百八十二 旅人、恋人の昔話を聞く
現グリス伯爵とヴェニアの関係がどのようなものなのか、俺には聞き出す勇気がなかったし、聞く気も起きなかった。
恐らく前伯爵がヴェニアの父親であるとすると、彼女と現グリス伯爵との関係は継母、いや、義母か? しかし、生みの親は別にいるだろうし、生死不明だとしても・・・・・・、まあ、はっきり言って赤の他人ということだ。
その現グリス伯爵の死に対し、彼女がどのような感情を抱いているのか、俺には想像もつかない。ただ、血の繋がりの無い人間とは言え、もしマリアが死の淵に瀕していると聞いたなら、俺は何が何でも彼女の命が途絶える前に彼女の許に駆け付けようとするだろう。
だから、もしかしたら特別な相手なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。俺には想像することしかできないが、下手な想像をする必要もないと感じていた。ヴェニアが話したくなったらその話を聞こう。
そういう考えでいたのだが、結局キシネウまでの道中、ヴェニアの口数はかなり減っていた。
ハルの魅力にすっかり篭絡されてしまったのか、キシネウに着くなり、カイトは「また護衛お願いします」と俺達に頼んできた。俺は快くそれを了承。早速キシネウの冒険者ギルドに向かって話を通しておいた。
ハルはヴェニアの様子の変化に勘付き、多少声掛けはしたが、大丈夫、と繰り返すヴェニアに対し、少しだけ割り切れない思いを抱きながらも、ハルは一旦引いたようだった。
キシネウについた日の夜、用事がある、と言って、夜中だというのにハルは外に飛び出していった。俺は彼女の身を案じたが、寝ていてもひつじ雲が使えると言い、実際にそれが可能であると俺に証明してみせたので、仕方なく彼女が外に出て行くのを許可した。
結果、宿の部屋には俺とヴェニアの二人だけが残った。
ヴェニアも最初の頃はハルの心配をしていたが、ヴェニアが話をしやすいようにハルが出て行ったことを少しずつ俺達は理解していき、やがて、「寝よっか」というヴェニアの呟きと共に、部屋の灯りを消して俺達はベッドに潜り込んだ。
正直、最初はヴェニアと同じベッドに二人きりで眠ることにかなりドギマギしていたのだが、どう見ても彼女はそういった雰囲気ではないと理解すると、俺は自分の気を引き締めることが出来た。
灯りを消してベッドに入ってから、俺達の間には長い沈黙が流れた。不思議と眠たくはならず、時の流れが非常に緩慢に感じられた。
やがて、ヴェニアが徐に口を開いた。
「ラックは、バルカン家のこと、どれくらい知っていますか?」
「・・・・・・前グリス伯爵の遺言で後継者争いが起こったこと。それで兄弟で殺し合いが起こったこと。現伯爵は病気で余命幾許もないこと。もう後継者はエラダ伯爵に決まったこと。バルカン家の子供たちは正妻の子と側室の子がいること、くらいかな」
「大体知っているじゃないですか」
ヴェニア本人は少し笑いながら呟いたが、それが彼女の空元気であることは直ぐにわかった。
「・・・・・・私は、側室、というより、妾の子供なんです。わかると思いますけど、アテネ姉様とも、スルビヤ兄様とも、母親は違います。今の伯爵は、アテネ姉様の母親なんです。
現伯爵と私のお母さまとは、仲が悪いわけではありませんでした。というか、現伯爵は前伯爵の行動に対して、ずっと気にする素振りを取らなかったんです。前伯爵が亡くなるまでは、政略結婚の為なのか、彼女が前伯爵に対する愛情を持たないためだと思っていました。
でも、前伯爵が亡くなって、遺言が公開された途端、彼女は前伯爵の遺言に固執するようになって。急に母親として、家長として振舞うようになって。正直、その当時は戸惑ってばかりでした。
・・・・・・いえ、今も戸惑ってばかりです。彼女は、兄弟が殺し合いにまで至っても、一切止めようとはしませんでした。正直、好きでも嫌いでもありませんが、死んで当然の人なのかなと思ってます」
「・・・・・・そうか」
「ラックは、確か、養子なんですよね? スティヴァレ伯爵夫妻のこと、どう思っているんですか?」
養子。いや、実の子どもではある。血は繋がっている。でも、俺の感覚では、母親はマリアだし、前世の親への感情を引っぺがした伯爵夫妻に対しては、正直何も思っていない。あくまでも知り合いだ。
「親、とは思っていないが、知り合いだとは思ってるよ。恨んでもいないから、死んだら少しは悲しむかも」
「・・・・・・そうですか・・・・・・」
再び、俺達の間に沈黙が流れた。このまま黙って眠ってしまえばいいとも思ったが、俺は敢えて考えていることをヴェニアに尋ねてみた。
「ヴェニアは、現グリス伯爵が亡くなるって聞いて、悲しいの?」
返事は無かった。
ヴェニアに近い方の腕が温もりを覚えた。恐らく、ヴェニアが俺の腕にしがみついているのだろう。
結局、ヴェニアは何も言わなかった。
ただ、もしかしたら寝言なのかもしれないが、それでも敢えて言うとするならば、微睡の中に落ち行く俺の意識の隅で、嗚咽ような音が、ほんの少しだけ響いているような気がした。