百五十七 学生、はっきり告げる
店の外に出てからも、ヴェニアの表情が固まったままだった。どうしたものかと、彼女の手を引いて落ち着ける場所を探した。
ちょうど腰を落ち着けられそうな場所を見付けると、俺はヴェニアに座るように促した。だが、彼女はぼおっとしていて、俺の声が聞こえていない様子だった。
ぽんっと彼女の肩に手を置くと、ヴェニアはびくりと身を震わせて俺を見た。そして、固まっていた表情が、まるで氷が周囲の熱で少しずつ解けていくかのように柔らかくなっていくと、彼女は突然手で顔を覆い隠した。
「もしかして、調子悪い?」
「そ、んなことは、ない」
そんなことあるだろ。
俺は本当に具合が悪くないのか、彼女の表情から読み解こうと顔を覆う手をどかそうとするが、ヴェニアは必死にそれを拒んだ。
「見ないで!」
彼女が強く言う。
「・・・・・・本当に、体調悪くないのか?」
「・・・・・・ない」
「だったら顔を見せてくれよ」
「・・・・・・てなかっただけ」
「え? なんて言った」
彼女のぼそぼそとしたか弱い声を聞き取ろうと、俺は耳を近づけた。
「表情が、気持ちに追いついてなかっただけ」
何だそれは。
俺は困ってしまい、ぽりぽりと頭を掻いた後、再びヴェニアに座るように促した。今度は直ぐに彼女が腰を下ろしたので、俺はその隣に腰掛けた。
「本当に、具合が悪いわけじゃないんだな」
コクリと頷く彼女のことを、いったんは信用することにした。
暫くして、ヴェニアは顔を覆っていた手を降ろした。彼女は、今朝会った時と同じような顔をしていたが、どこか無理しているような気がしなくもなかった。
もしかすると、俺が微妙な返答をしてしまった為に、ヴェニアはショックを受けて表情を作るのを忘れてしまったのかもしれない。
自分が日和った為に彼女を傷つけてしまったのかと思うと、チクリと胸が痛んだ。
もしも体調が悪いのならばこのまま帰るのも一つの手だと思っていたが、ヴェニアを俺が傷つけてしまったのかもしれないと考えると、このまま何もせずに帰ろうという気にもなれなかった。
さてさて、どうしたものか。
「・・・・・・さっきの」
ぼつり、とヴェニアが呟いた。
「さっきの、ちゃんと言ってもらえませんか?」
さっきのって? ととぼける度胸は俺には無かった。彼女が何を言わんとしているかは、十分に把握していた。
「君を俺の家に招いて、両親に紹介する。・・・・・・婚約者として」
この世界の貴族に、交際という概念は存在しない。気持ちが通じ合えば即結婚。そうでなくても親の紹介で即結婚。何よりも、第一印象が全ての世界であるからだ。
「・・・・・・そうですか」
言葉に込められた喜怒哀楽を、可能な限り押し殺した声だった。何とも微妙な反応だった。俺が一人で突っ走っていただけかもしれない。
少し気を落としながらちらりとヴェニアの表情を覗くと、彼女は再び自分の顔を手で覆っていた。これでは、どんな表情なのかがわからない。態度で察しようにも、俺にはそれだけの女性経験が存在しない。
どうしたものかと、ピクリ、と彼女の肩が震えた。やがて連続的に小刻みに震え始めたので、俺は過呼吸を疑った。
やがて、お面のように顔を覆っていた手を、マスクのように組み替えた。お陰で、俺はヴェニアの目元を見ることが出来た。
「予想外でした」
上目遣いに、彼女は俺を見た。
自分で家に連れて行けとか言ってなかったけ。それなのに予想外ってどういうこと?
「もっと、時間がかかると思いました」
時間がかかる。時間がかかる。時間がかかる? 駄目だ。ヴェニアの言っていることが全くわからない。時間がかかる? 予想外? 何かがあっという間だったってことか?
「もしかして、気持ちに表情が追いつくとか、そういう話?」
「・・・・・・全然違いますよー。ルシウスは、本当に女の子の気持ちがわかりませんね」
彼女があまりにも嬉しそうに言うので、表情と言葉の間の隔絶に、俺の思考はますます混乱をきたすのだった。