百八十九 旅人、えげつない食事風景を見る
港へと鞭のように振り下ろされた巨大な生き物の脚は、港を一撃の内に木っ端みじんに破壊した。・・・・・・かのように思われた。
しかし、生き物の脚は見えない透明の壁に激突し、海へとはじき返された。
黒縁眼鏡を通した俺の目には、生き物の脚が港へと肉薄した瞬間、突如として港を覆うように結界が貼られその激突を防いだ光景がはっきりと映った。だが、生き物の脚が海の方へ退くと、その結界は黒縁眼鏡を通しても見ることが出来なかった。
どういうことだ? 時限式? それとも誰かが展開した? しかし、何となくではあるが、自動で発動したように見えた。あれは一体・・・・・・。
ふと考え込んでいる内に、港町全体に巨大な警報音が鳴り響いた。疎らであった街の明かりが一斉に灯り、大勢の人々が一斉に港の方へと走り出していた。その顔触れはどう見ても一般人のものではなかった。
冒険者だ!
その中にはエイブの姿があった。いや、彼が先頭になって真っ先に港へと向かっていた。
エイブが指を鳴らした。すると、海の上で二回目の攻撃を計画ししなっていた腕が上昇し、いや、海の中に隠れていた巨大な生き物が、空へと浮上していった。
大量の海水を巻き上げるも、それで起きた津波は港に張られた結界によって町に流れ込むことは無かった。
また結界が発動した。・・・・・・そうか! 空気中の魔力が一定の濃度になると自動で魔法が発動する仕組みになっているのか。魔物はレベルアップによって、大量の魔力を吸収することで巨大化したり特殊な能力を得たりしているから、魔物の体内や周囲の魔力密度は濃いはずだ。
・・・・・・しかし、そうなると俺の魔力密度も濃くなるはずだが・・・・・・、そうはなっていない。どういうことだ? いや、俺には魔力を扱う能力は無い。偶々森という魔力が濃い環境で長年修行していたからレベルアップで身体能力が向上しただけで、魔力を体に集める能力は持ち合わせていないのだ。
対する魔物は長年魔力を吸収し続けて、その体は少しずつ精霊に、魔法へと体が近付いて行っているとすれば、魔力を集める能力を獲得していても不思議じゃない。
俺が思考を続けている間にも、事態は動き続けていた。
エイブの力によって、巨大海洋生物はその全貌を月明かりの下にさらしていた。巨大なイカ。まさしくクラーケンと呼ぶのにふさわしい。体長が数十メートルはありそうだ。足の長さは同の長さの数倍ある。全長だけ考えれば、船の下にいたクジラに引けをとらない大きさとなるだろう。
随時到着した冒険者も加わり、空中に浮き上がった巨大イカはふわりふわりと海の上を滑った。そしてそのイカが運ばれた先にいたのは、俺達が乗ってきた巨大クジラであった。
どうしてクジラの方へと運ぶのだろうと思いきや、クジラがその大きな口を思いきり開いた。そして、運ばれてきたイカを丸呑みした。
あまりにもスケールのでかい食事風景に茫然としていると、港に集まった冒険者たちから一斉に歓声が上がった。その声ではっと我を取り戻すと、意外なほどにあっけなく去った危機を前に、そっと胸を撫で下ろした。
「─────────まだいるよ」
そう呟いたのはハルだった。
「どこだ」
「あっち」
彼女が指で示したのは港とは反対方向、街の中心部であった。
「・・・・・・ハル。今すぐ港の方に行ってくれ」
「そっちでいいの?」
「ああ」
ハルは俺の指示通り港へと向かった。
「エイブ!」
俺が叫ぶと、彼は驚いたように首をふり、やがて俺達を見付けた。
「ラック!?」
「今すぐこれに乗れ。緊急事態だ」
「・・・・・・わかったよ」
エイブを乗せるが、ひつじ雲はびくともしなかった。
「ハル。そいつがいるところに案内してくれ」
「わかった」
雲に乗り街の中心部へと向かっていると、エイブが尋ねてくる。
「どうしたんだよ」
「エイブ。さっきみたいな魔物の襲撃はよくあることなのか?」
「頻繁ではないけど、たまにあるよ。この島は深い海域が島のすぐそばまであって、あああいう巨大な魔物もそこを通って島に近付けるみたいなんだ」
「じゃあ、多分それを囮に使われたんだ」
「囮ってどういうことだよ」
「誰かが精霊を操ってイカの魔物をこの島までおびき寄せて、冒険者を港へと集中させたかったんだ。その隙に本命を狙う為に」
「精霊って何?」
「普通の人には見えないやばい敵だよ」
「それやばくない?」
──────瞬間、街の中心部に爆発が起こった。
俺は反射的にヴェニアを庇い、爆風が雲の上にいる俺達に吹き付けた。何とか雲の上からはじき出されることは無かったが、街の中心部から煙が立ち上り、煌々と燃える火が夜の闇を照らし出していた。
飛ばされる程風の勢いが強くなかったのは、エイブが魔法で風の勢いを殺してくれたからの様だった。彼はすぐさま指を鳴らした。
するとたちまち空模様が変わり、バケツをひっくり返したような雨がすぐさま降り出した。
雨に少し遮られながらも、視界の端に光る何かを捕らえる。人の姿ではなかったが、確かに生き物の姿をしていた。
「ハル。あそこに見えるか?」
「うーん。見えない」
「ラック。精霊ってどうやったら倒せるんだ?」
エイブが雨の音に負けじと大きな声で尋ねてくる。
「精霊は魔力の塊だから、魔法でその魔力を侵食すると消滅する」
「わかった。行ってくる」
そう言って無鉄砲に飛び出そうとしたエイブの首根っこを掴んで彼を引き戻した。
「馬鹿。お前には見えないだろ。これ掛けろ」
そう言って、俺は掛けていた黒縁眼鏡を無理やりエイブに掛けさせた。
「あそこに居る光る生き物、わかるか?」
「・・・・・・うん。見えた」
「頼んだぞ」
「任せろ」
ぐっと親指を突き立てたあと、エイブは風魔法で空を飛びながら精霊のいるところへと向かった。
どうやら彼は、悪い意味で俺と似てきているのかもしれない。
精霊を視認する方法を失ってしまったので、ハルにゆっくりでいいと言って、火の手が上がる方へと近付いていく。
とめどなく降り続く雨が火の拡散を防いでくれるが、それでも全てを消火しきれるわけではない。
街の中心部、恐らく爆心地にあった建物は未だに火を上げ続けている。
「ラック、いたよ。・・・・・・あ、消えた」
仕事が早いなエイブくん。さすがだぜ。
ふと、俺は思った。精霊を操っているやつはどこだ、と。
「ヴェニア。君は索敵魔法を使えるか?」
彼女は首を横に振った。
「そうか」
俺は周囲を見回す。港に町に山。正直精霊を使役している人間がどこにいてもおかしくない。しかし見付ける手段はない。
「万策尽きたか」
精霊を使役していた人間を見付けることが出来ないと悟った俺はハルに指示を出し、すぐさま人命救助へと移った。