輝く闇
地下十八階は、これまでのフロアとは全く異なっていた。
男の目前には、黒々とした何かが広がっている。それは言うなれば、黒い湖のようだ。
その湖にポツリと浮かぶ小島のような場所に、ギルスは立っている。
彼は小さく嘆息しつつ、周囲を見まわした。
「あそこに一人いる」
そう呟いた後、百メートルは離れているであろう大岩まで跳躍した。向かった先には、絶望したようにしゃがみ混んでいるエイリーンがいる。
「どうしよー……ん? きゃあああ!?」
突如として降って来た男に、彼女は盛大に驚いてしまう。
「助けに来た。他の奴らはどうした」
「え、あ、ああー。ギルスさん! その、溺れちゃったの。この下に」
どうやら他のメンバー達は、この黒い液体の下に沈んでしまったらしい。
「潜ろうとしてもダメなんだよね……だってこれ」
「ああ。これ全部が魔物だからな」
まさか知っているとは思っていなかったのか、エイリーンは驚いた顔で彼を見上げた。
無理もないことだろう。このフロア全体を埋め尽くしているのが、実は黒いスライムだと伝えても、信じる者はほぼいない。
「やはりこいつらだったか」
「知ってるの?」
「ああ。ブラックスライムと言って、放置しておくと無限に成長する魔物だ。こいつに喰われて亡くなってしまう人を、向こうでは何人も目にした」
飽食の単細胞生物。しかしながら、その増殖力と吸収力はありとあらゆる生物を凌駕しており、飲まれた存在はあっという間に養分に変えられてしまう。
この魔物が村一つを飲み込んだことさえあった。ギルスの嫌な予感は的中しており、まんまとタダオ達は飲まれてしまったのだ。
よく見れば、黒い海のようなそれは歪な動きを繰り返しており、獲物を捉えようといくつもの触手が生えては消えてを繰り返している。
視聴者達はブラックスライムの規格外な大きさに戸惑い、そして恐れていた。
:めちゃくちゃ気持ち悪いなこれ
:ってか、こんなにデカくなったら無理よね
:もう立派な餌になっちゃったかもな、タダオ
:自業自得とはいえ、これは切ない終わりだわ
:タダオ……
:黒道ちゃん、けっこう好きだったんだけどな
:さっきちらっと見えた骸骨って、タダオ?
:泣ける
:ってか、ギルスとエイリーンも逃げよ
:誰も悪くないって
:もうここで終了で良くない
:このダンジョン、この階層から先は進めないな
:なんでこんなに成長したんだ?
:ひいい! キモい!
:触手がウネウネしまくってるやん
:こわー
:探索者総出で焼かないとダメかこれ
:放置するわけにもいかないかも
:ドギツイわガチで
:タダオの冥福でも祈るか
エイリーンもまた、どうしようもない現実に絶望していた。
「魔法でなんとかしようと思ったんだけどー……ちょっと無理でぇ。もうみんな死んじゃったかも……」
「あいつらは三人だったな。まだ生きている」
「え?」
しかしギルスから見れば、まだ望みがあるようだ。
「あいつらの魔力を、微かにだが感じる。これから助けに行ってくる」
「へ? ちょ、ちょーっと待って! 助けるって? どうする気?」
「見ていれば分かる。それより、これを頼む」
彼はそう言い、浮かんでいたドローンを手渡した。そして小声で、「配信を切ってくれ」と頼んだのである。
「え、え? 切るの?」
ギルスは人差し指を口元に寄せ、静かにしてほしいという意思を示した。
これからやることは目立つ。
流石に見せると疑惑を持たれかねないと判断した彼は、ここで事故が起こり、配信を停止せざるを得なかったという流れを演出するつもりだった。
「時間がない。頼んだ」
「ちょ、ちょっと待ってー!」
エイリーンが慌てて叫んだが、ギルスはすでに黒い海に飛びこんでしまった。
(ど、どうしよー! 私、配信の切り方とかまだ知らないんだけど!?)
エイリーンは見たところ、いかにも仕事ができそうな雰囲気がある。だが実は、配信については他のメンバーに行ってもらっていて、まだ自分で操作したことがない。
(え、えーと。多分このボタン……かなぁ。あ!)
