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黒猫勇者と怠惰の宰相 〜引きこもりの俺、安眠のためにリモートワークで異世界を改革する〜 膝の上の愛猫が最強勇者であることを俺は知らない  作者: 香箱夫妻
第五章:怠惰の統治

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第115話:言質の罠と、盤上の静寂

「……魔族だと!? グスタフ殿、正気か!」 「知の競演と聞いて参じれば、よもや人外の類を貴族の列に並べるとは!」


 広間を埋め尽くす貴族たちから、悲鳴に近い怒号が湧き上がった。

 アルゴの浅黒い肌。その姿は、この世界の人間にとって「対等な対話の相手」ではなく、恐怖と忌避の象徴でしかなかった。


「無礼も極まれり! このような不浄な存在と同じ卓を囲むなど、貴族の誇りが許さぬ!」

「フェルゼンは魔族を飼い慣らしているとでも言うのか? 狂気の沙汰だ!」


 招待された周辺領主の一人が椅子を蹴って立ち上がり、広間を後にしようとする。それに同調するように、次々と他領の貴族たちが席を立ち始めた。彼らにとって、魔族と同じ遊戯に興じることは、自らの社会的地位を根底から汚す行為に他ならなかった。


 罵詈雑言の嵐が吹き荒れる中、アルゴは静かに立っていた。

 眉一つ動かさず、自身の身なりを整えることもせず、ただ無機質な瞳でダリル公爵を見つめている。その佇まいは、周囲の感情的なノイズを一切受け付けない、堅牢な城壁のようでもあった。


「――皆様、そこにお座りください」


 広間の喧騒を切り裂くように、グスタフの鋭い声が響いた。

 彼は壇上で凛とした姿勢を崩さず、退場しようとする貴族たちを、そして何より呆然とアルゴを見つめているダリル公爵を、射抜くような眼差しで見据えた。


「フェルゼン杯は、一切の不純物を排した『知の戦場』です。そこに種族という名の盤外の事情を持ち込むことこそ、この遊戯に対する最大の無礼ではありませんか?」


「ふざけるな、グスタフ! 魔族と知を競うなどという話、聞いてはおらんぞ!」


 食ってかかる伯爵の一人を冷徹に一瞥し、グスタフはゆっくりと歩を進め、ダリル公爵の正面へと立った。


「公爵閣下。……忘れたとは仰いますまい。以前、あなたが私に突きつけた言葉を」


 ダリルが、ハッとして息を呑んだ。 グスタフは、朗々と、しかし刃のような鋭さを持って、ダリルの放った「言質」をその場に叩きつけた。


「『ならば、その知性の化け物を連れてくるがいい。そいつもまとめて、私の執念で捻り潰してやる』……閣下は、そう仰いましたね?」


「……それは」


「あなたは『まとめて』と仰った。相手が何者であろうと、その知を凌駕して見せると。……今さら肌の色が違う魔族だという理由で逃げ出すのは、自らの『言の葉』を汚すこと……。ひいては、軍略家としての敗走と同義ではありませんか?」


 グスタフの言葉が、ダリルの逃げ道を完全に塞いだ。

 周囲の貴族たちは、自分たちの代表であるダリルが、魔族を拒絶することを期待していた。しかし、ダリル公爵という男の根底にあるのは、軍人としての誇りと、強者に対する異常なまでの執着だ。


 ダリルは、目の前に座ろうとしているアルゴを見つめた。

 罵倒されてもなお揺るがぬ、その圧倒的な知性の気配。この数ヶ月、自分が死に物狂いで研鑽してきた「理」の深淵が、目の前の男の瞳の奥に、確かに存在していることをダリルは直感した。


「……黙れ!」


 ダリルの一喝が、騒ぎ立てる貴族たちを黙らせた。彼は、震える手で自身の椅子の背を掴み、力強くそれを引き寄せた。


「私に背を向けて逃げろと命じるのは、どこのどいつだ。……私は『最強』と戦いに来たのだ。相手が神であろうと悪魔であろうと、この六十四のマスの上に座るならば、それはただの打ち手よ」


 ダリルの宣言に、広間は墓場のような静寂に包まれた。 退場しようとしていた貴族たちも、その圧倒的な威圧感に気圧され、固唾を呑んで事の成り行きを見守るしかない。


 ダリルが重々しく腰を下ろすと、アルゴもまた、音を立てずに椅子に座った。


「……来い、フェルゼンの深淵。貴殿の論理が、私の執念を凌ぐか。今ここで見定めてやる」


「――承知いたしました、公爵閣下」


 アルゴの無機質な声が、対局の開始を告げた。ダリルが震える指先で、最初の一手を打つ。

 それに対し、アルゴは考慮時間など皆無であるかのように、一秒の遅滞もなく応じた。


 カツ、カツ、と駒が木板を叩く音だけが、不気味なほど静まり返った広間に響く。

 観客たちは、先ほどまでの怒りを忘れ、異様なプレッシャーに息をすることさえ忘れていた。


 ダリル公爵は、戦慄していた。

 アルゴの手が早いのではない。自分が一手打つごとに、まるで最初からそう指すことが決まっていたかのように、流れるような無駄のない動きで「正解」が返ってくるのだ。


 それは対局というより、精緻な機械に、自らの思考を解体されていくような感覚。

 フェルゼンが構築した、冷徹なる演算の暴力が、ついに周辺領主たちの「常識」を侵食し始めていた。

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