第1話 神様、持ち込みアイテムはウォシュレットでお願いします
「それでは、あなたには異世界に転生していただきます」
目の前の神様は、さも当然のようにそう言った。
白い空間。
白い服。
白いひげ。
いかにも神様という風貌である。
俺は死んだらしい。
詳しい死因は聞いていない。どうやらトラックに轢かれたとか、階段から落ちたとか、そういうありふれた理由ではないらしい。
まあ、死んだものは仕方ない。
問題はこれからだ。
「転生にあたって、ひとつだけ特典をお付けしましょう。武器でも、魔法でも、特殊能力でも構いません。あなたの望むものをひとつ、異世界に持っていくことができます」
ほう。
なるほど。
剣か。
魔法か。
それとも不老不死か。
普通ならそう考えるところだろう。
しかし、俺は違った。
俺には、どうしても異世界に持っていきたいものがあった。
「ウォシュレットをください」
「……はい?」
神様の眉がぴくりと動いた。
「ですから、ウォシュレットです。温水洗浄便座。あの、お尻を洗ってくれるやつです」
「いや、聞こえています。聞こえていますが……」
神様は困惑していた。
当然だろう。
異世界転生という人生最大のチャンスに、俺が要求したのは剣でも魔法でもなく、温水洗浄便座なのだから。
「本当に、それでよろしいのですか?」
「はい」
「もっと強力な魔法などもありますよ?」
「いりません」
「伝説の聖剣なども……」
「ウォシュレットで」
「世界を滅ぼすほどの力を秘めた魔道具なども……」
「ウォシュレットでお願いします」
神様は黙った。
そして、長い沈黙の後、深いため息をついた。
「……あなたは、ウォシュレットの何がそこまで気に入っているのですか?」
俺は少し考えた。
そして答えた。
「人類の叡智だからです」
「……は?」
「考えてみてください。人類は火を手に入れ、農耕を始め、文明を築き、蒸気機関を発明し、電気を発見し、ついには宇宙にまで進出しました」
「ええ」
「その長い歴史の果てに、人類がたどり着いたひとつの完成形。それがウォシュレットです」
「いや、ちょっと待ってください」
「紙で拭くという原始的な行為から、人類はついに解放されたのです。温水で洗い、風で乾かす。これ以上の文明的進歩がありますか?」
「……」
「異世界に行ってまで、俺は尻を犠牲にしたくありません」
神様は額に手を当てた。
「分かりました。もう分かりました。では、そのウォシュレットをお渡ししましょう」
「ありがとうございます!」
「ただし、ひとつ条件があります」
「条件?」
「電気も水道もありませんので、こちらの世界の魔力で動くように調整します」
「最高じゃないですか!」
こうして俺は、異世界転生のお供にウォシュレットを手に入れた。
目を覚ますと、そこは森だった。
空は青い。
木々は大きい。
空気はうまい。
そして、俺の目の前には一台の白い便座があった。
「……本当に来たんだな」
便座の側面には、見慣れた操作パネル。
おしり。
ビデ。
水勢。
水温。
乾燥。
完璧だ。
「よし」
俺は便座を抱え上げた。
重い。
思ったより重い。
だが、そんなことはどうでもいい。
俺はこれから、この異世界で生きていく。
剣もない。
魔法もない。
仲間もいない。
だが、ウォシュレットがある。
それだけで十分だ。
そのときだった。
「おい、そこの男!」
振り返ると、鎧を着た兵士が三人立っていた。
「貴様、そこで何をしている!」
「え? いや、ちょっと転生を……」
「その白い魔道具は何だ!」
兵士の一人が剣を抜いた。
どうやら、この世界ではウォシュレットが珍しいらしい。
俺は少し考えた。
そして、便座を地面に置いた。
「見せてあげましょう」
「何をだ!」
俺は操作パネルのボタンを押した。
ウィィィン。
便座が起動する。
そして、ノズルが静かに姿を現した。
兵士たちは固まった。
「な、なんだ……?」
「魔法陣か?」
「いや、待て。水が出ているぞ!」
俺は微笑んだ。
「これが、文明です」
その瞬間。
兵士の一人が膝をついた。
「おお……!」
「どうした!?」
「神の御業だ……!」
違う。
神様の御業ではあるが、そういう意味ではない。
俺は思った。
この世界、案外楽しくなりそうだ。
ただし、ひとつ問題がある。
俺はまだ、この世界にトイレがどこにあるのかを知らない。
第1話 完




