九 少年、忍者に憧れる
一部修正しました。2020/4/6
サブタイトル変更しました。2020/4/7
森での一件をふと思い出し、俺はエイブに尋ねた。
「エイブって、木登り得意なの?」
足を怪我しながらも木に登り、二日近くも樹上に潜伏していたこの男。
「うーん、どうだろう」
そんな要領を得ない返事をしながらも、彼は手近な木を、まるでエレベーターが上昇する時の様な滑らかさで登り切った。
馬鹿な!
直ぐに俺も試してみたが、これが予想以上に難しい。前世で体験したボルダリングとは違い足のかけ場はほとんどなく、体をぴったりと張り付けた時の摩擦で木にしがみついていなくてはならない。しかし、それは幹の大きな木になるほど困難になることを示しており、七歳児の体格には普通の木すらもはるかに巨大に見えた。そして何より、摩擦を使って止まると、素肌が木に擦れて痛いのだ。
「長く木に捕まってると大変だから、丈夫なところに見付けて手や足をかけて素早く登るんだよ」
木の上から下界の俺へと声をかけるエイブは、さながら前世で「頭の中に描いたコースに沿って体を動かせばいいんだよ」と力説していたボルダリング経験者と同じ顔をしていた。
敢えて言おう! 不可能であると!
初心者にはそれが難しいのだ。
しかし、物は試しで一時間程挑戦してみると、エイブほどではないが俺も木を登りきることが出来るようになった。
うん。案外楽しいな、木登り。
しかし、ここで一つの悲しい真実に気付いてしまった。木は登ってしまった後、降りるしかないのだ。折角高みにたどり着いたというのに、その優越感を自ら手放さなくてはいけない。
何という悲しみ。もっと木があれば・・・・・・。
頭に浮かんだ選択肢を、俺は全力で振り払った。
けれど、それからというもの、どんな遊びをしていても、俺の脳裏には一つの場所が浮かんだ。俺と俺の友人の命を危険にさらした場所のことだ。頭ではいけないとわかっているのにも関わらず、あの延々と続く木の枝で編まれた平面が思い浮かぶたび、その上を自由に駆け回りたい衝動にかられた。
駄目だ。それ以上いけない。
しかし気が付けば、俺はマリアの前で土下座をしていた。
「わたくしめの頼みを聞いていただけないでしょうか」
「それは構いませんが、ルシウスさん、その変な座り方はなんですか?」
何? この世界には土下座文化は無いのか!?
俺は立ち上がって、普通に頼むことにした。
「実は、森に行きたいんだ」
瞬間、マリアの表情が凍り付いた。
「・・・・・・どうしてですか?」
「え、えっと、あの、その、このまえ、さ、エイブと木登りして、それで、その、高い所から高い所に飛び移りたいなあ、なんて思って、ね、だから、その、それに適した場所が、森しかないと、思ったんだよね、うん」
すると、マリアは大きな溜息をついた。
「・・・・・・ルシウスさん。白状しますと、私は森が怖いのです。幼い頃から聞かされていた話が耳にこびり付いていますし、それに、私も一度柵を越えて、そして町に戻れなくなった経験があるのです」
知らなかった。マリアにもそんなやんちゃ時代があったのか。
「ですから、私は正直、森には近付きたくないのです。・・・・・・ですが、そんな私のわがままの為に、ルシウスさんが森へ入ろうとするのを止めようとはしませんでした」
「いやあ、でも、あれは俺のわがままだったから」
「いいえ。本来であれば、私はルシウスさんの行動を止めさせて、私が森へとエイブくんを探しに行くべきだったのです。たまたま救出が上手くいったからいいものの、私は果たすべき勤めを、あの時放棄してしまったのです」
「いや、そんなことは無いよ。マリアは、ちゃんとやるべきことをやってくれてるよ」
掃除洗濯料理に近所付き合い。本当にありがとうございます。
「ですから、私も一緒についていきます」
「─────────え?」
「私も一緒についていける場合のみ、ルシウスさんが森へ入ることを許します」
「・・・・・・本当?」
「はい。ですが、早朝だけですよ。それ以外だと、人に見られてしまいますから」
「ありがとうマリア!」
マリアの協力のもと、俺の修行の日々が始まった。
木に登り、隣の木へと飛び移る。その練習を、ひたすら町の近くで繰り返すのだ。
この特訓はかなり過酷で、なかなか思い通りに動くことが出来なかった。木から木へと飛び移ることが出来、更に木の上を地上と同じように自由に走り回ることが出来るようになる頃には、俺は十二歳になっていたのだ。