言ってくれるのは、お前だけだよ」


 アリアナが笑うと、父も笑った。しかし、すぐ後ろから近づいてくる男に気づいた途端、その表情は社交場で交渉に臨む時のものへと変わった。


「ロズウェル卿」


「考え直していただけましたかな、男爵」


 男は細い銀の杖を手にしていた。アリアナへ軽く会釈したあと、周囲を気にするように父へ近づき、声を落とす。


「家庭の問題を議会へ持ち込めば、収拾がつかなくなる」


「妻の財産を夫のものとするほうが、よほど収拾がつかんと思いますがね」


「娘を嫁に出す父親らしいご意見だ」


「そのとおりです」


 父の返事は短く、取りつく島もなかった。


 ロズウェル卿が杖を鳴らしながら立ち去るのを待ってから、アリアナは父の袖をそっと引いた。


「セシリア姉様のこと?」


「お前の姉だけの話ではないよ」


 父はそれ以上を語らず、アリアナの手のひらへ小さな菓子を一粒載せた。子供の頃、工場へ遊びに行くたびにもらった、砂糖をまぶしたアーモンドだった。


「腹が減ると、余計に退屈するぞ」


 人混みへ戻っていく父を見送りながら、アリアナは菓子を口に入れた。


 舌の上でゆっくりと転がしたアーモンドは、幼い頃と少しも変わらない味がした。昔と同じであることが、今夜はなぜか少しだけ悲しかった。

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