Chapter:1 ----Enter
第一章 【音響解放】
Chapter:1 ―――〔ENTER〕
『そっちはどうだい? マキシ』
森林の中。時刻は真昼時。
走り続ける青年は、インカムで通信を繰り返す。オペレーターのしっかりとした声からは若さが感じられる。
「順調です。第三周回ポイントを抜けました」
『了解』
マキシは森の中心から少し来たところで止まった。そして木を影にして身を隠す。その木の向こうは崖になっていて、かなりの高さがあった。右手で、掛けている眼鏡をくいっと押すと、レンズがディスプレイとして起動し双眼鏡の役割を果たす。左手で耳元を押さえ通信を再開した。
「こちらマキシ、第四ポイントに到着」
『よし。そこから、何が見える?』
彼はディスプレイ越しの目を左右に滑らせ、慎重に木の幹に身を隠してあたりを眺めまわす。その崖から何キロも先に見えるのは、軍用基地だ。迎撃設備としての対空機関砲が基地を囲むよう前方と左右に四連ずつ、そのまた後ろにミサイルハッチが十六連配備されているのが見える。
「すべてデータ通りですね。砲台もミサイルも……ん?」
『どうかした?』
疑問に思い彼はその一部を拡大した。やっぱりだ、ひとつだけデータに記載されていなかったものがある。
「基地の本部、とその連絡棟のあいだに〝雷高圧レールキャノン〟があります。大きさから見て準バハムート級大型砲塔の、充電にはさほど時間のかからない9-3-2式だと思いますが、あれが起動すると厄介です。敵兵の姿が見当たららない……全てコンピューター制御だと思います」
『了解。こちらからシステムハックしてみよう』
「よろしく頼みます」
『あとは何かあるか?』
しばし周りを観察する。自動制御なら警戒網が敷かれているはずだ。
「おそらく何らかのセンサーが起動していると思います。サーマルに切り替えても反応しません」
『赤外線で無いことは確かだけど……光学レーザー域か何かか?』
「それもわかりません。だが任務に支障をきたすほどの物じゃないでしょう」
『まぁ、よろしく頼むよ』
オペレーターとの通信が終わると、続けて別の通信が来た。
『マキシ?』
「メイルか?」
耳に装着されたインカムから聞こえてくるのは、マキシの相棒〝メイル・ガイタフ〟の声だった。
「どうかした?」
『私、第二迎撃ポイントに居るじゃない? そこから見た情報を伝えておこうと思って』
「それはありがたい」
マキシがそう言うと、起動中のディスプレイのレンズの隅に、数枚の写真が送られて来た。どれも本作戦の目標である基地の迎撃設備の数々だ。
『この軍用基地は、本部棟を囲むように迎撃網が敷かれているわ。第一ポイントが対空機関砲で、第二ポイントにミサイルハッチ。機関砲もミサイルも全てコンピューターの自動制御で、徹甲弾を使用している』
彼は自分の体を眺めて苦笑した。ボディアーマーも何も装着していない。食らったらひとたまりもないことは確かだ。
『それと、貴方も見たでしょう? 本部棟と連絡棟の間に―――』
「雷高圧レールキャノン」
やはりそうか、とマキシは思った。
『9-3-2式だからセミオートで、自動追尾機能も付いてる。他にはとくに目立った重機は無いけど……まぁ大丈夫よね。弾丸ははじき返して、ミサイルは斬り落とせばいいんだもの』
「簡単に言ってくれるなよ」
『ほんとの事でしょ?』
無茶言ってくれるなー。こいつにはほとほと呆れる。
『貴方はその崖を降りて、基地に一直線で突っ走ればいい。私がここから狙撃して貴方を守ってあげるわ。撃ちこぼしたものは自分で何とかしてね』
マキシはやれやれ、というようにため息をつき、ゆっくりと立ち上がった。
「分かりましたよ……」
マキシは崖の端まで来て下を覗く。強風が下から吹き荒れ、彼のプラチナブロンドの髪がなびいた。
『貴方ならやれるでしょ? だって私たちは―――』
『「M:S/TWICE……‼」』
× × ×
マキシは行動を開始した。
腰元のバックパックから一つの腕輪を取り出した――『GOD・LINK』と呼ばれるその腕輪は、神殻武装を起動するための小型デバイスのようなものだ。
「よし、行くか」
彼はそれを空中へと高く投げ、目の前の崖へと飛び降りた。
体に大量の空気を受けながら急降下する。上空でゴットリンクが作動し自らマキシの元へと近づき、腕に接近したときそれは吸い付くかのように彼の右手首へと装着された。それを合図に腕輪は一瞬青白く光り、その形を変えた。次々と甲殻版が出てきて鱗のように重なり密着していく。
青と黒にカラーリングされたアームズアーマーが肘までを包み込み、合金のプロテクトが完成する。彼は勢いよく手をついて地面に着地した。右腕のアーマーは衝撃吸収ポリマーが仕込んであり、あらゆる支点からの力を分散するようになっている。彼の着地は実に静かなものとなった。
風景が一気に変わる。木、一色淡の緑から、人工物の色彩に埋め尽くされた。一面がコンクリート塗装され、大型車両庫、兵器格納庫と金属ばかりの色味でつまらなくなった。だがもうここは基地内だ。もう任務は始まっている。
マキシは自分の右手を二・三度開閉し、感度を確かめる。
……やっぱりこうでないと。
右手を前にかざすと、光が集まりだし、一つの武装が転送されてきた。
『SOUND・LIBERTY』と名前の彫られたその長身の鞘は、マキシの神殻武装だ。収められた斬刀は、文字通り音波を圧縮し斬撃として飛ばす機能があり、刃の表面には高周波が流れている。彼は鞘に付けられた留め金のピックを腰に掛け、装着した。
一呼吸置き、いっきに駆け出す。
警戒網がどこに仕掛けてあるのか見当もつかない。本部棟まで走り切るしかないな。
更に速度が増した。彼が履いているブーツ型のアーマー、これがその速度を生んでいる。