彼女がまごついている間に、黒いゼリーの塊が大きくうねった。すると中から、二人の男女を抱えたギルスが飛び出してきた。
「ええー!? ちょ、もう見つけたの?」
「ああ。次はタダオだ」
そう告げると、涼しい顔でまたも凶悪な黒い海へと飛ぶ。エイリーンが渡された二人を地面に寝かせた時、外から黒い触手が伸びてきて捕まれそうになった。
「きゃあ!?」
どうやらブラックスライムは、侵入者の存在を察知して、捕食しようと躍起になっているようだ。
しかし、無数の生物がより集まった集合体であるこのスライムには、明確な意識というものはない。あるのは本能のみ。
黒道と百木からは、下水を酷くしたような臭いがする。服はヘドロのようなもので汚れ、お世辞にも清潔とはいえぬ状態になっていた。
その後、しばらくしてもう一度黒い海が弾け、ギルスが岩場に戻ってきた。今度はタダオを手にしている。
意識を失っているタダオのズボンは溶けかかっており、半分お尻が見えている非常に恥ずかしい格好となっていた。
「配信していなくて良かった。このような姿を晒してしまっては……」
「あ、それなんだけどー。まだ映してるんだよねー」
「ん?」
想定外の返しであり、すぐにでも配信を止める必要があっただろう。
だがこの時、すでに猛り狂っていたブラックスライムの全身から、夥しい触手が飛び交い、ギルスの足を掴んでいた。
そして彼を、もう一度体内に取り込もうと強く引っ張っていく。
「ぎ、ギルスさん!」
これにはエイリーンも叫び、どうにかしようと迫ったが遅かった。ブラックスライムの触手に、彼は無抵抗な状態で飲まれていったのだ。
しかし、引き込まれる瞬間に彼はこう呟いた。「大丈夫だ」と。
ドローンはこの時、驚いたエイリーンが手を離したことで、また撮影モードに移行していた。上空へと浮かび、ブラックスライムの全体を捉えている。
これ以上ないほど巨大化に成功した魔物は、徐々にフロアを移動しようとしたが、その大きすぎる体はダンジョン全てを埋めており、ただ蠢くしかできなかった。
しかしながら、その動き一つ一つは大きな迫力と恐怖を伴う。人間にとっては悪夢としか言いようのない、絶望的な光景が広がるばかりであった。
そんな化け物に飲まれてしまった彼は、果たしてどうなったのか。答えはすぐに出る。
ドローンのカメラは、ダンジョンの中央地点付近に起きた渦を捉えていた。不吉な何かを予感させる奇妙な渦は、徐々に大きさを増していく。
やがてブラックスライムに決定的な分散を強いるほどに、強大な黒い竜巻へと変わった。
竜巻が収まった時、そこには無表情の男がいた。
全身に黒い雷光を纏い、まさに超常ともいえる何かを感じさせる風貌をしている。
ブラックスライムは本能的に、自らの危機を感じ取った。バラバラになってしまい、生物としても分離した魔物達ではあったが、するべき行動は共通している。
その場から逃走を図ったのだ。しかし異世界で王だった男は、決して敵に甘くはない。
彼はわざとブラックスライムに捕まり、核となる場所を探り当てた。そして最も魔物が恐れる、死という略奪を開始する。
ドローンは遠間からでもしっかりと映していた。ギルスが腕を二、三度振ったところで、線上の稲妻がダンジョン内を走り、四散していたブラックスライムの群れを焼き消した姿を。
それはあまりに唐突であり、実にあっけない終わりだと言える。
最後に残った一番大きなブラックスライムの塊は、逃げられないと見るや最後の抵抗とばかりに、目前にいる男に全身全霊で飛びかかった。
黒く巨大な波が押し寄せてくるような、圧倒的な絶望。しかしそれは、ありとあらゆる修羅場を乗り越えた男からすれば、さほどの脅威ではなかった。
半身になり右腕を伸ばす。開かれた掌に、猛烈な黒く輝く稲妻が集約される。それから発動まで、数秒すらもかかっていない。
漆黒の稲妻が雄叫びをあげ、元魔王の右手から解放された。
幾つもの稲妻が束になり、重なり合いながら獲物へと向かってゆく。それは怪物の姿を形取っているようだった。
ブラックスライムが飲まれるのも一瞬。そして消滅するのもまた一瞬であった。
重なり合い、黒い光線と化した稲妻は、視聴者の瞳には怪物のように見えた。
まるで多頭の怪物、ヒュドラを思わせる闇の輝き。
矛盾に満ちた超常の脅威に、視聴者達は畏怖と感動を覚えずにはいられない。
ブラックスライムがへばりついていたダンジョン壁には、巨大な大穴が空いている。
その穴はどこまでも遠くに続いているようで、黒い闇を覗かせていた。
全てが終わり、ギルスはようやく目的を果たした。
エイリーンの元に戻った時も、まだ配信が続いているとは気づいていない。
「帰ろう」
「あ……あ……うん。そ、そだねー! ギルスさん、助けてくれてありがとう!」
「さて、ドローンは……ん?」
「ごめーん! 止め方分かんなくってえ」
「そうか……」
:おおおおおおおおおお
:まさに必殺技って感じ!
