石段
学校の昼休み、秋の終わりの裏庭。私はいつも一人だった。
高校入学以降、なかなか友達ができなかった。クラスメイトを食事に誘う勇気がなくて、でも一人でいることを悟られたくなくて、人目につかない石段の隅でお弁当を広げる。それが私にとっていつもの昼休みだ。今日もそうなるはずだった。
ふと顔を上げると、目の前に人が降り立った。白いワンピースに銀色のウェーブロングヘア。黒いけもの耳と尻尾。背中には折りたたまれた翼。首に小さな鈴。虹色の瞳。そして、天使の輪。
「人……?」
思わず消え入るような声で呟いた。身体的には私と同年代くらいと感じさせる。しかし、人間離れした美しさを放っていた。同時に、本来この世のものでは無いということを、漠然と感じさせる説得力があった。でも、怖くはなかった。なぜか、全然。
私がおかしくなってしまったのだろうか、とも思った。孤独を拗らせ、ないはずのものが見えてしまっているのかも、と。そう考えるとますますみじめな気がしてきたので、私はお弁当箱の隣に少しだけ場所を空けた。私なりに勇気を出した、私らしくない行動だった。
その子はとことこ近づいてきて、石段に座った。その様子を見て、少し嬉しくなった。
その子は喋らなかった。喋れないのかもしれないが、喋れるのに喋れない私も同じようなものだ。私たちは同じ方向の空を見ていた。
りん、りん……と、風に揺られる鈴の音だけが、静かに響き渡る。言葉を交わさずとも、心地よい時間が過ぎていく。
やがてチャイムが鳴り、次の授業が迫っている事に気付く。私は慌てて弁当箱を持ち、小走りで教室へ向かった。結局一言も交わせなかった。私は意気地なしだ。あの子は私をチラリと見て、再び空をぼんやり見上げていた。
翌日もあの子は来た。その翌日も。
相変わらず会話は無い。遠慮がちにお弁当を食べる私と、隣で空を見上げるあの子がいるだけだ。それでも確かな心地よさを感じていた私は、また明日会うことが楽しみになっていた。
期待に応えるように、翌日もあの子は居た。隣でお弁当を食べることに抵抗がなくなっていた事を自覚し、ついに私は話しかけることにした。
「……あなたはどこからきたの?」
「……」
「帰るところはあるの?」
「……」
返事は無い。聞いていないわけでは無いようだ。虹色の大きな瞳は確かに私を捉え、きょとんとした顔で見つめている。それに耳がぴょこぴょこと動き、尻尾が少し揺れている。受け入れ難いが、耳も尻尾も翼も、どうやらアクセサリーではないらしい。
「嫌じゃなければ、私の話を聞いてくれる?」
返事はもらえないとわかっていながら問いかける。あの子は相変わらず無口だが、耳がぴくりと動き、尻尾が少し揺れている様子から、嫌ではなさそうだと解釈した。
そして私は話した。今日の授業がつまらなかったこと。クラスメイトとなかなか友達になれないこと。部活に入る勇気がないこと。家族とも上手く話せないこと。誰にも言えなかったことばかり、時々声を詰まらせながら赤裸々に語った。
軽蔑されると思った。蓋を開けてみれば、私はこんなことしか話せない。楽しいことなんて何もなくて、いっぱいいっぱいな奴なんだ。誰かに私をわかってほしいだけなのだと、エゴを孕ませた心の叫びを、自虐的に話すのが精一杯だった。それを聞く相手が知り合って間もないあの子なのだから、我ながら押し付けがましく最低だと思った。
あの子は何も答えない。でも耳がぴくぴく動いた。尻尾が揺れた。それだけで、なぜか全部伝わって、受け入れてもらえている気がした。
ひとしきり話し終えた頃、夕暮れ時のチャイムが鳴る。初めて授業をサボっていた。
「……聞いてくれてありがとう」
そう言ったとき、あの子がこちらを見た。
何かを言おうとして、口が少し開いて、でも音にならなかった。
そうしていつも通り、人畜無害そうなきょとんとした顔でこちらを見つめていた。
翌日の昼休み。つまらない話をしてしまったという、若干の後悔と不安に苛まれながら、私はいつものところへ行った。
変わらぬ様子であの子がいた。とても安心した私は、つい、ぽつりと言った。
「わんちゃんみたいね、あなた」
のんびりとしていて、肯定も否定もしない無垢な表情で、私をみつめるその姿が愛しくてそう言った。
するとあの子の耳がぴんと立って、尻尾が大きく揺れた。怒ってるのか喜んでるのか分からなかったけど、私は笑った。久しぶりに、声を出して笑った。あの子はきっとわんちゃんの生まれ変わりだ。なんて、意味不明なことを考えている自分がまた面白いと思った。
あの子も笑ったかどうか、よく分からなかった。でも目は優しく、口の端が少し上がった気がして、私にとってはそれがたまらなく嬉しかった。
翌日、裏庭に降りた白いものがあった。
一枚の羽根だ。その日、あの子は現れなかった。
私はしばらく羽根を持ったまま石段に座り、お弁当は開けなかった。あの子が来たら一緒に食べるか誘ってみよう、なんて考えていた。
しかし翌日も、その翌日も、ついにあの子が現れることは無かった。
……
次の週の昼休み、私は初めて食堂に行った。一緒に食べないかとクラスメイトに声をかけてみたが、結果は芳しくなかった。
なぜそうしようと思ったのかはうまく説明できない。ただ、隣にあの子がいたとき、私は安心していた。心を開いていた。あの子がすごい力を秘めているのかもしれないとも思った。しかし実際何をしてもらえたかといえば、羅列するほど多くのことはなく、複雑なことでも無い気がする。
そういった思考の末に、存外、人の心はそんなものなのかもしれないという、ある種の諦念を帯びさせた。ほんの少しだけ、前向きに生きる力をもらえた気がした。
私は二度と、石段の隅を空けることはない。
石段にはもう、誰もいない。