これはただのブーツではない。電磁源ブーツと呼ばれる特殊技術で、中にいくつもの電磁石が仕込んであり、膝が一定の高さまで上がると内蔵された磁石が作動し、地面へと吸い付くように戻る仕組みになっている。これが〝走る〟という一連の動きを円滑にし、通常の二倍速での移動を可能にするのだ。
マキシが地面を蹴るたびに足元から電流がほとばしる。周りの景色は次々と変化していき、太陽の光が影を映し出し、風が銀の髪を撫で上げる。
インカムに空電が走った。
『第一警戒ポイントに入ったわね。これから私が進行状況をこまめに入れていくわ。小耳にはさむ程度で聞き流しておいて』
「了解」
視界が開けた。戦闘機用の滑走路に入ったところだ。
直後、耳をつんざくようなアラーム音が空に響き渡る。何かのセンサーに引っかかったのだ。マキシは眼鏡を押し上げディスプレイを起動する。
周りを次々にスキャンしていく。第一迎撃網、四百メートル先に対空機関砲が前方、左右に四連ずつ十二連、確認できる。
『想定よりも早いわね』
メイルの驚嘆の声が耳に響く。確かに早い。だが迷っている暇なんかない。
アラーム音が次第に大きくなっていく。基地に近づいている証拠だ。
『対空機関砲の起動を確認。基地が迎撃態勢に入ったわ、注意して』
レンズ越しの彼の瞳が、それを確認する。銃口が次々とゆっくりマキシへ向かれていき、フルオートの標準機能がその姿を追いかける。ハッキングには失敗したようだ。
……動きだしたな。
四十六連式のガトリングで徹甲弾、それが十六連。いくらなんでも多すぎる。神殻で弾丸を弾くことは簡単だが、少しでもタイミングがずれれば一貫の終わりだ。
『弾丸の装填を確認。来るわよ!』
神殻には、特殊機能がある。インストールされた感情システムの効果を引き出すもので、それぞれ反映される効果が異なる。マキシのサウンド・リバティはその機能を発動することで大幅に身体能力をアップさせ、音速で移動することが出来るようになる。彼から見れば周りはゆっくり動いているように見えるのだ。
彼は鞘に手をかけ、構えた。その特殊機能の名は―――
「神奏駆動……‼」
声が響く。その時、マキシは音よりも速く動いていた。
神殻の側面が展開する。甲殻版が次々に逆立っていき、鞘が伸長して姿を変えた。体の周りから青い光が陽炎のように滲みだし、彼はそれをたなびかせながら音速で飛んでいく。
そのシステムは、音源をも歪ませた。つんざくようなアラーム音がねじれるような音へと様変わりする。
瞬時に対空機関砲の目の前まで近づく。ゆっくりとシリンダーが回りだし、弾丸を射出した。しかし、そんな攻撃に意味は無い。マキシは通常の六倍速で動いている、つまり彼以外は六分の一倍速で動いている。弾丸が装填され、それが銃口から飛び出すまでが全てスローに見えるのだ。
前方から横一直線に並んだ四発の徹甲弾が接近する。先に起動したのは左右の対空機関砲四つのようだ。彼は左手で鞘を押さえ右手でブレードのグリップをつかむ。
そして走りながら剣を振る。
最初の動きで四発の内一発が弾かれた。徹甲弾とは通常の弾丸を硬化カバーで覆ったものを指す。その分、威力も強度も増すが、重量が増えるため弾き返した際の威力が通常弾よりも強い。
振り上げた手を左右へと薙ぎ払う動きで残りの三発も弾いた。
弾丸が空気を貫いて、今来た道を戻る。結果、四発の徹甲弾は時間差を置いてそれぞれの機関砲の銃口へと入り込んだ。
内部爆発。
対空機関砲のシリンダーが膨れ上がり内側から暴発する。
……まずは四連、破壊。
次の標的に目を向けたとき、左右のもう二連に電撃が落ちた。対空機関砲は衝撃に耐えきれず、ゆっくりと崩壊していく。細かく走る電流が、シリンダーに引火する。機関砲は内側から膨れ上がって爆発した。
……もう四連、破壊。残り四連。
「ありがとうメイル」
今の鋭い雷撃弾は、全て彼女の攻撃だ。
彼女の所有する神殻武装『Shout・Rain』は通常、雷撃弾を射出する軽量型レールバレッドの二丁拳銃だが、その二つと連結式スナイプフェイスとを接続することでAMRとしての一面も見せる。
『そうは言ってられないわよ?』
基地前方に設備された四連の機関砲が、同時に火を吹いた。六分の一倍速にもなると徹甲弾が空気を切り裂く音が聞こえる。耳鳴りのような音波は空気に乗って耳に運ばれる。
「あぁ、確かに」
抜刀状態のブレードの刃で弾丸の表面を削ぐかのように斬る。流れる動きで二発を斬り落とし、二発は彼の巧みな技巧によって機関砲へと戻り内部爆発させた。割れた弾丸の破片がマキシを通り越して風を切る。
「残り、二連」
マキシは強く地面を蹴った。電流が勢いを持って周りへ飛び散る。
加速した。
通常時間の六倍でも見ることができない速さで彼は飛ぶ。もはや音をも越えて一筋の光だけが、機関砲を通過する。そして六倍速へと戻った。走りながらマキシがブレードを鞘に戻した瞬間、最後の対空機関砲二連はその跡形もなくなった。機関砲の銃口、シリンダー、ドラムマガジン、冷却装置に至るまでのなにもかもが、粉々となってゆく。
彼はそれを確認するまでなく走り続ける。
『第二警戒ポイントに侵入。今度はミサイルハッチが展開中よ。』
対空機関砲が邪魔して見えなかったが、基地を百八十度囲むように防護壁がある。高さ約二十メートルの対加圧防護壁。電磁源ブーツで越えるには少し高さがある。
そう思っていた矢先、大量の風が彼の髪をなびかせた。神殻がテクノドライブを強制終了させたことにより、いっきに通常時間へと戻ったのだ。
神殻武装のテクノドライブは、神殻の駆動燃料である流化燃料を通常よりも多く消費する。それを見越してシステム起動後、燃料電池残量が三十パーセントにまで減少すると、神殻がシステムを強制終了するプログラムになっている。
『ミサイルハッチ換装展開。来るわよ』
ミサイルが飛び立つ轟音が響く。総計、十六発。
「メイル、中央の八本を残してほかのミサイルを狙撃してくれないか」