:映画観てる気分
:ソロで深層クリア?
:あんなの喰らったら死ぬ
:すげーーーーーーーーー
:そもそもタダオが勝てる相手じゃなかった
:感動しました!
:派手すぎる最後だった……最高
:アニメみたいだった!
:めちゃ凄い
:三人が気絶したままで草
:やったああああああ
:黒い波動砲
:やばー
:タダオどんまい笑
:投げ銭送りてー!
:間違いなく最強だろこの人
:ああああああああああ
:ダン鳩はギルスの圧勝
:いくらなんでも強すぎる
:タダオずっと半尻状態で草
:探索者の中で最強かもしれん
:同接が限界突破してる
:ひええええええええええ
:うお、同接が……
:最高!
:怖かったよう
:ここ深層の一番奥だよね? ソロでクリアしたじゃん!
:タダオオーバーキルすぎて草
:同接七百万おめ!
:凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い
:ソロで深層クリアは初? 新記録だーー!
:もうめちゃくちゃやん!
:同接七百!? すげえええええええええ
直後、配信画面にはチャットが送られ続け、例を見ないお祭り状態になっていった。
ギルスは最後に軽い挨拶をして配信を切り、タダオと黒道を両脇に抱えて帰ることになった。百木はエイリーンがおんぶしている。
「ギルスさん、異世界帰りですよね? 一緒の世界かなー」
「異世界にもいろいろあるのか? 俺は夜しかない世界にいたが」
「あ、分かるー! じゃあ私達、一緒だったかも?」
その後、ダンジョンの中でギルスとエイリーンは異世界について語り合っていた。
どうやら二人は同じ異世界から戻ったようで、意外にも話が弾んだのだ。
地球のことも、異世界のことも話ができる存在など、そう見つかるものではない。エイリーンも楽しげだったが、少しして「あ!」と何かを思い出していた。
「ねー、ギルスさんって、もしかしてあの魔王さま?」
「……魔王?」
心臓が跳ねたようだった。彼はつい不自然な反応になってしまう。
「ギルス王って有名じゃんー。世界統一戦争で勝ったし! 私まだ会ったことなかったけど、もしかしてって思って。同じ名前だし、めちゃ強だし」
「ギルスという名前は、あの世界では沢山いるしな。人違いだな」
「……ふーん」
下から顔を覗き込んできたエイリーンは、納得したような、していないような。実に曖昧な反応をした。
(なんかリアクションが変。ガチで魔王様かも?)
(この娘は危ない。距離を置くようにしよう)
その後も世間話に興じながら、ギルスは内心でヒヤヒヤしていた。
エイリーンは雑談をしながらも、要所要所でさりげなく探りを入れてくるので、彼はダンジョン探索よりも苦戦していた。
それでもどうにかはぐらかし、バレることはなかった。
異世界帰りのダンジョン探索は大成功に終わり、彼は望まぬ栄誉と注目をこれまで以上に浴びることになってしまう。




