百七十八 旅人、冒険者を志す
部屋の灯りを消してからしばらくして、「ねえ、起きてる?」という声がした。「起きてるよ」と答えると、ハルはもぞもぞと動いた。どうやら、顔を俺の耳に寄せたらしい。
「少し、話しよ」
掠れるような声で尋ねてきた。
「いいよ」
俺も小さな声で返事をする。
「私、ヘルヴェティアだったかも」
ハルが呟いた。
「今、夢で見たの。友達と遊んでいた頃。町で暮らしていた頃。でも、はっきりと思い出せない。ただの夢なのかな。それとも、私の記憶?」
「・・・・・・俺にはわからない。でも、ヘルヴェティアでも、ハルだろ? 父は俺で、母はヴェニア。そうだろ?」
「・・・・・・そうだね」
そう言って、嬉しそうにハルは笑い、そのまま毛布の中に顔を埋めた。
翌朝早く、俺はセバスチャンの指示を受けて老神父の許を立った。ひたすら南に下り、グリス領を目指した。グリス領を目指した? バルカン一族の本家じゃないか。
「これって、両親への挨拶、ということになるんじゃないですか?」
馬車を走らせながら、御者台の隣のヴェニアが、悪戯っぽく笑いながらそう言った。
そうかもしれないけど、別に俺挨拶しなくてもいいんだからな。ていうかヴェニアさん。一応貴方殺されたことになっているし、そもそもお父さん亡くなっているんだよね?
「君に危険が及ぶと嫌だから、挨拶はしないよ」
出来るだけ平生な態度で、そう返事をした。
「残念」
少し声を弾ませながら、ヴェニアはそう呟いた。
「時間かかる?」
荷台のハルが聞いてくる。
「山を迂回するから、二週間くらいかかるかな」
「飛んだ方が早くない?」
「それはそうなんだが、今後このスタイルで生活するわけだし。・・・・・・次大きな街に着いたら、冒険者になろうと思うんだ」
「冒険者?」
「魔獣を討伐したり、商団の護衛をしたりする職業かな」
ハルの問いにヴェニアが答えた。
「一応、ヴェニアも一緒に登録してくれるか?」
「いいですよ」
「ハルもする~」
「ハルは・・・・・・」
見た目は十歳と少しだが、実年齢は確かに成人を軽く越している。理論上はいけないこともない、か?
「ハルは現地に着いてから、ということで」
「ラジャー」
ハルが啓礼の様な構えを取ったので、一体誰に教わったのかと俺は考えていた。
数日かけて、キーイウという一際大きな街についた。宿に泊まり、その街の冒険者ギルドへと赴く。
ギルドの外装は非常に整っていると感じるものであったが、中はより一層整備されている感じであった。よくある酒飲みの冒険者がたむろしているという感じはなく、一流ホテルのようであった。
前もって予測していたものとの違いに驚きつつも、俺は受付へとヴェニアとハルを連れて向かう。
「こんにちは。こちらは冒険者ギルドの受付です。本日はどういったご用件でしょうか?」
あまりにも滑らかにその文言が受付嬢の口からさらさらと流れ出てきたので、きっと一字一句たがわず全ての来訪者に同じ言葉を繰り返しているのだろうなと思った。
「こんにちは。冒険者になりたいんですが」
「かしこまりました。こちらに名前をご記入の上、名前を呼ばれるまであちらで待機していてください」
そう言って、受付嬢は待合席を指し示した。
俺は名前を、ラック・イタラナイと書き記した後、受付嬢に尋ねる。
「ここに、冒険者志願者名とあるのですが、こちらの二人も冒険者志願者なんですが」
俺がヴェニアとハルを指差すと、受付嬢は困ったような顔をする。
「こちらの方はともかく、未成年者は無理ですね」
「ハル。未成年じゃないぞ」
「じゃあ、成人の儀の際に、何かしら成人の証を受け取った?」
「成人の証?」
ハルは可愛らしく首を傾げた。
「あはは。ないなら駄目かな」
「と、言うわけだ。ハル。残念だったな。・・・・・・すいません」
「いいえ」
俺とハルが一連の会話をしている間に、ヴェニアは自分の名前を書き記していた。そう、ヴェニア・イタラナイと。
「あの、お二人は貴族の」
受付嬢が声を潜めて俺達に尋ねてくる。
「男爵家の家出息子夫婦です」
ヴェニアが答える。
「・・・・・・わかりました」
受付嬢は見事な営業スマイルを見せた後、奥へと引っ込んでいった。
嬉しそうなヴェニアと不満いっぱいのハルを連れて、俺は待合席へと向かった。