『何か考えがあるみたいね』
インカムの向こうでトリガーを引くカチリという音が聞こえた。次の瞬間、ミサイルが何本も上空で爆発する。きっかり中央の八本を残して他が破壊された。
やはりメイルの狙撃力は半端じゃない。
「あのミサイルを、利用する」
ミサイルは超高速でマキシへと飛んでくる。彼は左手で鞘を押さえつつ、防護壁の少し手前で跳躍した。接近する計八本の内、先頭のミサイルに跳躍したはずみで飛び乗り、ミサイルの側面をリズム良く蹴り、次から次へと飛び越えていく。
『ミサイルとレールガンは同時起動のようね。自動照準器が貴方を追っているわよ』
四本目で防護壁を超えた。五本目からは足場の間隔が広くなっている、マキシは更に力強く足で側面を弾いた。
9‐3‐2式のレールガンは実に照準機能が優れている。上空を高速で飛翔するミサイルの上を走る俺を追いかけているんだ。確かあれはイギリス製だっただろうか。
だがそうは言ってられない。照準性能に長けているということは、自分への弾丸の命中率が格段にアップするということであり、それは命の危険を示している。
どうにかして一瞬だけ照準を攪乱する必要があった。
七本目まで走り切る。そして八本目に飛び移る瞬間、マキシはブレードを下から上へと振り抜いた。鞘から抜かれた刀は美しい弧を描いて目標物を斬る。高周波がミサイルの先端から後端までを二つに割断し、ほぼノータイムで重爆発が起こった。
直後、レールガンの銃口がほんの数センチだけ下へ傾き、雷化弾を射出した。耳をつんざくような音が空気を駆け抜ける。弾丸がマキシのいた場所の煙を貫くとき、彼は更に空高く飛んでいた。ミサイルの爆発で照準を攪乱しつつ、その反動でかなりの高さまで飛翔していたのだ。
……一発目。
今の一連の流れで、あのレールガンの特徴を知ることが出来た。
小型ミサイルが爆発したとき、発砲の寸前にほんの少しだけ銃口が傾いた。おそらくだがあの照準器はサーマル式だ。搭載されたサーマルカメラによって物体の表面温度で攻撃範囲を査定している。
『見せてくれるじゃない』
シャウト・レインのスコープから覗いているであろうメイルが、感心したように呟く。
……いや、
「これからだよ」
そう呟いている間にも、レールガンは次の雷化弾を装填しつつ電流をチャージしている。
マキシは上空でブレードを鞘に戻した。こういうときは〝あれ〟を使うといい。
彼のサウンド・リバティにはもう一つ、特殊機能が隠されている。刀を鞘から抜刀する際に、鞘の底面に取り付けられたトリガーを引くことで、内蔵されたポンプアクション(瞬時に音波を圧縮させる機殻)が作動しものすごい勢いでブレードを振り抜くことができるというもので、通常抜刀よりも数段に攻撃力がアップする。
レールガンが二発目を吐き出した。連発のため、さっきよりも多少威力が低い。
マキシはその加速する弾丸を見つめ、言い放った。
「音破の抜刀術!」
射出されたブレードをつかみ、その速さに任せて刀を振った。
勢いのついた刃から高周波が斬撃となって飛び出す。飛来した弾丸はその斬撃に接触した瞬間、割断されることなく砕け、小爆発を起こして周りへ飛び散った。
放電された電流は広がるように空へと走った。
……二発目。
三発目の装填音が響く。9‐3‐2式は三発を連続射出できる代わりに、一回ずつ威力と速度の性能が落ちていく。つまり三発目は今までで一番速度が遅い。
レールガンが最後の一発を撃ちだした。予想通り、一発目と比べると格段に性能が落ちている。彼はその雷化弾を自分の体を左へ捻ることで回避し、流れる動きでもう一度ブレードを鞘へと納めた。カシャ、という装填音が微かに響く。
コンマ何秒としないうちに音波を解き放った。
極限までためた斬撃が加速して目標へと飛翔する。縦向きの斬撃がレールガンを一瞬で割断した。銃口の先端から、後ろの変電圧器まで。
二つに割れた兵器の残骸は、大きな音を立てて左右に倒れた。
上空にいたマキシが音もなく着地する。
「各兵器の破壊、および基地の迎撃領域内に侵入」
いつの間にか警戒アラームが消えていた。周りを見渡すと、基地内の制御コンピューターと思われる機材が破壊されている。レールガンを割断した際に斬撃がそこまで届いたのだろう。
そう思っていると、狙撃ポイントから離脱したメイルが神殻を肩にかけて歩いて来た。
「見事な手際だったわ。さすがは〝音速の使者〟ね。」
「そのアーバンネーム、どうも気に入らないんだけど」
もはや鉄くずと化したレールガンを二人は眺めまわした。メイルが呟く。
「この頭文字……U・Kと書いてあるわ。つまり―――」
「つまりユナイテッド・キングダム、イギリスだ」
マキシもその刻印を眺めた。
「9‐3‐2式なんて珍しいと思ったら……もう裏じゃ、大量に出回ってるかもな」
「えぇ、そうかもしれないわね。レールガンなんて数年前までは機動性が悪かったから、各国のPMC(民間軍事会社)達の目には全く留まらなかったけど。まぁ、今じゃ戦闘機用の空母艦のMk45/5インチ砲の需要を超えるくらいだもの」
「そうだな……まぁ、とにかくいったん本部に報告しよう」
「えぇ」
マキシは耳元のインカムを押さえた。眼鏡のディスプレイが再起動し、通電の相手が表示される。【Maxi to // Kaigane・Byakura】
「珀羅さん?」
『大丈夫、聞こえてるよ』
三十代くらいの若いオペレーターの声が耳に届く。マキシとメイル、『M,S:twice』の専属オペレーター、珀羅・堺鋼だ。
『基地の迎撃網は一掃できたようだね。こちらから見ている限りだとサウンド・リバティも好調のようだ』
「えぇ、改修してもらったかいがありました」
『だろう?』
誇らしげに堺鋼は言う。この男は、感情システムとそれを応用した神殻武装の第一責任者なのだ。つまりは、今世界の要となっているすべての制御システムを作った男なのだ。
