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リアル


 夕方、部屋に居るのに堪えかねて、ぼくは外へ出た。

 行くところもなく犀川の河川敷を歩き、涼しい風に吹かれた。

かあさんが出て行く少し前も、夕日が射す川沿いをかあさんと歩いた。

かあさんは橋の向こうのスーパーがお気に入りで、散歩がてらにぼくを連れ、よく一緒に買い物に行った。その行き帰りにこの河川敷を歩くのは、かあさんとぼくの日課であり、一日の中で一番好きな時間でもあった。

あの日、かあさんは元気がなかった。黙ったまま、うつむき加減で歩いていた。

ぼくはチラチラとかあさんを気にしながら歩いた。

かあさんはふいにしゃがみ込んだ。スーパーの袋が地面に触れて、パサッと音を立てた。 

ぼくも一緒にしゃがんで、かあさんの顔を覗き込んだ。

「かあさん、どうしたの?お腹痛いの?」

 ぼくは心配になって声をかけた。

「ううん。大丈夫よ」

 かあさんはそう言って川面を見つめた。思いつめた表情に見えた。

 夕日が反射して川面はキラキラ光っていた。かあさんはため息をつき、膝を抱えてうつむいた。瞳が潤んでいるのに見えた。かあさんが泣き出すんじゃないかと思って、ぼくはドキドキした。

 しゃがんでいた時間は数分だったが、すごく長い時間のように感じた。そのあとかあさんは立ち上がり、普通に歩き出した。

 あの時、かあさんは迷っていたのだろうか。出て行くかどうしようか。

そして立ち上がった時にはキッパリと決意していたんだろうか。


 七歳のぼくも、十一歳のぼくも、知るよしもなかった。

 まさかあの時、かあさんが身籠っていようとは・・・


 河川敷を歩いたあと、ぼくは若宮神社に行ってみた。

 ここでかあさんを見かけたと言っていたな。ここにかあさんが現れたというのか。こんなに家の近くに?

 当然だが、なんの痕跡も残っていない。雲を掴むような話だ。

 ぼくは茫然と立ち尽くし、境内を眺めた。狛犬がカッと目を見開き、ぼくを見据えていた。


 夜中、布団の中で、ぼくはハタと気が付き、飛び起きた。

 ちょっと待てよ!

 かあさんが現れたんだよ!

 そこを一番に考えなきゃいけないんじゃないのか!

 正式に離婚したとか、若い男がどうしたとか、衝撃的な情報にすっかり心を掻き乱されていたが、今はそんなことに感傷的になっている場合じゃない!

「かあさんが現れた」とは一体どういうことなのか考えなくてはいけない。

 噂話が蘇る。

「やっぱり子供に会いたて来たんやろうね」

 ぼくか?

 ぼくに会いに来たのか?

 オヤジに会いたいわけがない。

 ぼくに会いたくて、かあさんはここに来たのか?

 ぼくは急にドキドキしてきた。頭の中がグルグル回る。落ち着け。落ち着け。ぼくは胸を押さえ、呼吸を整えた。

 ついに「リアル」が取り戻せるチャンスが訪れたのか?かあさんが現れた時点で、もうすでに「リアル」になったのかもしれない。

 つまり、もしかして、これはまさに夢にまで見た瞬間じゃないのか?

かあさんがぼくを迎えにきた!ぼくを迎える準備が整ったから、ぼくを連れて行くために様子を窺いに来たんだ!

