ふっかつのじゅもん【後編】
当時、俺は決して“クラスの人気者”という立場では無かったし、どちらかというと周囲に埋没して、時にはからかいの対象となるような奴だった。現代のような陰湿なイジメはなかったが、『プロレスごっこ』と称した手荒なからかいはあった。また、多少乱暴で子どもらしい、純粋な残酷さに満ちた言葉でのからかいもあった。
俺がもっとも“からかわれる”要因となっていたのは、真咲との交流に関係するものだ。
同じ町内でお互い面識もあったというそれぞれの親だが、いったい何を思って名前を付けたのか、と問い詰めたくなる気持ちは今でもある。
当時の俺の氏名は――『正木 和泉』
いっぽうの真咲は――『伊豆見 真咲』
涙目で訴えかける俺に、『ほら、お母さん、女の子が欲しかったから、女の子の名前しか考えてなかったのよねー?』と、まるで悪気無い様子で告げた母親が憎らしい。
それでも「音」と「字面」だけならまだ良かった。「いずみ」は男子の名前として変な訳でもない。
だが「真咲」と幼なじみ、そして同学年になることが分かっていて『相手の苗字と同じ音の名前』を選ぶことはないと思う。
同じことが真咲の親にも言える訳だが、俺の方が3ヶ月年下なのだから、やはりここはウチの親の責任だと思う。
『イズミ!』と呼ばれて、二人とも返事をする。
『マサキ!』と呼ばれて、二人とも手を挙げる。
そんな日常を過ごしていれば、嫌が上でも注目を浴びるというものだ。
真咲は、鍵っ子一人っ子の割には社交的で、昔から男女問わず多くの友人たちがいた。目立つクラスメートと一緒に行動する冴えない俺は、子どもらしい残酷な評価によって「真咲の金魚のフン」くらいの扱いだった気がする。
そんな学校生活の中で、ある日俺の持ち物が無くなる事件が発生した。
当時は小学校5年生。教科書や学校のノートだったのなら先生に訴え出ただろう。
だが無くなったのは、真咲と俺が毎日必死で書き写していた、あの「ふっかつのじゅもん」のノートだったのだ。
『学校に関係のないものを持ってきてはいけません』と注意されることが分かっていて、教師に申し出る馬鹿はいない。また、当時の担任はイマイチ生徒受けしない生真面目な先生だったので、なおさら腰がひけた。
『誰かに隠された』と真咲に言うことすらできず。俺は真咲に『無くした』と謝ることしか出来なかった。そのうち、隠した誰かがこっそり返してくれるかも知れない、という淡い期待も抱いていたが、それが期待に過ぎないことを俺が一番分かっていた。
子どもらしい残酷な正義感は、人気者の側に格好の悪い奴が侍ることを許さないのだ。ゲームにかこつけて真咲の家に入り浸り、それによって真咲と遊びづらくなった連中の仕業であることは明らかだった。だが、俺にはそれを咎める気概もなければ、彼らの気持ちを当然とする申し訳なさもあった。それでも、俺は真咲と一緒にいたかったのだ。
結局、その時のノートは戻ってこなかったけれど、翌日、真咲はクラスメートに見せびらかすように新しいノートを振り回し、俺に渡した。
『これ、新しいヤツ。何度無くしたって、何度だってやり直そう? クリアするまで一緒にやるって約束したもんね! 「ふっかつのじゅもん」なんか無くったって、最初からやり直せばいいだけじゃん! それだけ長く一緒に居られるよね!』
と言いながら。
その台詞に俺は泣きそうになったし、クラスメートの何人かが苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべたのも覚えている。
最初からやり直すことになった例のゲームは、結局6年生になる春になって、ようやく無事にクリアの時を迎えた。あのノートは、今でも俺の宝物だ。
どうして真咲が俺を、一番側においてくれていたのかは、今をもって分からない。
「……それ、本気で言ってる?」
眉間に皺を寄せた真咲が怖い。思わずソファから尻が浮く。
「ねえ、ほんっきで言ってる??」
「……真咲さんや、目が本気ですよ?」
「地道にコツコツ努力して結果を得るくせに、往生際悪く、くだらない事を言う相手には、本気になった方がいいと思います」
……往生際が悪いのは、俺の性格だから仕方ない。そして予期せずに与えられる幸福を、素直に受け取れないのも仕方ないだろう?