彼はマキシやメイルの神殻だけでなく、あらゆる武装、ボディプロテクトの設計・開発を行ってきた。そして彼も、研究データ『M10』の関係者の一人だった。
「それで、中間報告なんですが」
『あぁ、そういうこと』
表示画面が記録用、議事録モードに切り替わった。
「この軍事基地に配備されていたレールキャノン、頭文字U・Kと印刻してあって、ドイツは軍需用品をイギリスから調達しているようですが、これは?」
『イギリスの頭文字……いや、そんなはずはない。それはたぶん裏で出回っている偽装品だと思う。イギリスの軍事技術はかなり進んでいるけど、最近ではV‐2弾道ミサイルの大半を取り仕切っている。あの国がこだわっているのは一撃必殺武器じゃなく、大量破壊兵器だからね。』
「やはりですか」
マキシはもう一度その印刻を眺めた。すると、隣にいたメイルもインカムをつなぐ。
「珀羅さん、このU・Kの頭文字って、もしかすると今国家機密で取り上げられているテロ集団の頭文字じゃないですか?」
『近年話題のテロリストたちのこと? そういえばあいつらの頭文字もU・Kだったね』
「えぇ、【UNJUST・KEEN】通称、U・K」
大量殺戮テロ集団、アンジャスト・キーン。近年米軍の国家機密情報としても取り上げられるほどの拡大規模組織だ。
『〝不公平な悲しみ〟、って言う意味だよね、それ。それについてはこっちでドイツの軍需用品の調達リストでも見ておこう』
「よろしくお願いします。もしかしたら、この軍用基地のバイヤーはそいつらと裏で取引をしているのかもしれませんし」
『了解。あと君たちの任務は……』
再度、マキシがインカムを押さえた。チームの実践行動リーダーである彼は本作戦のミッションステップを熟知している。
「本部棟に侵入、機密偽装データを発見のち削除。およびその実態調査です」
『そうだね。それじゃ、あとはよろしく頼むよ』
ディスプレイからは通信画面が消えた。
するとメイルがレールキャノンからマキシの方へと向き直り、口を開いた。
「私が先に中を偵察するわ。合図を送ったらついてきてちょうだい」
「分かった」
彼女がシャウト・レインの側面についた小型レバーをスライドさせた。複合されていたレールバレットとスナイプフェイスが、ガシャンという音を立てて分離する。スナイプフェイスはノズルの部分が収縮し、携帯にも便利な構造になっていた。彼女はそれを腰元のピックに掛けると、銃を両手に持ち直した。
× × ×
本部棟の前方、崩れた瓦礫の上を飛び越え、彼女は拠点に侵入した。
侵入してから数秒後、銃声がした。レールバレッドの雷撃音だ。すると、メイルが入った時の瓦礫のところに彼女が出てきて、手招きした。マキシはそれに従って、行動を進めた。
本部棟への侵入は、実に簡単だった。侵入ポイントは棟の二階、連絡用通路の手間で、さっきの銃声は設置された監視カメラを無力化するためのものだった。入ってすぐのカメラが煙を上げている。
「監視カメラか」
マキシの声に彼女が振り向いた。
「えぇ、かなりの厳重警備のようね。それにしては、兵士の一人もいないけど」
彼女は肩をすくめて皮肉交じりにそう呟いた。
念のためマキシも装備のチェックをする。サウンド・リバティは鞘も含めて全長一・三メートルあり、潜入作戦にはとても向いてない。彼は腰元のピックと、肩のクロスピックを利用して鞘を背中に斜め掛けするように持った。極力、邪魔にならないようにするためだ。
腰元のバッグパックから、ベレッタM92(自動式拳銃)を取り出す。弾倉に弾丸が装填してあることを確認すると、それを用心深く構え前へ向き直った。
「それじゃ、行くわよ。ここは二階だから、この通路を左に曲がってから、階段を上って三階の端、コンピューター制御室に入るわ。いい?」
「了解」
マキシは眼鏡を押し上げ、SMSを起動する。これは音波を物体の表面に反響させ、それをキャッチしてその地形を3Dでディスプレイへと表示するものだ。画面にインストール中の文字が浮かび、完全に地形を把握した。
メイルが彼の先を行く。通路を曲がる直前で、彼女が後ろ手に〝止まれ〟とサインを出した。彼女の背中越しに曲がった先を見る。サイファーと呼ばれる浮遊型監視偵察機が、一定のコースを行き来している。
メイルが右手に持ったレールバレットを起動する。雷化弾が自動装填され、シリンダーがスライドした。サイファーが角の向こうでカメラをこちらへと向け、移動しだしたと同時に、メイルが飛び出して引き金を絞った。スライド・ダウン式の撃鉄が可動し、雷化弾を射出する。弾丸がサイファーのカメラを貫き、本体を粉砕した。
二人は無言で任務を進めた。
二階の連絡用通路を渡り切ったところで、階段の死角になる部分にも監視カメラがあった。今度はガン・カメラだった。敵を認識するとそれを自動追尾し、240分/発で弾丸を射出する仕組みになっている。それでも、メイルは冷静にそれを処理した。角から少しだけ身を乗り出し、引き金を絞って一発で片づける。彼女の射撃力は実に正確だった。
階段を上り、三階の通路に差し掛かった時、そこにもまたサイファーがいた。次は二機だ。
こちらへと向かってくる一機にメイルが発砲した。手前側の一機が破壊されたのを確認すると、彼女はもう一発放って向こう側のサイファーも無力化した。
通路に偵察機がもういないことを確認して、二人はミッションの目標である〝コンピューター制御室〟と書かれた部屋に侵入した。
その部屋には全システムを統括する、スーパーコンピューターが設置されていた。そして三つあるデスクには数台のパソコンが置いてあった。
二人は部屋の中を見回した。すると、メイルが何かに気付き、一台のスーパー―コンピューターへと歩み寄った。
「これ……」
彼女はスーパーコンピューターの側面を見ている。
