九十二 学生、怖いキツネに遭う
「何が、起きたんだ」
茫然とした様子のデクとルナからは返事が無く、俺の声は風に溶けて消えた。
エイブは力を使い果たしたのか肩で呼吸してルナにもたれかかっているが、顔はどこか満足そうであった。
ドラゴンはぴくりとも動かない。確認しに行く気も起きないが、恐らく、二度と起きてくることは無いだろう。
─────────ドラゴンは、死んだのだ。
「なあ、エイブ。お前は一体何をしたんだ?」
「・・・・・・密閉して、空気を瞬間的に抜いた」
俺の脳裏には、熱したアルミ缶を冷水に浸して瞬間、くしゃりと潰れる映像が流れていた。エイブは、それと逆のことをしたのだ。
つまり、ドラゴンを結界で囲み、その中の空気を抜いて真空にしたのだ。ドラゴンの体は外気圧と釣り合う内気圧で体を支えているから、外気圧が無くなったら内気圧で破裂してしまうのだ。空気を入れ過ぎた風船のように。
「エイブ。お前は、最高だ」
エイブは嬉しそうに笑って、そして意識を失った。
「エイブ!?」
「魔力を瞬間的に使い過ぎただけよ。その内目覚めるわ」
そう言って、ルナは寄りかかるエイブをぽいと地面に放り投げた。
「何するんだ!?」
「私も魔法を使い過ぎで疲れているの。・・・・・・それにしても、ドラゴンを倒してしまうなんて」
「冒険者の間じゃあ、一種のおとぎ話だぜ、ドラゴンスレイヤーなんてよ」
デクが感心したように呟いた。
エイブはドラゴンから恐れをなしてから今日まで、ずっと弱い自分を乗り越えようと努力していたのだろうか。そう思うと、やはり、俺の親友は最高だ。
ふとデクとルナを見ると、二人は随分と憔悴していた。エイブは満身創痍だ。このままだと、山を下りることが出来そうにない。
「どうします? 頂上目指します?」
「何でそんな危険を冒そうとするのよ」
「いや、ドラゴンはどんな生き物も恐れて近付こうとしない。案外、この上に魔物は現れないと思うぞ」
「もし現れたらどうするのよ?」
「そん時は俺が何とかするさ」
ぽんぽんとデクがルナの頭を撫でた。さりげなくいちゃつきやがってお前ら。末永く爆発しろ。
周囲を見回すと、ウマの姿は無かった。ドラゴンに怯えて逃げ出してしまったのだろうか。俺はエイブを背負わなくてはならないので、必然的にルナは徒歩となる。
彼女は不満をぶーぶーと垂れていたが、デクが手を握ってやると一瞬で黙った。
山の頂上を目指すと、不自然な小屋があった。山小屋やん。絶対ここのこと言ってただろセバスチャン。そりゃ来ればわかるわ。驚きだわ。
恐る恐る扉を叩くと、中から男性の声が聞こえてきた。
「今開けますよ」
いかにも紳士的な声色にさぞかしイケメンな男性が出てくるのだろうと扉の前で待機していると、中からキツネが出てきた。
・・・・・・中から、服を着た二足歩行のキツネが出てきた。
「ええっと、どちら様でしょうか」
──────山小屋の中から、服を着た二足歩行のイケメンボイスのキツネが出てきた。
「・・・・・・こちらに性転換の秘宝があると、セバスチャンに伺ったのですが」
「セバスチャン・・・・・・? ああ、黒髪黒目の彼のことですね。そうですか、今はセバスチャンと名乗っているのですか。わかりました。どうぞ、お入りください」
中に入るキツネの後について俺は山小屋の中に入るが、後ろを振り返ると、デクとルナはその場に固まったまま、一向に山小屋の中に入ろうとはしなかった。
「二人ともどうしたの? 入らないの?」
「いや、ラック。お前はどうしてそうためらいなく飛び込んでいくんだ。神経がいかれちまってんのか」
「デク、さっきも見たでしょ。ドラゴンの穴倉の中に突っ込んでいくような気違いよ。何を言っても無駄だわ」
「俺は先に入ってますからね」
山小屋の中は和風に仕上がっていた。キツネが地面より一段高い座敷に座布団をしいてくれたので、俺は礼を言いながら座布団に頭が来るようにエイブを寝かせた。
「お二人も、どうぞ中へ。今、お茶を入れますから」
キツネに促され、デクとルナもようやく山小屋の中に入った。
四人分のお茶、緑茶を机の上に並べ、キツネと俺達三人は向かい合う様に椅子に座った。
「私は、キュウビと申します」
「ルシウス・イタロスです」
「テイデ・カナリアスです」
「カタルナ・イスパニアです」
うわっ。二人のフルネーム初めて知ったわ。
「それで、ルシウスさん。貴方は、セバスチャンの紹介で、性転換の秘宝を探しに来たとか」
「はい。そうです」
「他の二人は、ルシウスさんの護衛、という認識で合っていますか」
「はい。そうです」
デクががちがちにかしこまっている姿は、魔法学園の学園長室でも神父の前でも見たことがなかった。
「では、ルシウスさんだけ私に付いて来てもらえますか。お二方は、申し訳ありませんが、暫くお茶とお菓子を楽しんでいていただけると幸いです」
机の真ん中に置かれる煎餅などが入った木の器を、デクとルナはじっと見ているが、彼らが手を伸ばす気配はない。
俺は先を行くキュウビの後に付いて行き、山小屋の奥へと向かった。そこは物置小屋となっており、キュウビはその中から黒い漆できれいに装飾され、丁寧に染められた赤い組紐で箱の蓋の上で十字に交差するように固く縛られた、いかにも玉手箱を髣髴とさせる箱を俺に手渡してきた。
「性転換を望む本人以外、絶対にこの箱を開けてはいけませんよ」
玉手箱やんこれ。
「ありがとうございます」
「いえいえ。それは預かりものですから。持ち主の意志に従うのが道理というものです」
「では、ありがたく頂戴いたします」
箱を手にして戻ると、二人の目の前のお茶の量も菓子の量も、俺が席を立つ前と一切変わっていなかった。
「あっ、これは配慮が足りませんでした。皆さん、今晩は泊まって行かれますか?」
「いえ、帰らさせていただきます」
デクとルナは素早く席を立ちあがったが、まるで運命の悪戯の如く、タイミングよく彼らのお腹が鳴った。
くっくっくとキツネは嬉しそうな笑みをこぼした。
「せめて、食事は食べていってください」
キツネだし、油揚げでも出るのだろうか。
俺の口の中はよだれでいっぱいになった。




