百九十四 旅人、宿敵の中の人を見る
「・・・・・・ック、ラック、ラックってば!」
名前を呼ばれ、ぱっと足を止めた。振り返って見れば、歩くのが速過ぎたのか、ヴェニアが少し息を切らせていた。
「・・・・・・ごめん」
「ううん」
ヴェニアは呼吸を整えた後、にっと笑った。
「・・・・・・嫉妬した?」
彼女にそういわれた瞬間、無意識の内に顔が熱くなっていくのを感じた。その発熱を俺は止めることが出来ず、ヴェニアから紅潮を隠すように下を向いた。
「・・・・・・した」
「・・・・・・安心してください。彼らは、私の夫または愛人が力を持った商人だと思って話しかけてきただけですから」
「そうとは限らないだろ」
「妻を持った商人は行商人ではなく露店商というのが彼らの常識ですし、ああいったパーティーに女性を同伴させるのは自分の権力を見せびらかしたいからというのが一般的な考えですよ」
「───────わかった。わかったから。・・・・・・でも、暫くは戻らなくていいだろ?」
「・・・・・・はい」
俺達は手を繋いだまま、薄暗い廊下を歩き、ロクフイユ商会の建物の敷地の中庭に出た。月明かりに照らされたヴェニアを見ると鼓動が早くなり、三秒以上まともに彼女を見つめることが出来ずにいた。
「デイビスさんからお借りしたドレスが上等だっていうこともありますけど、ラックがくれたピアスが、石に特殊なカットが施されているようで、それに注目された方が多かったみたいです」
そう言って、ヴェニアは髪を掻き分けて耳を出す。きらりと光る紅い石。やはり、彼女にはこの色が似合う。
「そいつには俺が手を加えたんだ。どこかの商品ってわけじゃないよ」
「・・・・・・じゃあ、私だけの特別な品、ってことですよね」
「そう、だね」
ヴェニアが無邪気に笑った。嬉しさのあまり、心臓が口から飛び出そうだった。
瞬間、空から何かが降ってきた。
俺達の数メートル前方。土煙の先に、暗闇に潜む何かがいることは直ぐにわかった。
「ラック! 危ない!」
どこかで、ハルが叫んだ。
それとほぼ同時に、暗闇から無数の火球が飛んできた。
視界を埋め尽くすように整然と並んだ火の玉の列を目の前に、避けることが出来ないと悟った俺は、ヴェニアを庇うように彼女の前に立つ。
そして、真っ直ぐ俺の許に飛んできた火の玉は、俺に触れる前に瞬時に掻き消えた。
・・・・・・何が起こったんだ。
それから飛んでくる全ての火球は俺に当たる前に皆消滅した。突如として俺が真なる力に目覚めたのかとも思ったが、消えている火球が俺の周囲にあるものだけであることに気付いた時、魔力で出来た火が消滅するという事態の原因がヴェニアであることを理解した。
正確に言うならば、俺が彼女に与えたピアスが原因であった。火球は普通、風魔法で操られた空気に付着した魔力の塊の表面が熱エネルギーに変換される仕組みになっている。順次魔力という燃料が透過されなければ、火が点いても一瞬で消えてしまうからだ。故に、その核となる魔力が取り除かれれば火球は消滅する。
魔法は喰らえば一発即死であるが、その一発即死のほとんどの要因はこの火球である。故に、結界を張れずともこの火球の対策を出来れば魔法による奇襲の対策になると俺は考えた。
そこで、このクブルス島の港に設置された高密度の魔力の接近によって結界を発動させる魔道具を手本に、俺は接近してきた魔力を吸収する魔道具を考えた。それこそが、ヴェニアにプレゼントしたピアスであり、正確に言うならばそこに刻み込んだ紋様上の魔法陣である。
俺は火球の弾幕が途切れた隙をついて横に飛び、火球を放った相手の側面から後方に回り込んだ。
視界に捉えたのは、忌々しい全身を覆うフード付きのマントを羽織った人間だった。
容赦なくその人物を蹴り飛ばし、身ぐるみを剥いだ。─────────そして、目を丸くした。
マントの下から現れたのは、俺と同い年くらいの少年であったからだ。