そしてマキシにも、彼女が何を凝視しているのかが分かった。
「―――レールキャノンと同じ刻印だわ」
「こいつにも、U・K……この軍用基地、どうも怪しいな」
彼がそう言ったところで、本部からインカムに通電が走った。珀羅さんだ。
『制御室に侵入したようだね、二人とも聞こえているかい? 面白いことが分かったよ。』
「なんですか?」
『それが、この軍用基地、ドイツの軍事機密リストに載ってなかったんだよ。つまりその基地も、そこにある設備も、管理システムも、全てが偽装されてたってわけ』
二人は思いがけない情報に驚いた。
「じゃあ、それは全部U・Kの仕業ですか? 偽装データという情報も?」
マキシの声には苛立ちが混ざっていた。
『おそらくそうだろうね。ただ、管理システムに混入した偽装データはその地域の情報網をすべて侵蝕している。それだけは本物だ。直ちにワームクラスターを接続してくれ。そいつをくい止めないと色々と面倒なことになる』
「了解しました」
一旦、通信が終了した。
マキシはしてやられた、と思った。
彼のセキュリティレベルだと目を通せる機密文書に数が限られるが、それでも奴らのことは少しでも知っているつもりだった。
でもそんなことはなかった。U・Kはただのテロ集団じゃない、策士だ。それも巧妙で、卑怯なハッカー集団だ。奴らにはそんな一面もあったのだ。
そう考えていると、彼は深いため息をついてしまっていた。
「はぁ……」
そんな一瞬も相棒であるメイルは見逃さなかった。
「マキシ? U・Kのことは気になるだろうけど、今はミッションに集中しましょう」
「あぁ、分かってる」
二人はパソコンの前へと歩み寄る。セキュリティロックを解除して、本体を起動した。
中央の一つを起動すると、それにつられるようにして次々に全てのパソコンが起動していく。スーパーコンピューターの駆動音が響いていた。
最後の一台が起動し終わった時、もう一度本部から連絡が入った。
『二人にはワームクラスターの接続方法を作戦前にマニュアルで読んでもらっていたとは思うけど、念のためもう一度説明しておこう』
マキシは画面へと目を向けた。
『ワームクラスターの事は知っているよね? システムを食い荒らす言わば〝虫〟のようなもので、即効性がある。接続後二十秒程度でシステムは完全停止し、偽装データもあぶりだされるはずだ。それじゃあまず、ステップ1と行こう。マキシ、パソコンの周りに操作パネルがいくつかあるだろう? その中から〝メインシステム・パーソナル〟と書かれたパネルを見つけるんだ』
堺鋼の指示に従って彼は作業を開始した。
中央のパソコンの画面の上に、もう一枚の薄型パネルが張り付けてある。MSPと表記されたものだ。
「見つけました。それから?」
『よし、それじゃあステップ2だ。そのタッチパネルに君の右手をかざすんだ。そうするとゴットリンクとメインシステムが自動接続されて、クラスターが侵入する』
彼は右手を伸ばし、手のひらをパネルへとかざした。すると、MSPパネルが起動し、インストトールの進行度をクロスバーで表示する。オペレーターの指示通り、きっかり二十秒後にクラスターが侵入し、システムは完全停止した。
「珀羅さん、統括システムの完全停止を確認しました。クラスターは順調にシステムを破壊しているようです」
『よし、じゃあ最後にステップ3だ。もう少ししたら元の偽装データが出てくるはずだから、それを画面の指示に従って削除してくれ。ただし、これは実態調査も兼ねているから、データのバックアップも取っておいてくれよ』
「了解」
クラスターの侵入から二十秒後、画面に一つの復元プログラムの表示が出る。そこには、
〝このプログラムは現在復元中です、削除しますか?〟と文字が浮かんでいた。
そのシステム名は、
「……ゼロ・システム【無情】」
「え?」
隣に立っていたメイルが、驚いて画面をのぞき込む。液晶パネルには、確かにそう表示されていた。
「これ、先月アメリカ参謀本部の全情報網をハッキングしたシステムウイルスじゃない。バックアップを取られる寸前で、何とかくい止めたみたいだったけど」
「全く同じものが、ここドイツの軍用基地にも侵入していた―――ってこととか」
マキシは行動に移る前に、もう一度インカムを押さえた。
『データがあぶり出されたかい?』
「えぇ、そうなんですが……それがどうもこれ、ゼロ・システム【無情】って表示されていて、これって先月の―――」
『参謀本部ハッキング事件の時の偽装データじゃないか⁉ そいつの実態調査を僕はペンタゴンから頼まれていたんだが、そのデータは様々な情報ネット内で猫を被るようにして表面だけを偽装してセキュリティをかいくぐり、システムの攪乱や情報のコピーをするプログラムだったんだ。アメリカだけじゃなくドイツにまで拡散していたとはね……』
感情システムを開発した彼は、世界各国の政府機関から調査を頼まれることも多い。この前の事件の時のシステムを参謀本部は彼に手渡していたのだ。
『とりあえず、そいつのバックアップも取っておいてくれ。プログラムのコピーは、もう一度パネルに右手をかざすだけだから』
「はい、分かりました」
マキシはもう一度MSPパネルへと右手をかざす。後はゴットリンクがすべて自動でやってくれた。コピーファイルフォルダーの文字と共にもう一つのクロスバーが表示され、問題のシステムのバックアップを取った。コピー後、画面の〝削除〟の文字をタップし、プログラムを完全に消去した。
「機密偽装データのプログラムの削除および、実態調査のための収集完了」
『よし、それじゃあすぐにその部屋から出て、支援ヘリの到着ランデブーポイントまで移動してくれ』
珀羅さんとの通信が終わった。
安どのため息つきかけた瞬間、もう一度耳をつんざくようなアラーム音が鳴り響いた。
「何だ⁉ 統括プログラムは完全停止したはず―――」