「だから、そこがまず変でしょうが!? 予期せず? どの口がいう? この口か?」
「あ、痛! そこ口角の端! 唇が裂ける!!」
遠慮無く思い切り頬をつねられる。アラフォー二人の馬鹿馬鹿しい騒ぎを、息子は冷たい目でチラリと見て、すぐゲームに戻った。
『もうやだ、このバカ夫婦』と呟いて。
多大な紆余曲折はあったものの、結局俺と真咲は夫婦となった。
中学ではさすがに性別を意識した距離で、それでも友人付き合いを続け。
高校で『やっとかよ!』と周りに言われながら、男女の付き合いを始め。
大学で進路は分かれたが、遠距離のさみしさを電話と青春18切符でカバーし。
社会人になっての忙しさを、深夜のパソコン通信チャットでなんとか繋ぎ。
持ち前の潔さと育まれた能力を存分に駆使した真咲が、『やっと、ポストをもぎ取りました!!』と言って俺の勤務地に転勤して来るまでのアレコレは、息子の前では語れない。
「何もかも、和泉が頑張ってくれたからじゃん。どんな時だって、私から離れようとしなかったじゃん。あなたのコツコツ努力があってこその『幸福』でしょうが!! 与えられたんじゃなくって、自分で勝ち取ったものだと誇りなさい! このバカチン!! 和泉がどんだけ頑張ってくれたか、私が一番知っているんだからね!!」
だって頑張れたのは、真咲がいたからだ。
真咲がいつも俺を待っていてくれたからだ。
真咲は俺の「ふっかつのじゅもん」
どんな事があったって、真咲がいればやり直しが出来る。
いつでも、そこから歩き始められる。
「……だからって、苗字まで変えることなかったと思う。オレ、『加藤』より『正木』か『伊豆見』の苗字が良かった」
息子なりに恥ずかしいのか、顔をテレビに向けたまま息子が俺に文句を言う。
俺たちが結婚する経緯を知って以降、息子の定例の愚痴だ。
『加藤、なんて、普通すぎるじゃん! 絶対クラスに三人はいるじゃんか!』
『私たちの高校だと、クラスに五人は居たね?』
『そういえばセンター試験の時、一教室丸々「加藤」姓だった部屋があったよな?』
息子の愚痴なんぞ、構ってられるか。平凡上等、何が悪い。
俺としては、「正木」姓でなければ何でもよかっただけで、たまたま養子に入れた先が「加藤」だっただけの話だ。
「まさか和泉が改姓してくれているなんてね? それこそ『予期せぬ幸福』だよ、ホント」
「……お前が『マサキ・マサキ』は嫌だっていうから……苦労したんだぞ! 主に親父を説得するのが!!」
真咲との将来を真剣に考え出すにあたって、俺を一番悩ませたのは「正木」という姓だった。
愛しい女の名前は「真咲」……その名を変えさせるなんてこと、俺には出来ない。
一時は『かっこ悪いけど、俺が「伊豆見・和泉」になりゃいいだけだよな……』なんて覚悟を決めたものだが、一人娘と三男坊の組み合わせとはいえ「嫁側の姓」になることを、昔気質の父親が許すはずも無く。
そんな俺に助け船を出してくれたのが、子無しの未亡人だった父方の伯母だった。
『特に財産があるわけでもないし、老後をお願いするというまで図々しくはしないけれどね。良かったら、私と養子縁組しない? だったら「加藤」になれるわよ? 大丈夫、あの昭和の頑固親父は私がなんとかしてあげるからさ』
思いもかけない僥倖だった。
三つ子の魂、とやらで、姉に頭の上がらない父親もとうとう説得に折れ、俺は無事に「加藤 和泉」となった。
そして、その足で真咲にプロポーズしに行ったのだ。
「諦めずに、そんな努力をしてくれる和泉が好きなんだよ。ずっと、ね」
「…………努力してクリアできるんだったら、何だってやるさ」
あの頃と変わらず笑う真咲に、俺は真顔で答える。
真咲が居るから。
真咲が、俺を「ふっかつ」させてくれるなら、何だって。
「…………オレ、部屋に帰る」
あきれ半分、いたたまれなさ半分、という様子で、ゲームを終えた息子が「がっくし」という風情でリビングを出て行く。真咲と二人、顔を見合わせてクスッと笑う。まだまだ反抗期には早そうだ。
