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百五十九 学生、説法を聞く

 夕食時。食堂に行くと、いつもより多くの人間がそこに集まっていた。急速に信者が増えているとリンゴちゃん言っていたが、自身の想定よりも遥に多くの人間がその場に集まっていたために、俺はやや圧倒されつつ食堂に足を踏み入れた。

 さすがに人混みの中心に行くつもりは無かったので、集団の中でも話が聞こえる位置の一番端のあたりに腰掛けようと、食器を持って移動すれば、そこにはケルンが既に座っていた。

 俺は場所を変えようと踵を返すが、俺の存在に気付いたケルンが声を掛けてきた。

「確か、ルシウス・イタロス、だったか? 入学式以来だな」

「お久しぶりです、ケルンさん」

「君も、説法というやつを聞きに来たのかい?」

 そう言いながら、ケルンは俺に座るようにと目の前の椅子に手を向けて促してくる。正直、こちらとしては気まずいどころの話ではないのだが、断るのもやや不自然なので、仕方なくケルンの前の席に腰を下ろした。

「ええ。アンドレに勧められまして」

「はは。そうか。しかし、君は神の救いを求めているようには見えないが、何か困りごとでもあるのか?」

 見るからにやつれているケルンに言われると、俺は何も言えなくなった。

「・・・・・・心中、お察しします」

「気にしないでくれ。シルフィアのことは、不幸な事故だったんだ」

 どの口が言うのだろうと思いながら、普通の人がケルンの様子を見て連想することは、婚約者と死に別れて悲しみの淵に沈んでいる、ということだろうと気付いた。だが、恐らくはエルゼスとマルセイジュの結婚の為だろう。

 しかし、これからの彼を思うと居た堪れなくなってくる。きっと、ケルンは妊娠したエルゼスや、エルゼスの子供を今後目にすることになるのだ。それが彼の身にどれほどの悪影響をもたらすかは、俺には想像することしかできなかった。

「アンドレ曰く、無数に回答のある神の教えというよりは、ただ一つの真実だという話のようですが」

「それは考え方の話だろう。まあ、本当に救いを求めている人間にとっては、耳障りのいい言葉なら何でもいいだろうがな。自分を救ってくれるのなら、何でもいいのだろう」

 ケルンは救いとやらを求めているのだろう。俺は、彼の今の状況が、自業自得なのか、ただ単に運が悪かっただけなのか、今一つはっきりとはしなかった。ただ、改めて考えてみると、運命がどうとかこうとかいう話は全て置いておくと、エルゼスがマルセイジュと結ばれ、ケルンとは結ばれなかったという結末は、仕方のないことなのだと思う。

 それは、エルゼスという一人の少女の決断であり、この世界がゲームとは違うのだという明確な根拠にもなり得ることだ。

 そもそも、ヘレナがケルンルートに入った際に、エルゼスとマルセイジュが結ばれるという未来があったことを考えると、エルゼスはエルゼスなりに、マルセイジュに対して思うことがあったのは、ゲームの時点から明らかである。

 このゲームとよく似たこの世界では、その思うところによって、マルセイジュの方に心が傾いた。ただ、それだけなのだ。

 しかしケルンとしては、なまじ未来なるものを、運命なるものを知ってしまった為に、自らの行いがどんどん陸でもない方向に逸れてしまった、ということがある。もし、彼が何もしなければ、普通にルフィと結婚して、普通に生きたのかもしれない。

 だがそれは、もしかしたらルフィとレンが仲睦まじく幸せに暮らしているのかもしれない、という一縷の望みすらも残らない未来であり、俺個人としては、かなり今の状態で良かったのかも知れないと思うことが出来るようになっていた。

 確かに、俺の行動のせいでケルンの運命は変わってしまったのかもしれない。しかし、スルビヤに言われたことを思い出す。その程度で変わる関係ならば、運命などではなかったのだと。そう残酷にケルンに言い放ててしまう程、俺はケルンという人間への同情を薄れさせていた。

 だが、この一連の思考の裏にあるものは、エルトリアと俺の関係が、運命でなかった、もしくは、運命的に必ず結ばれないことが決まっていた、という結論を導くためのもののように思えて、ヴェニアに対する婚約宣言すらも、このエルトリアとの関係性を諦める為の想いから生まれてきたのだと考えると、どうしようもなく恥ずかしくなってくる。

 自分で選んだ。それ以上の答えはいらないだろう。

 そう自分に言い聞かせるように、自分の思考を頭の中で反芻していると、やがて、アンドレがやって来た。

「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。これから何が起こるのか知らないと思っていらっしゃる方も、ぜひ、耳を傾けていただきたいお話があります。これから私が話すことは、異教への勧誘などではありません。貴方たちが、この苦しみに溢れた世界の中で、どのように生きていくか。その思考の方法論をお伝えしようと思っています。それでも、どうしても聞きたくないという方は、どうかお気になさらず、ご自由に退席してください。勿論、途中退席、途中参加、どちらも可能ですので、今この場にいる皆様も、ぜひとも肩の力を抜いて聞いて頂けると幸いです」

