百六十二 学生、父になる
セバスチャンに一連の報告をすると、彼はしばらく考えるような素振りを見せた。
「貴方の考えを聞かせてください」
「多分大丈夫でしょうが、教師の話に嘘がないとすると、正直いつ頃ナオミがクーニャやマクマホンと接触したのかは判断できません。良いタイミングは見当たらないとも言えるし、いつでも会うことが出来たとも言えます。勿論、魔法学園に来てからもですが。
個人的に最悪のシナリオは、ナオミとクーニャが協力関係にないことですね。最後のクーニャの発言は、ナオミなりの別れの挨拶なのか、それとも立ち去る前に敵対勢力を弱体化させようという意図があったのかわかりませんし、シルフィアさんとレムスが幸せに暮らしているかもしれない未来が少し遠のいてしまいます」
「追及は無理ですね」
「・・・・・・ちなみに、ケルンの方は?」
「まだ森の中を彷徨っています。結界の中なので魔物に遭遇はしませんが、食料が無いので空腹で倒れるでしょう」
「こちらから何か対処するということは?」
「未定です。必要なら殺します」
セバスチャンは淡々と、冷たく言い放った。
「同情しても構いませんが、仕事はこなしてください」
「わかっています」
同情、という感情とは少し違う。俺がケルンに向けているのは、過去の自分の投影だ。もしかしたら、今の自分なのかもしれないが。
「アンドレの方は何か対処が必要でしょうか?」
「必要ないです」
信仰は自由でいいらしい。俺はほっとしつつ、どこかもやもやした思いを抱えながら、学園長室を後にした。
昼食を食べ終わり、特にやることも無かったので庭園のベンチに座り、青空を流れる雲をぼおっと眺めていた。
ふと視界に影が入り、誰かが俺の顔を覗いていることに気付いた。ヴェニアかと思いよくよく見て見ればヘレナであったので、俺は身をよじらせながらベンチから転がり落ちた。
「そんなダイナミックに転がらなくても・・・・・・」
ヘレナは驚いた様子でそう呟いた。
「ヘレナさん。どうされました?」
「・・・・・・それはこっちの台詞です。この学園の生徒だったんですね、アルセーヌさん」
まじかー。気付いてたかー。そりゃあね、思ったよ。眼鏡だけでごまかせるわけないって。いや、しかし、本当に気付いていないと思ったね。ヘレナさんマジで演技派だな。
「王城で働いていた時の偽名、真面目に考える気あったんですか? ラック・イタラナイって。私、最初聞いた時笑っちゃいましたよ」
ふふふ、と微笑むヘレナ。ゲームのヒロインらしい、可愛らしい笑い方だ。俺としてはかなり恥ずかしい思い出なので、可能な限り王城での時間を思い出したくはないのだが。
「殿下とは、仲睦まじそうなご様子でしたが?」
「そう見えますか? あれは、アルセーヌさん、いえ、ルシウスさんのお蔭と言っても過言ではないんですよ」
「と言うと?」
「実は、殿下にだけは、アルセーヌさんのことを話したんです」
俺の顔が青くなったのを見て、「もちろんイタロスさんの名前は出していませんよ。私を攫いに来た怪盗がいた、という話をしたんです」とヘレナは直ぐに弁明した。
「彼、アルセーヌさんに嫉妬したみたいで。あれから、すごく優しくなりました。今までも優しかったんですが、自分の都合よりも私のことを優先してくれるようになったんですよ。余程堪えたんでしょうね」
ふふふ、と微笑むヘレナ。もはや魔性の微笑みにしか見えない。これ、俺がアルセーヌだってスコットにばれたら殺されるんじゃない、まじで。
「そう言えば、イタロスさん、婚約者がいらっしゃったんですね」
「いたと言いますか、できたと言いますか」
「婚約者がいるのに、私のことをあんなに熱烈に口説いたんですか?」
「いや、ははは、そういうわけでは」
やめろお! 恥ずかしすぎて死ねる。
「冗談ですよ。でも、あんなこと、ヴェニアさんには言えませんよね?」
あれ、ヘレナさん、今俺のこと脅してる? 俺、脅されてるのもしかして?
「大丈夫ですよ。私も、アルセーヌさんがイタロスさんだってこと、殿下には決していいませんから。秘密です、二人だけの」
何と言うか、言外の圧を感じる。不思議だ。ヘレナはとても穏やかに話をしているのに、俺の胃はキリキリと音を立てている。
俺の胃がSAN値チェックを受けていると、俺の背中側に何かがぶつかってくる。倒れるような衝撃ではなく、突撃というよりも飛びつきという感じであった。後ろを向いて確認すると、それはハルだった。
「ハル、どうした?」
「リンゴちゃんと鬼ごっこ中」
なるほど、実に健康的な遊びだ。
「その子、子供ですか?」
微笑んでいるように見えるが、肌を刺すような冷たい空気を纏ったヘレナが尋ねてくる。
「いやいや、年齢的に考えて違いますよ」
「父はラック。母はヴェ」
俺はハルが言い切る前に彼女の口を塞いだ。
しかし、ヘレナは真顔で迫りつつ、俺の肩をがしりと力強く掴む。
「ルシウスさんは、私のお父さんですよね?」
俺は無言で頷くことしかできなかった。