百六十六 学生、スパイを発見する
ある朝、偶然アンドレと朝食を共に食べることになった。彼の周囲に取り巻きは居らず、俺は特に警戒することなく彼と顔を突き合わせた。
「連日大盛況だな」
「面白半分で来ている人が大半だと思うけどね。それでも、真理を一人でも多くの人たちに届けられるのだから、ありがたいことこの上ないよ」
「・・・・・・アンドレは、怖くなったりはしないのか?」
「どういうこと?」
「いや、何でもないよ」
漫画の神様が描いた通りなら、アンドレは多くの人から尊敬と信頼の眼差しを向けられる一方、一定数の人間から確実に悪意を向けられているはずだ。体には気を付けてもらいたい。だが、それを口に出して、彼に余計な心配を与えるのもどうかと思った。
「そう言えば、今でも神様の声は聞こえるのか?」
「うん。今も語り掛けてくださっているよ。最初はいつまでも約束を果たさないロクでなしかと思ったけど、今では感謝してるって」
そうですかそうですか。
「もし、その声が聞こえなくなったら、君はどうするんだ?」
「・・・・・・そうなっても、一人でも多くの人に、この真理を知ってもらいたいかな」
どうやら、自分だけが得た「神様の声が聞こえる」という特殊能力に酔っているわけではないらしい。アンドレはアンドレなりに、考えて行動しているようだ。ならば、俺が言うべきことは一つもない。
「布教活動、頑張れよ」
「別に宗教じゃないよ」
アンドレはおかしそうに笑った。
「面白くなってきましたね」
ハルを引き取りに学園長室にやってくると、セバスチャンが嬉しそうに言った。
「新興宗教の興隆を放っておいていいんですか?」
「面白いことが一番です」
まあ、セバスチャンはこういうやつだな。
「エデンもきっと嫌な顔をしているでしょうし」
実はそちらの方が、彼の本音なのかもしれないが。
「セバスチャンさんはすごくエデンを嫌っているみたいですけど、卵の中身を人間に変えられたのがそんなに嫌だったんですか?」
「それは大したことではありません。やつのした数ある嫌がらせの一部に過ぎませんから」
あれれ、おかしいぞお。その割には周囲に殺気が漏れているぞ。
「貴方が魔法を使えないのも、もしかするとやつが女神に魂の調整について教えなかった可能性がありますよ」
あれれ、おかしいぞお。俺も怒りが湧いてきた。
「ラック、魔法使えないの?」
純粋な目でハルが尋ねてきた。
「まあね」
バレちゃったじゃんとセバスチャンの方を見るが、彼は一切気にしていない風だった。まあ、バレた所で大した問題ではないのだが。
「なのに、あんなに教えるのが上手いの何で?」
そう言えばハルに出会った当初、魔法の授業をしたっけなあ。
「それは、ハルの理解が早かったお陰だよ」
「私って天才」
「そそ。天才天才」
「すごい!?」
「すごい」
「すっごーい!」
無邪気に喜ぶハルの姿を見て、俺は思わず微笑んでいた。
「親バカですね」
セバスチャンの言葉に嫌味は感じられる、俺も素直にそうなのかもしれないと思っていた。
その日の夕食時。人々の前に立ったのは、アンドレ一人ではなかった。彼の隣に一人の人物が立っていた。
ケルンだ。
「皆さん。聞いてください。・・・・・・今、ここにいる彼、ケルンさんが、神の声が聞こえるようになりました」
本当に改宗しちゃったよ。
その日、雄弁を振るったのはアンドレではなくケルンだった。恐らく、今後食堂で布教するのはアンドレではなくケルンということになるのだろう。
ケルンはケルンなりに、自分の立ち直り方を見付けたのかもしれない。
俺は一人食堂を出た。
月がきれいに輝く夜だった。こういう時は、大抵何か良からぬことや思いがけないことに遭遇したものだ、と自分の過去を振り返る。
勿論、今回も何か事が起こるとは限らないが。
少しだけいい気分になっていたのかもしれない。俺が鼻歌を歌いながら歩いると、ふとどこからか声が聞こえてきた。
「本当にナオミの居場所を知っているのか?」
それは、聞き慣れた魔道具作製の教授の声だった。話し相手は誰だろうと物陰から様子を覗くと、それは黒い肌をした見覚えのある女性だった。
クーニャ・トリスタン。彼女は未だに、この国での活動を続けているようだった。