「マキシ? お客様のご登場よ」
メイルの言葉にマキシは面倒なことになった、と思う。部屋の窓に向かって彼女は指をさしている。そこにはたくさんの兵士たちが基地内へと侵入している光景があった。
「あいつらはサイボーグ兵ね。腕にそれぞれ個体番号が印刻されているわ。ここに侵入する前に一回警報が鳴ったでしょ? たぶん、あれが第三次迎撃通達。それでサイボーグたちが来たんじゃない?」
サイボーグ兵――通称CB兵(Cyborg, Soldier)と呼ばれる、法に基づいて人体の一部を軍事用に改造したものの事で、近年は世界各国へのサイボーグの普及が著しく急増しているのだ。ここ、ドイツにも専用のサイボーグ兵、GCB兵がいる。もともとの体格を生かしたパワー重視の奴らが多く、戦場では重装備の重火器兵が前線に立つことも多いのだ。
彼女は取り出した望遠鏡で、近づいてくるCB兵たちを眺めている。
「GCBの奴らか?」
一応、確認に入る。
「えぇ、GCBの連中よ」
「はぁ……」
また一つ仕事が増えてしまった。とりあえず回収用の支援ヘリが来るまで、前線の奴らを押さえつつ、何とか撤退しよう。
「全く、今日はため息が多いわよ。貴方、今絶対また一つ仕事が増えた……って思ってたでしょ」
「お見通しだな……」
彼女との付き合いは長いが、ここまで見通されると少し困る。
マキシはベレッタM92を腰元のホルスターへとしまい、サウンド・リバティを止めていた肩の接続ピックを外して、腰元に構えた。
「仕方ない、偵察は先に行ってもらったからな―――今度は俺が、先に行こう」
「あら、さすがは私の相棒ね」
メイルは、ささやかな笑みを彼へと向けるともう一度窓へと向き直った。
マキシはサウンド・リバティを眺めた。そして、
「行ってくる」
コンピューター制御室の前方の壁を、切り刻んで飛び出した。
× × ×
建物三階から跳躍する。粉々になった瓦礫が吹き出した。
「目標、侵入者を確認! あそこだ!」
サイボーグたちの眼球素子が、彼の姿をとらえた。マキシの目も彼らの姿をとらえていた。
全部で七人。偵察専属の小部隊といったところだ。
前線に立つGCB兵たちが抱えるUZI短機関銃を連射してきた。いい反応速度だ。抜刀状態のブレードで、マグナム弾を巧みに跳ね返す。複数の弾丸がGCB兵の頭にクリーンヒットした。青白い粘着質の人工血液が一瞬、蜘蛛の巣のように広がり、サイボーグ兵がのけぞって転倒した。仲間が破壊されたことで、サイボーグたちが、軽いプログラムショック状態へと陥る。
「くっ……くそ‼」
マキシが着地する。プロテクトは地面からの衝撃を分離させた。
GCB兵たちが、銃撃では彼を倒せないと判断し、腰元から小型の高周波マチェーテ(身長六十センチ程度の高周波・鉈)を取り出した。右手で腰の高さで一定に構え、基本の戦闘態勢でマキシへと駆け出した。
先頭の一人が、マチェーテを勢いに任せて前へ突き出した。ベテランの兵士なら、攻撃後に隙ができるような行動は起こさない。こいつのプログラムは、まだまだ未熟だな。
彼はGCB兵の動きを完全に見切り、自分の体を右手側に捻ってかわした。ブレードの柄の部分でサイボーグのうなじと脊髄のちょうど中間部分を正確に打撃する。
……打撃による攪乱。
サイボーグは単に人体改造を施しただけの〝人間〟に過ぎない。つまりは首の後ろ、うなじの少し下あたりにある延髄と呼ばれる部位を打撃すれば、サイボーグの言わば中心である集積回路たちが致命的なダメージを受け、一種の錯乱状態になるのだ。
首筋からショートを起こした火花が散り、GCB兵は膝を落とした。
次の二人と相対する。左のサイボーグがマチェーテを彼に向かって薙ぎ払う。マチェーテは軽量で、小型なだけ素早いコンボ技を得意とするが、その分リーチは短い。
直前で少しだけ身を引き、高周波の切断範囲を避ける。マキシは右手のブレードを振り上げる動きで相手の右腕を断ち切った。人工血液があふれ、マチェーテを持ったままの腕が音を立てて落下する。バランスの崩れた体に向かって左足で腹に蹴りを入れ、敵を吹き飛ばした。飛んでいった兵士が、後隊列の兵士に激突した。
GCB兵達がうめき声をあげる。隣にいたサイボーグが、必死に攻撃を仕掛けてくる。
そのGCB兵は、今までのサイボーグとボディカラーのデザインが異なった。
……こいつ、分隊長か。
分隊長のサイボーグには、様々な情報機能が備わっていて、HQ(司令本部)との連絡を取り合うのも、こいつの役割だ。増援を呼ばれてもらっちゃ困る。確実に破壊しなくてはならない。
相手は右手に持った高周波マチェーテを小刻みに振り払い、マキシとの間合いを詰めようとする。分隊長クラスの機体はやはり、性能も動きもいい。
「だが―――」
人間には、勝てないな。
分隊長が相手の足元をすくうように振り払ったマチェーテを、マキシは刃のギリギリで足をまげて跳躍する。攻撃を華麗に回避し、反撃に回った。
空中でブレードのグリップを握り直し、サイボーグ兵の頭部を横一文字に切断する。脳の集積神経の中心、大脳の部分が完全破壊された。GCB分隊長は頭から人工血液を吹きだして、倒れた。
「った、隊長⁉」
兵士たちの視線が、サイボーグの残骸へと集中する。
「よそ見を、している場合か?」
マキシは高周波ブレードを投げた。飛翔するブーメランのように回転のかかった刃が、部隊の間を疾走する。次々にブレードがサイボーグたちを切り刻んでいく。頭、首、延髄、胴体、GCB兵士の数多い弱点をついて破壊していく。空が青白く染まった。
残った二体に向かって彼は駆け出す。一人目のサイボーグにスライディングを決め、宙に浮いたところで帰ってきたブレードをキャッチし、後ろから二つに分断した。
後ろから攻撃をしようとするGCB兵の腹に、ブレードを突き立てる。駆動機能を突き破ってから引き抜き、頭を刎ね飛ばした。