 アンドレの宣言の許、数人の生徒が食堂を離れた。だが、ほとんどの生徒は依然として食堂に残っていた。アンドレの話を聞く為なのか、それとも単に移動するのが面倒なだけなのか。いずれにせよ、今食堂にいる者全員に聞こえる声で、アンドレは話し始めた。

「皆さんは、この世界はどうして不完全なのだろう、と考えたことはありませんか。どうして人が死ぬのか、どうして人が老いるのか、どうして人は病にかかるのか、どうして人は苦しむのか。そう言ったものが存在しない世界に、どうして生まれてこなかったのか、と。

 この思考の裏には、そもそも人が死んだり老いたり病んだり苦しんだりすることのない、完璧な世界、というものが想定されています。しかし、貴方たちの中で誰か一人でも、そんな世界を見たり体験したりした人がいらっしゃるでしょうか?」

 アンドレは、ここで言葉を切った。本当に、今食堂にいる人間に、その一人一人に向かって尋ねているのだ。彼の話に耳を傾けている者にも、興味がなさそうにしている者にも、彼は各々にしっかりと目を合わせていく。

 やがて、誰かが手を上げた。

「そこのあなた。ぜひ、教えていただけますか?」

「楽園があると、神様はおっしゃっています」

「その楽園は、エイジャ王国に現在占領されている、我々が聖地と呼ぶところのことでしょうか?」

「そうです」

「なるほど。では、そこに行ったことがありますか? 実際に見たことがありますか?」

 アンドレは再び問いかける。今度は、誰も答えない。

 随分と意地の悪い質問だと思った。この王国にいる人間が、まだ成人したばかりの貴族が、どうして他国に行ったことがあるだろうか。

 誰も返事をしないことを確信して、アンドレは話を続ける。

「誰も知らないということは、聖地に、楽園と呼ばれる苦しみの無い世界が、あるのかもしれないし、無いのかもしれない。つまり、あるのかないのかわからないということになります。ここで、もし仮にあるとしたら、ないとしたら、という仮定は意味を成しません。我々にとって重要な問題は、どうしてこの世界が、完璧な世界ではないのか、ということです。

 では、どうして我々は、誰も見たことがない完璧な世界の想像を、今まさに生きている現実の世界に重ねて考えることが出来るのでしょうか。それは、その完璧な世界というものが、我々の頭の中に、確かに存在しているからです。具体的な形はわかりません。しかし、この世界の欠点を否定するような形をした理想の世界が、確かに、私達の頭の中にあるのです。

 人は、頭の中にあるものを、現実で形を持たせることが出来ます。例えば、紙に物を描いたり、何か道具を作ったりなどを通して、頭の中にある者を現実にします。こう考えると、我々の頭の中に確かに完璧な世界が存在しているのに、どうして現実に形を持って現れないのか、と思うことは当然のことです。実際、その理想の実現に向けて多くの人が行動していますが、人によって少しずつ理想の形が違うとはいえ、大まかな概形までが決定的に違う、という可能性を想定することは非常に難しくなります。というのも、先程申し上げたように、完璧な世界は現実の欠点の否定によって形作られるわけですから、人が同じ欠点を見付ける限り、それが否定された世界は、具体的な方法は違えど、同じ概形を持っていると言っても過言ではありません。

 では、何故それでも、完璧な世界は実現しないのか。それは、我々が完璧な世界を想像することが出来ていないからだ、と考えることが出来ます。今までの話と矛盾していると思われるかもしれないので、適切に言い換えますと、我々は完璧な世界を、現実の個々の否定から想像しますが、その否定すべきものがただ一つの点、点々です、線に対する点、だとすると、その否定に当たるのは点以外の全て、輪郭の見えない球の様なものになります。つまり、我々は理想の世界を、具体的な形では描けていない、ということなのです。例をあげますと、果物という世界の中で、リンゴを否定します。リンゴが現実の悪い点、否定すべき点だとした時に、我々が理想の世界だとするものは、梨だったり、イチジクだったり、ブドウだったり、ザクロだったり、オレンジだったり、木苺だったりと、一つには定まってくれません。

 能力の問題とか資源の問題とかいう前に、我々はそもそも、完璧な世界というものが何なのか想像することが出来ていないために、その新世界を創造することが出来ずにいるのです。

 ここで重要になってくるのは、その完璧な世界が想像できるか想像できないかという問題ではなく、完成の目処が立たない家の建設を待つのではなく、今まさにどうやって雨風をしのいで今日を生きるか、つまり、この苦しい世界でどう生きていくか、ということなのです」

「随分、残酷な話だな」

 アンドレが堂々と演説をしている最中、目の前のケルンがポツリと呟いた。

「夢を見るなと、理想の世界を願うなと、そう言うことか?」

 それは論理の飛躍では、と、俺はケルンに言うことが出来なかった。

「苦しみの中でも生きていけるのは、強い者だけだよ」

 アンドレの言葉にある程度の納得をしつつも、ケルンの言葉が重くのしかかっていた。



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