第113話:盤上のファイアウォール
社会保障制度の骨組みをグスタフとアルゴに託し、俺はリクライニングの上で大きく伸びをした。脳のオーバーヒートは少し収まったが、まだ思考の残滓で火照っている。
「……ふぅ。これでバックエンドの脆弱性対策は目途がついたかな。……ところで、例の『チェス』の方はどうなってる?第二回の晩餐会……いわばフェルゼン・プロトコルの強制アップデート。こっちが今は最優先だよ」
俺の問いに、グスタフは待ってましたと言わんばかりに、手元の手帳を弾むように開いた。
「はい、ゼクトさん。経過は極めて順調……いえ、期待以上の『異常事態』が周辺領地で起きていますよ。第一回の晩餐会で配ったチェスセットですが、ダリル公爵をはじめ、各領主たちは文字通り寝食を忘れて没頭しているようです。……特にダリル公爵は、領内中から数学者や軍師を集めて、『打倒グスタフ』のための研究会を立ち上げたとか」
グスタフはそこまで言うと、少し悪戯っぽく、それでいて確信に満ちた笑みを浮かべて続けた。
「周辺領主たちの熱気は、既に臨界点を超えています。私に再戦を迫る書状が、毎日何通も届いている状況です。……ですのでゼクトさん。次の晩餐会は、ただのパーティーではなく、周辺の領主たちが威信をかけて知を競い合う『チェス大会』という形式にしようと考えているのです」
「……チェス大会、か。いい演出だね」
俺はコーラを一口飲み、ニヤリと笑った。
(よし。連中の思考リソースを、軍事的な策謀じゃなく、『六十四のマスのパズル』に固定することに成功したわけだ。サンドボックス化は成功だな。隔離された安全な環境で、存分に暴れてもらえばいい)
「相手がこちらの用意したプラットフォームに乗った瞬間、勝負は半分ついている。……アルゴさん、あなたの方はどう? 次回の『最終ボス』としての準備は」
控えていたアルゴが、眼鏡を指先でクイと押し上げた。レンズの奥に、冷徹な演算の光が宿る。
「……準備は完了しております。グスタフ様との対局を通じて、周辺領主たちが陥りやすい戦術的な癖のパターンは、既に八百万通りほどシミュレートしました。……彼らがどれほど研究を重ねてこようと、私の前では、全ての指し手が『過去の計算済みデータ』に過ぎません」
「頼もしいね。……いいかいグスタフ、大会は最初は君が出るんだ。そして最後、大会の優勝者とアルゴさんとの対局がメインイベントだ。……圧倒的な知性の暴力で、彼らのプライドを、魔族という存在への敬意に書き換えてやるのさ」
グスタフは深く頷きつつも、どこか楽しげな表情を浮かべた。
「……文化的な侵略、ですね。彼らは自領でチェスを流行らせ、フェルゼンの定跡を学び、フェルゼンの基準で知を競う。……気づけば、フェルゼンを攻撃することは、自らの拠り所とする『高尚な文化』を破壊することだと同義になる」
「その通り。それが『デファクトスタンダード(事実上の標準)』を取るってことだよ。武力で制圧すれば反乱が起きるけど、文化で依存させれば、彼らは自ら進んでフェルゼンというシステムの一部になりたがる。……最強のファイアウォールは、物理的な城壁じゃなくて、相手の脳内に構築する依存関係なんだよ」
「ナォン(……あんた、またそうやって人をゲーム中毒にして操ろうとして。……でも今回は平和なハッキングね)」
内部を社会保障で固め、外部をチェスでハックする。フェルゼンという名の「新世代OS」は、いよいよ周辺世界というレガシーな環境へと、大規模なデプロイを開始しようとしていた。
「よし、グスタフ。第二回晩餐会……いや、『第一回フェルゼン杯』の招待状を発送しよう。……ただし、今回はただの遊びじゃない。フェルゼン史上最大の、知のエンターテインメント・ショーにするんだよ」