ぼくは歓喜に溢れ、叫び出しそうになった。急にまわりが輝いて見えてきた。興奮してとても眠れそうにない。

なんでそこに気が付かなかったんだろう。ばかだなぁ。ばかだなぁ。

ぼくは自分の頭を叩いて笑った。笑ったのは全く久しぶりだった。かあさんが出て行ってから初めてかもしれない。

今までよく頑張ってきたよ。よく我慢してきたよ。

感無量の思いが込み上げ、胸が熱くなった。

かあさんの顔が浮かんだ。

神社の前でぼくに気付いて、駆け寄ってくるかあさん。

「遼ちゃん!ごめんね!ごめんね!寂しい思いをさせてしまって。もう大丈夫よ!おかあさんと暮らそう!もうこれからはずっとずっと一緒だからね!」

 かあさんは泣きながら両手を広げてぼくに近付いてくる。

 ぼくは仰向けに寝たまま両手を突き出し、「かあさん!」と呼びかけた。

 かあさんはぼくを抱きしめる。ぎゅうっと強く。遠い昔みたいに。

 ぼくは自分で自分を抱きしめた。熱い涙が頬をつたった。泣いたのも全く久しぶりだった。

 笑うことも泣くことも、ぼくは自分に許した。涙がとめどなく流れ出した。

 むき出しでスカスカと肌寒かったぼくの肉体が、温かい保護膜に包まれていくのを感じた。

 車のヘッドライトが窓に当たり、部屋が一瞬明るくなってまた闇に沈んだ。どこからかリーンリーンと鈴虫の声が聴こえてくる。胸に染み入るようだ。遠くで騒いでいるバイクの爆音でさえ心地よく感じられた。


 翌日、ぼくは本屋に行ってみた。

 金沢を紹介する雑誌を探し、湯涌温泉を調べた。町中の地図も出ていた。びっくりするくらい商店街は小さい。店は数えるほどだ。

 店の名前をひとつひとつ見る。そこにかあさんがいる店が載っているのかわからない。

 だけどこんな小さい並びなら、もしかして簡単に見つけられるんじゃないか?行けばすぐにかあさんに会えるんじゃないか?ぼくの胸は高鳴った。

 湯涌温泉・・金沢駅からバスで約五十分・・

 ぼくはそのページの隅々を見て記憶し、目に焼き付けた。

 ぼくが行く?ぼくから行くか?

 かあさんは来てくれた。でもすぐにまた来れるかどうかわからない。

 じっと待ってるより、思い切ってぼくから行くか?

 ぐずぐずしていてかあさんの気が変わったらどうするのだ!とてもじっと待ってられない気分だ。

 本屋の帰り道も、家に戻ってからも、ぼくは考えあぐねていた。

「リアル」だ!これこそついに「リアル」だ!またもや興奮してきた。

 会ってどうしよう。なんて言おう。かあさんはどうするだろう。

 鼻息荒く部屋の中をウロウロと歩き回っていると急に電話が鳴り、ぼくは飛び上がった。

 電話に出ると、いきなり岡本がどやしつけてきた。

「ちょっと!あんた!何考えとるがいね!なにサボっとるげんて!だらじゃないがん!発表会、失敗したらどうするがいね!今からうちんち来まっしま!遅れたぶん練習せんなん!今すぐ来まっしや!」

 あまりの剣幕にぼくは思わず「はい」と答え、そそくさと岡本の家へと向かった。


 岡本は、ものすごい負けず嫌いだ。

 絶対に人を認めないし、自分が上でないと気が済まない。人と張り合っているところばかり学校で見かける。

 たとえば誰かが家族とどこかへ出かけた話をして、まわりが「いいじ─。いいじ─。よかったじ─」と言ってる中、岡本だけ顔をひん曲げて「いいうぇ─っ!」と雄叫ぶ。

「いいじ─」より「いいうぇ─」のほうが羨まし度が高い。ねたみ、そねみが色濃く混じる。一旦ねたんでから気を取り直し、岡本は戦いを挑む。

「でもそんなんたいしたことないわいね!うちなんか・・」と自慢話の独演会をおっぱじめるのだ。まわりはうんざりげんなりして苦笑いしてるのに、どうやらそれには気がつかないらしい。

 いつだったか、病気で入院していた同級生が退院して学校に出てきた時、まわりが「大丈夫?」と心配し、いたわっているのを見て、「あんたなんかたいしたことないわいね!うちなんか・・」と、前に一度貧血で倒れた時のことを不知の病の少女みたいに熱く語っていた。そこまで張り合いたいのかとギョッとして、すっかり呆れたものだ。

 そんなヤツだから、発表会でお粗末な演奏をして恥をかくのは絶対に避けたいのだろう。

 しかしそれはぼくだって同じだ。絶対失敗したくない!カッコ悪いのはまっぴらだ!バッチリ決めてやる!