「これで全部か……」
マキシは周りを見渡した。余裕の表情だ。
……大した奴らじゃ、なかったな。
「メイル? そろそろヘリが来る、行こう」
彼がそう言うと、メイルが本部棟の崩れた壁の向こう側から顔を出した。跳躍し、瓦礫をステップにしてマキシの元へとやってきた。
「重要かどうかは分からないけど、これを取っておいたの」
彼女がそう言って出したのは、小型のメモリースティックだ。
「この基地の設備の発注とその搬入。それから、バイヤーとの中間管理書……もしかしたら、これを手がかりに奴らにたどり着けるかもしれないわね」
「あぁ……U・K、にな」
二人は頷き合い、支援ヘリの到着ランデブーポイントまで足を進めた。
……アンジャスト・キーン。
奴らの攻撃範囲がドイツまで進行したら、今度は俺たちの出番だろうな。
彼はそんなことを考えながら、サウンド・リバティに手をかけ眺めた。
……感情をインストールした兵器……。
「近代技術の結晶だな、感情システムも神殻も」
「どうしたの? 急に」
神殻の動作チェックを行っていたメイルが、楽しげに笑った。
「いや、だって本当の事だろ?」
「えぇ、そうね。ここ数年の珀羅さんの働きで、この世界全てが変わった気がするわ」
「感情システム……素晴らしい技術だけど、悪用されないという可能性は無い」
「そうだけど、その為にIDバイオ・セーフティが付いているんじゃない」
確かに彼女の言うとおりだ。感情システムに対応する兵器、属に〝神殻武装〟と呼ばれる武装は使用者のユーザー登録によって利用可能になる。登録後、神殻がユーザーを記憶し、IDバイオ・セーフティが作動する仕組みになっている。これはユーザー以外の他者による武装の不許可使用を防止する機能で、他者が使用しようとするとセキュリティロックがかかり、起動しなくなるシステムなのだ。
「まぁ、確かに」
遠くからヘリのローター音が聞こえ、気付くと支援ヘリがランデブーポイントへと近づいていた。ヘリの操縦士から通達が入る。
『こちらモルフォ(回収ヘリ)間もなくランデブーポイントに到着する』
回収用の大型ヘリが上空で数秒待機し、ポイントへと降り立った。
轟音と共に豪風が荒れる。二人の髪が荒々しくなびいていた。
「マキシ様、お迎えに参りました」
「クラウスか」
燃えるような赤毛の男が、ヘリから降りてきた。右の手で銀縁眼鏡を押し上げ、硬い表情を崩さずにいるこの男は、マキシの同僚で、分隊の副指揮官であるクラウス・レオンハルトだ。耳に掛けたヘリ内での会話用ヘッドフォンを左手で押さえ、ヘリの制御パッドを片手に持っている。
二人は支援ヘリへと乗り込んだ。ハッチが閉まる。内装の広い回収用のモルフォは、閉塞感が普通のヘリよりも少ないため、精神を削る特殊部隊の兵士は大半がこのモルフォを使う。
「お疲れ様でした、マキシ様」
マキシは装着したアームズプロテクトの手首の部分を捻った。カチッという音とが一瞬すると、皮膚と甲殻版の間に隙間ができプロテクトを格納していった。甲殻版が全てしまい込まれ、ゴットリンクの腕輪の状態へと換装した。
このモルフォには画期的な機能がある。〝アーセナル〟と呼ばれる、言わば神殻の充電スポットのようなもので、武装を自動的に外膜スキャンし流化燃料の補充を行ってくれる。
「マキシ様、また神殻に無茶をさせましたね……改修されてからまだ一週間も経過していないのですから、もっと丁寧な戦闘を心掛けてください」
クラウスが、アーセナルにセットされたサウンド・リバティを眺めて、呆れたように言った。神殻の外膜スキャンからは傷一つ検出されなかったが、その代わりと言っていいほど流化燃料の消費が激しかった。
「何だよ、丁寧な戦闘って」
「神殻に頼り過ぎず、もっと通常武器を使用することです。基地の重火器設備を裏工作で爆破するなど、隠密に行動してもらわないと困ります」
分隊副指揮官である彼は、育成する兵士たち全員の詳細プロフィールに常に目を通している。その分だけ、一人ひとりの性格がよく分かっているのだ。
『まぁそう言うな、クラウス』
ヘリ内に、男性の深みのある声が響いた。
モルフォの機内に取り付けられた液晶パネルの一つに、男の顔が写っている。
「そうやって甘やかしていると、ろくな目にあいませんよ、バドリメス」
クラウスがそう言って中指で眼鏡を押し上げた。
バドリメスと呼ばれた画面に映る男、本名、ガイ・バドリメス。マキシたちが所属する特殊機動殻課『VAILE』の最高司令本部長で、分隊指揮官だ。
彼はふざけるように笑った。
『相変わらず、お前は頭が固いな。いいじゃないか、マキシとメイルのおかげで基地の件は今日中に片付いたんだから』
「全く……」
クラウスはまた眼鏡を押し上げた。これは彼の癖なのだ。ドイツ人男性は我が強い、まぁもっとも、女性はその何倍も上を行くのだが。
「貴方がそうおっしゃるのなら、仕方がありませんが……マキシ様にはもっと特殊部隊としての自覚を持っていただかないと」
『だから、クラウス。そう言う所が固いんだって』
ガイが楽しげに笑う。
そんな二人の光景を眺めながら、マキシはシートにもたれかかった。
神殻武装は、使用者本人の精神と体力を大幅に削る。確かに今日は調子に乗って神殻に頼りすぎたかもしれない。まぁ実際、戦闘時間は約六倍だからサウンド・リバティは五分ぐらいしか起動してなかったんだけどな……。
今日のミッションで、U・Kのことが頭にこびりついてしまった。
あのテロ組織には優秀な技術者が後ろ盾している。そもそも、テロリズムというものは強い信念や感情から突起することが多い。あそこまで正確な偽装データを拡散するには、相当な技量が必要とされるはず。
疑念が渦巻く中、画面が珀羅の元へと切り替わる。
『二人とも、お疲れ。マキシの方はよさそうだったけど……メイルの方は? シャウト・レインの方はどうだった?』
