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目を覚ますと、七時半だった。十一時に寝たから、言わずもがな朝の七時半だ。
「あー……しくった」
一人ごち、欠伸をかみ殺す。まぁ、寝過ごしたものは仕方がない。時計は巻き戻らないのだ。反省をして次に活かす。それだけ。それに私は他の四人と違って、ランニング仲間がいない。どうランニングをしたかどうかなんて、黙ってれば誰にもバレないんだから。李珠だって、毎日毎日確認なんかしてこないだろうし……。
「あ、動画」
思い出し、寝ぼけていた私の頭は一気に覚醒した。
重い足取りで教室に辿り着く。辿り着いて、しまった。教室の戸を開くなり、待ち構えていたかのように李珠が私の目の前に現れる。
「おはよう美波! 今日も……あれ? 今日は元気だね。ランニング、慣れたの?」
昨日に引き続き「今日も酷い顔だね!」と茶化しにきたようだが、私の血色良い顔を見て李珠の頭に疑問符が浮かぶ。私は「ま、まあね」とブレる声で呟き、鞄を置くべく自席へ向かう。のだが、李珠は客引きのような素早さで付いて来た。
「ねぇ美波、昨日話したあれなんだけどさ」
「何のことかしら? あら李珠、そういえば今日は一段と可愛いわね」
「うんそれは私も知ってるんだけど、それより昨日話したあれ、動画の件だってば」
クソ、話を逸らすことはできなかったか。しかも、私の席の周りには玲奈と瑠琉、瑠琉の机付近には沙希もいる。取り囲まれてしまい、背筋に変な汗が流れるのを感じた。
「おはよう美波。昨日の通話、何か眠そうじゃなかった?」
「おはよう玲奈。そうね、少し眠かったかしらね」
「おはようございます美波さん。聞いてください、私今日、なんと五キロも走ったんです」
「おはよう瑠琉。凄いけれど、あまり無理をしない方が良いわ」
「おはよう美波。今日は顔色良いね。元気そうで良かった」
「おはよう沙希。ええそうね。何故か今日は元気なのよね何故か」
「ところで美波、動画の件なんだけど」
あぁ煩い。蝉の合唱の方がまだマシに思える。私が引き攣った笑みを浮かべていると、
「……もしかして美波、今日走ってない?」
勘の良い李珠が、じとーっとした目を向けてきた。私は咄嗟に「そんなわけないじゃない」と口走り、鞄からスマホを出す。
「ほら、これが証拠の動画よ」
そう、一応動画は撮ってある。と言っても、家を出てバス停に向かうまでの道を小走りで駆けた、三十秒程度の動画だけど。因みに家からバス停までは七分。バスを降りてから学校までは歩いた。
「これ、美波は映ってないの?」
尤もな指摘を玲奈がしてくる。その通り、この動画は走っている私の足元しか映っていない。しかも無言。強いて言うなら、息を切らしている音は入っている。
「だって、自分で自分を映すってどうすれば良いのよ。走っているところの動画を撮るなんて、誰かが私にカメラを向けてないと無理じゃないかしら」
「いや、普通に内カメにすれば良いんじゃ……」
睨むと沙希は黙った。渋い顔で動画を見る面々だが、私のそれらしい言い訳には騙されてくれたようで安心する。誰も、私が今朝寝過ごしたことには気づいていない。
「確かに、美波さんは一人で走ってるんですもんね。私達は二人体制ですから、各々を撮ってっていうのができましたけど……。やっぱり、ランニングの記録を残すのは難しいのではないでしょうか。一人だけの動画だと、何を喋ったら良いのか解らないというのもあるでしょうし」
動画を見終わった瑠琉がそう言うと、李珠も「まぁ、うーん」と腕を組む。そうそう、ランニング動画なんて、一刻も早くやめるべきだわ。
「ねぇ、美波」
「な、なによ」
李珠が、静かに私を見つめてくる。思わずたじろいでしまいそうになるが、平静を努める。李珠は何かを問い詰めるようにじっと私を見つめた後、
「いや、うん。まぁいいや」