「……ちょっと可哀想だったかな?」
「両親の仲がよいことを実感できるのは、良いことなんじゃ無い? あの子、最近格好つけて生意気づいているから、ちょっと見せしめ」
悪戯な母親の顔で、真咲が笑う。この笑顔に勝てるヤツなんか居ない。
「ま、今日の夕食はあの子の好きなメニューにしてあげよっかな。では、今度は手加減なしの対戦といきましょうか、明智君?」
「お前にボコボコにされるのが分かってて、コントローラーを手にするほど俺はマゾじゃない。そんで、なんで今日は怪人二十面相モードが抜けないんだよ?」
「なんか語呂が良くってさー」
愛すべき日常、愛すべき家族、愛すべき伴侶。
その全ては、いつだって、心の中にある「ふっかつのじゅもん」で元に戻る。
積み重ねてきた時間は、それぞれの心の中でずっと残り続ける。
そんな記憶が、俺たちの「ふっかつのじゅもん」
「むぅ……一緒にゲームしてくれないんだったら、怪人二十面相らしく『宝物探し』でもしようかな?」
「……何するつもりなんだよ?」
いつになく危険な笑みを浮かべる真咲に、俺の背に一筋の汗が流れる。
「……『精選版 日本国語大辞典』の第三巻」
「っ!! おま、なんでそれ!!」
「和泉が何か隠す場所なんて、お見通し。通常版全巻もってるくせに、精選版までおいてあるなんて、怪しいに決まってる」
真咲が口にしたのは、分厚い函入りの辞典の名前。だが、その筺の中には本体の辞書は入っていない。中にあるのは、俺の大事な宝物だ。
「ありがとね、あのノート、いつまでも大切にしてくれて」
俺の宝物。あの日、真咲が俺に渡してくれた「ふっかつのじゅもん」のノート。
「……お前が初めて気持ちを伝えてくれた記念品だろ……捨てられるはずねえだろうが」
さすがに恥ずかしさが勝るが、それでも視線を合わせて真咲を見る。
最初のノートを無くされた後、真咲がくれた《俺との間の「ふっかつのじゅもん」》
わずか20文字の文字列。
だけどあの「じゅもん」があったから、俺たちはずっと一緒に居られた。
「だから、俺たちが『加藤』になるはめになったんだろうが……」
真咲が笑う。いつまでも守りたい、大切な笑顔。
何かを期待するようなその瞳に、ここは夫として応えるべきだろう。
両肩に手をかけて、ぎゅっと引き寄せる。
重なる唇には、変わらぬ思いを乗せて。
「いっしょに かわらぬひびを いつまでも きみと」
5文字、7文字、5文字、3文字。
たった20文字の愛の言葉。
あの日、真咲から渡された新品のノート。
最初の1ページ目には、真咲の丁寧な文字で書かれた、20文字。
『まさきまさ きはこまるけれ どけっこん してね』
あの日からずっと変わらない、俺の「ふっかつのじゅもん」
「おうじょのあい」は要らなかったけれど、君の愛は必要だった。
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★登場するゲーム機およびゲームソフトは実在のものですが、登場人物はフィクションです。
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【秋月 忍】様(ID:411932)による【昭和の日企画】参加作品です。
昭和が終わるギリギリの頃(昭和60年代)の思い出をメインに、話を作ってみました。自分の実体験がいくつか盛り込まれておりますが、残念ながら甘酸っぱい思い出は完全なるフィクションです(笑)
ここ「なろう」では初めての一人称作品でしたが、やっぱり難しいですね。慣れない文体で書いているため、文章描写は不満足な出来ですが、書いていて楽しい作品でした。いい勉強になりました。
お読みいただき、ありがとうございました。
そして、企画を立ち上げてくださいました秋月 忍様。本当にありがとうございます。とても楽しかったです。
その他、多くの作品が投稿されていますので、ぜひとも他の作品をもお楽しみください。
キーワードは【昭和の日企画】です。
【石川翠さま作】