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百七十三 学生、導かれる

 暫く雲に乗って飛んだ後、森のどこかに俺とハルは降り立った。俺は自力で前に進む力を振り絞ることが出来ず、視界もぼやけたままハルに手を引かれて森の中を歩いた。

 どうしてもっと早くヴェニアを救出する行動を起こさなかったのだろうとか、そもそもどうしてマクマホンはヴェニアを狙ったのだろうとか、心が後悔を、理性が原因究明をそれぞれ求めて働き出そうとしていたが、ヴェニアが死んだ、という事実が言葉として、映像として、真実として自分の中にはっきりと刻み込まれ、その意味を少しずつ理解できるようになると、何かを考えようとしていたはずの精神的活動が全て停止に追い込まれ、先程の現状が把握できずに茫然自失としていた状況と同様に、不気味なまでの静けさに心と体と頭とが支配され、そこに埋めようのない空しさまでが生まれ出していて、いくら湧き出ても何かを満たすわけでもなく、ただひたすらに心と体を重くしていくそのドロドロとした何かに抗うことも出来ず、自分という、ルシウス・イタロスという人間の全てが停止していくような感覚に襲われ、それに抗おうと自分の記憶を掘り返すと、その中に現れるヴェニアの記憶から、本来そこにあったはずの喜びとか恋しさといった削り取られたかのように感じられなくなり、修復すべきはずの箇所には悲しみだけがひたすら上塗りされていき、本来そこにあったものが別のものに改ざんさせられていくと、自分という人間を構成する記憶という要素が変化していくために、自分という人間が、先程までと、ヴェニアを助け出さんとしていた時の自分とまるで別の生き物のように感じられていき、一歩足を前に踏み出す度に力なく体が崩れる己の様相から、人間以外の、タコやイカなどの軟体生物に生まれ変わってしまうのではないかと錯覚し、この虚しさから、この悲しみから逃れられるのならそれでもいいかと思えてしまったが、それがヴェニアに対する不誠実になってしまうのではないかと思うと、このまま彼女の死の重みに耐えきれずに死んでしまった方が何百倍も人間らしいような気がして、彼女の死の悲しみに向き合う理由が自分本位であることに気付いた瞬間、己の醜さと、思考を逸らすことでヴェニアの死から逃げ出そうとしている自分の浅はかさに辟易して、それでいてヴェニアのことを想うと、全ての精神活動が止まり、同様の負の循環の中に陥っていくのだった。

 どれほど歩いたのだろうか。やがてハルが止まったので、俺もそのまま歩を止める。なぜ歩いたのか。なぜ止まったのか。そんなことを考える余裕もなく、俯きながらただただ茫然としていると、ハルが俺の服を軽く引張り、「ラック」と何度も呼び掛けてきた。

 初めはその意図がわからなかったが、彼女が何度も繰り返す内に、それが正面に注目するように、という合図であると気付いて顔を上げた。

 徐に顔を上げると、虚ろな視界に人の輪郭が映り込んだ。誰だろうか。・・・・・・いや、誰でもいいか。

 結局注視する気も起きずにいると、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。それは聞き覚えのある声であったが、ハルのものでないことだけは直ぐにわかった。

 俺は瞳をこすり、正面の人物を見る。

 それは俺の記憶の中にある姿で、今一番会いたい人物で、もう絶対に見ることの出来ないはずの人だった。

 先程までふらついていた足で頼りなく地面を蹴ってそのそばに駆け寄り、その存在を確かめるように抱きしめた。

 抱きしめた感触は確かにあって、温もりもちゃんとそこにあった。


「ヴェニアァァァ」

「どうしたんですか? そんなに泣いて」


 俺は涙が止まるまでずっとヴェニアにしがみついて泣いていた。この時抱いていた感情が喜びだったのか、それとも安堵だったのか。はたまた別の何かであったのか。そんなこともわからないくらい、俺の心の中は混沌としていた。

 その無秩序な感情が整理されるまで、俺は泣き続けた。俺があまりにも泣きじゃくる為に、ヴェニアに赤子のようにあやされた。それに対し羞恥心を覚える間も無く彼女にしがみつき、涙が止まって疲れ果てると、そのまま意識を手放した。



 目を覚ますと、俺は見知らぬベッドの上で目を覚ました。もしかして今までのことは夢だったのだろうか。どこまでが夢で、どこかまでが現実なのだろうか。

 起き上がろうとしてベッドに手を突いて、その手が何かに触れた。ふと顔を向けると、それはヴェニアの髪だった。

 驚いて反対側に手を突くと、再び何かに触れた。顔を向けると、俺の手が触れていたのはハルの顔で、潰されて呼吸が苦しいのか手がうっとおしいのか、ハルは眠りながら不快そうな表情を見せた。

 俺はハルの顔を潰していた方の手も上に持ち上げ、何故このような状況になったか、昨日の記憶の中から必死になって考えた。

 そしてあやふやな記憶を含め、覚えていることを全て真実だと仮定して、泣き疲れて眠ってしまった俺を近くの町まで運び、そのままベッドに寝かしてくれて、かつ一部屋しか取っていないのか、起きた俺が一人で不安になることを心配したためか添い寝してくれたのだろうと推測した。あまりの恥ずかしさに二度寝してやろうという気分になったが、このままヴェニアとハルに挟まれて眠ることなどできるはずもなく、彼女たちを起こさないように慎重にベッドから抜け出した。

 今一つ自分の置かれた現状を把握しきれていないが、とりあえずヴェニアが生きていた、という事実が確かなものであれば、今は他のもはどうでもいい。

 そう思うと、昨日もう泣き尽くして枯れたと思っていた涙が目から溢れてきて、今度は声を上げないようにと、隠れるように涙を吹いた。



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