と張り詰めていた表情を崩して、あっけらかんと言った。何が気になったのか見当もつかないが、真実には気づいていなさそうだ。
「取り敢えず、動画は明日からも撮るようにしよう。一週間分撮ったら編集してみるから。美波は撮れる範囲でお願いね」
李珠の纏めに内心嫌な顔をするも、「解ったわ」と素直に頷いておく。これ以上勘づかれるわけにはいかないし、嫌だと言うつもりもない。
大丈夫。明日からはちゃんと走るのだから。そう、自分の心に言い聞かせた。
*
七月は快晴の日が続き、雀は元気に飛び回り、蝉は合唱を繰り返し、私はベッドで目を閉じていた。起きてはいる。が、起きたくない。身体を起こす気力がない。朝がきたという現実を受け止められず、冷房の爽やかな風に身を任せる。
スマホのアラームが鳴り、止める。カーテンの隙間から差し込む朝日に見ないふりをして、寝る。
あと五分だけ、と目を閉じる。それがフラグであることを、頭の片隅で理解はしていたのに。
Sky′sのモーニングルーティンにランニングが追加されてから早一週間と三日。私が真面目にランニングをした日は、僅か三回だった。因みに雨の日は一回もない。ここ最近、洗濯物がよく乾くと母は喜んだ。
そして、李珠は大変ご立腹のようだった。
「どういうこと?」
私の机にバンっと手を置いて、低い声で問うてくる。私は反論しようとして、全面的に私が悪いので、「……ごめんなさい」と小さく呟いた。
「私言ったよね? 毎朝走ろうねって、これは義務だからねって。動画はもう良いよ。百歩譲ってそれは良い。でも、走ってないってどういうこと?」
やはり、嘘はいずれバレる。皆が課題を提出しているなか一人だけ未提出だったら、理由を訊かれるのは当然のことで。下手に誤魔化すこともできず、正直に言えば許してくれるかなーと考えていた自分が甘かった。これは、皆で決めたことなのに。李珠が怒るのも無理はない。
「その、本当に申し訳ないと思っているの。明日からはちゃんと走るから……」
「ほんとに? やる気ある?」
「まぁまぁまぁ。李珠、その言い方は良くないよ」
玲奈が嗜め、李珠は「……ごめん」と謝る。声量は抑えているので教室の空気は普段通りだが、私達の間に流れる空気は重い。視界の端で、沙希と瑠琉が目を合わせ苦笑している。
周りが騒々しいせいか、落ちた沈黙が一際静かに感じる。妙な空気が流れ、でも私が口を開くのもなんだか違うような気がして、黙るしかない。
すると、チャイムが鳴った。
「ほら、HR始まるよ」
玲奈がそう言って、各々を自席へ促す。李珠は無言で、沙希は敢えて明るい表情で「また後で」と残して去っていき、瑠琉は前の席に座る。玲奈が私の後ろに着席し、
「大丈夫。李珠も本気で怒ってるわけじゃないと思うよ」
と小声で言う。私は「そうね」と返すも、裏腹に下を向いてしまう。李珠が本気で怒っているわけではないことは、私にも判っている。本気だったらもっと冷たい対応をしてくるだろうし、怒りをぶつけられたと言うよりかは注意された、のニュアンスが正しい。
ただ、何も反論できないことが、約束を破ってしまった自分が、客観的に見て嫌な奴だなぁと悲しくなってしまった。やる気があるのかと訊かれて、やる気なんかないと一瞬考えてしまった自分が、酷い奴に思えたのだ。
Sky′sの活動は頑張っていきたい。作曲も歌もダンスも、皆の力になりたい。やる気はある。でも、運動だけはどうしても駄目なのだ。体育の授業だって好きではないのに毎朝ランニングなんて、すぐに運動神経が良くなるならまだしも、そうじゃないならモチベーションがない。
だが、明日からは絶対走る。何が何でも起きて、例え雨だったとしても合羽を着て走るつもりだ。好きじゃないことも頑張らないと、皆の足を引っ張ってしまうから。
そう意気込んでみたけれど、どうしても、ランニングを楽しみにすることはできそうになかった。