 とにかく、ピアノは頑張らねばならない。


 ドでかいひまわりがドーンドーンと咲いてる庭を通って岡本家の玄関に辿り着くと、岡本が仁王立ちして鼻息荒く出迎えた。

「はよ練習しよ!」

 岡本はぼくを睨んで顎をしゃくった。


 ピアノは和室の隅に置かれていた。フローリングのリビングと続き部屋の和室だ。ここでいつも岡本はピアノを弾いて家族に披露しているのだろう。ピアノの上にはメトロノームと、いくつかのぬいぐるみが飾ってあった。

 岡本は三人姉妹の末っ子で、女ばかりの家のせいか、部屋のあちこちに普段ぼくが見かけないファンシーな小物が転がっている。フルーツの形の香り付き消しゴム。キラキラのシール。てんとう虫やキャンデイが付いた髪どめ。家中に異質な匂いもする。女子の匂いなのだろうか。

 ぼくと練習するために、ピアノと高さが合う椅子をもうひとつ探したらしく、ちゃんと二つ並べてセッティングしてあり、準備万端だ。

 ぼくと岡本は、本番さながらに互いに合図しあって弾き始めた。

 ここ何日かピアノを触っていなかったが、思ったより指が動いた。岡本の気合いにつられたのかもしれない。最初の出だしをもっとひかえめにといくら注意されても大音量で弾いてた岡本が、びっくりするくらい押さえ気味でスタートした。かなり練習したことが窺えた。ぼくもしっかり弾かなければと気が引き締まる。

 もたついてしまうパッセージは何度も二人で息を合わせながら集中して弾き、白熱した練習となった。


 気がつけば二時間が経過していた。そろそろ夕方だ。

 ひと息入れようという雰囲気になると、岡本の母親がこっちでおやつでもと声をかけた。

 ほんとに岡本の母親かと思うくらいほっそりしていた。

 ぼくと岡本はリビングのテーブルに移動した。

「クッキー焼いたのよ」

 岡本の母親は苺柄の大きな皿にレースペーパーを敷き、焼き立てのクッキーを山盛りに入れた。甘くていい匂いが広がった。

「さあ、お茶もどうぞ」と差し出されたのは紅茶だった。

 岡本はまるで築地のようなしぐさで紅茶に輪切りのレモンと角砂糖を入れ、ティースプーンでクルクルかき回し、カップの縁でチンチンチンとスプーンを鳴らした。

「愛子先生の影響で紅茶にハマっとるげん。秋葉くんもよかったらレモンと砂糖もどうぞ」と母親が差し出すのを断って、ぼくはツンとすまして紅茶をすすった。なじまない味だ。

 ふん。なにが愛子先生だ。築地は自分のことを生徒にそう呼ばせている。気持ち悪いからぼくは絶対呼ばないが。

 岡本は気取った顔で小指を立ててカップを持ち上げ、ズズズと音を立てて紅茶をすすった。鼻の頭に玉の汗をかいて、今にも紅茶に垂れそうだ。

「ママのクッキーおいしいげんよ。食べてみんか」

岡本はぼくに勧めながらクッキーを頬張った。母親もぼくの顔を見て「どうぞ」とうなずいた。

ぼくは上目使いでうなずき、クッキーに手を伸ばして口に入れた。手作りのやさしい味がした。やさしいものに触れると、ぼくの心はざわざわと風が吹く。慌てて「こんなことなんでもない!」と心を固くする措置をとった。

この母親は、男子が家に来るというシチュエーションに妙にテンションが上がっていると見える。興味津々の顔でぼくを観察し、質問してきた。

「秋葉くんはすごくお勉強ができるげんてね。何が得意なん?」

 ああ、めんどくせえ。ぼくはぶっきらぼうに「別に」と答え、早くこの不気味なお茶会が終わらないかと願った。

 ふと、テーブルに置いてあるプログラムが目に留まり、思わず手に取った。

 岡本はそれに気付き、「ああ、プログラムできてんよ。うちら十三番目やわ。秋葉もあさってピアノ教室行った時、愛子先生からもらいまっし。ああ─っ!いよいよやわぁ。緊張するわぁ!頑張らんなん!」と鼻息荒く言った。


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