液晶画面には、【After a missions―Debriefing(作戦遂行後・集積報告)】の文字が浮かんでいる。
「えぇ、とてもよかったですよ。バージョンをアップしてから、スナイプフェイスの標準制度がかなり上がりましたし。脱着の際にも、変な引っ掛かりは無くなりました」
珀羅が嬉しそうに微笑んだ。
『ならよかったよ。VAILE全員の武器装備開発担当だと、頭が回らなくなりそうになるから。やっぱり誤差がないか確認するには、実施試験に限るね』
彼は画面の奥でメモを取ると、今度はマキシの方へと目をやった。
『マキシの方からは、何かあるかい?』
マキシはゴッドリンクを手に取り、一通り眺めてから呟いた。
「ゴットリンクを起動してから、装着するまではとてもスムーズになったんですが……サウンド・リバティの方は、ジェットブレスのシステム起動後に技を発動するまでに、ほんのちょっとだけタイムラグがあるような気がします」
画面の向こう側で、珀羅がパソコンを操作する音が聞こえる。液晶画面が切り替わり、サウンド・リバティの細かい設計企画図が表示された。
『えっと、左側が改修前の旧サウンド・リバティで、右側が今のなんだけど―――』
「前回と比べると音波を圧縮するBLESSE機構が、かなり変更されていますね。グリップの部分も電磁気を利用して、アームズプロテクトに密着するように設計しなおされていますし」
VAILEに所属する前は三年間、電気工学科を専攻していた彼は、設計図を見る目も越えている。マキシは戦闘者としてだけじゃなく、技術者としてもタフなのだ。
『その通り。今のサウンド・リバティに搭載されている音圧機構は、BLESSERと呼ばれるものが搭載されているんだけど、たぶん、音波の圧縮密度を前回よりも上げたから、流化燃料が充填されるのが0.05秒くらいずれたのかもしれない』
「その程度の誤差でしたか。なら問題ありませんね」
うん、と珀羅が頷いた。
『それじゃ、そのことも含めて二次運転試験を楽しみに待っているよ。また基地でね』
「はい、またあとで」
珀羅との通信が終わった。
ふぅ、と一息ついてから、マキシはシートの手かけ部分に付けられた操作パネルをタッチした。ドイツ領宙内に浮遊する人工衛星を通して、特殊攻殻課専用ネットワーク『G・V・N』に接続する。彼の眼前に、光化学を応用した表示枠が現れた。薄い光の膜のような画面をタップする。
今回の作戦……。
それは、アメリカ参謀本部及びペンタゴン特例通達のミッションだった。VAILE本部が位置するドイツの首都ベルリンから南西へ百二十八キロメートル行ったところの、マグデブルクという都市。その町の郊外にある軍事許可を申請されていない基地を調査するというのが今回の任務だったのだ。侵入経路確保のため基地周辺の迎撃設備を破壊し、ドイツの国際軍事ネットをかいくぐった基地の制御データを回収・削除する。それが作戦でのミッションステップだったのだ。
だが、この基地の全てがテロ集団の偽装だったと誰が想像できよう。
そうとなるとU・Kはこの施設を建設し、偽装データで軍事ネットを欺いてまでここで何がしたかったのだろうか……ドイツの、マグデブルクだからこその理由が。
彼の透き通るような青い目が眼鏡越しに覗く。その瞳は空を眺めていた。
検索ツールバーを起動し、『U・K』と打ち込む。VAILEの機密ファイルの中から、関連情報が次々ピックアップされ、複数の写真が掲示された。今までのテロ行為の経歴が一覧で並べられ、その時の詳細写真が見られるようになっていた。
写真を眺める。
……彼らの行動は一定じゃなく、まばらだ。
三か月前から行動を開始した彼ら。先月はアメリカ参謀本部のハッキング事件だったが、その前までは自ら行動を起こして、イスラエルやパキスタンといった中南米の国々にテロリズムを行ってきた。
「なぁ、メイル……お前って何か宗教持ってたか?」
「私? まぁ、カトリックとプロテスタントで、キリスト教の両教派に属するけれど……これといって信仰しているものは無いわ。それがどうかしたの?」
マキシは表示枠をスライドさせ、写真を見ながら話を続ける。
「U・Kのテロの記録を見ている限りだと一定の地域に偏ったものじゃなくて、様々な国と地域に手を伸ばしているんだよ。宗教がらみのテロだったら、もっと一点に限った攻撃をするから、気になって聞いたんだ」
「……そう。マキシは、何か宗教を信仰しているの?」
メイルが隣の席から身を乗り出して、興味深そうに尋ねてきた。
「いいや。俺は特に何も」
「何もないの? てっきりドイツと日本のハーフだから、いろいろ宗教が異なるのかと思っていたのだけれど。今から何か信仰してみようって気はないの?」
「〝神は天の支配者〟っていう前提が嫌だ」
彼女は呆れた、と肩をすくめてシートにもたれかかった。
「何とも、あなたらしい答えだこと」
彼女はアーセナルにセットされた、神殻のチェックに回った。
それを見届けると、マキシはU・Kに関する情報をさらに検索するため、VAILEのトップ機密ファイルページを開いた。そこには、認証IDパスを入力するためのツールバーが表示されていた。
「VAILEのトップパスか……」
無理だと思いつつも、自分の認証IDを打ち込んでみる。だが、何度やってもセキュリティエラーの文字しか出ない。やはりマキシのセキュリティレベルだと、閲覧する情報が限られてくるのだ。
「やっぱりダメか」
マキシは表示枠を閉じて、シートに深くもたれた。そして瞼を閉じる。
……あいつらは、U・Kとはいったい何者なんだ……。
澄んだ美しい青の空には、叩くようなヘリのローター音と、彼の疑念だけが渦巻いていた。
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