百五十二 学生、友人が宗教に嵌る
一日の授業が終わり、俺は部屋に戻る前に学園長室へと向かう。部屋に入ると、リンゴちゃんとハルが仲良く戯れていた。
夏休みが明ければヴェニアも魔法学園の授業があるため、その間ハルをどこに預けておこうかと悩んだ末、ダメもとでセバスチャンに相談した所、彼からリンゴちゃんに遊び相手になることを勧めてくれた。
リンゴちゃんとハルは初対面から波長が完璧に合っていたようで、周囲の人間にはわからない独特の間で二人だけの笑いの空間を生み出していた。
「学園長。この部屋を使わせていただいて、本当にありがとうございます」
「気にするな。子供の元気な様子を見るのは、年寄りには薬となる」
大きな椅子にゆったりと腰掛けながら、学園長は温かな目で二人を見ていた。勿論、学園長の横に立つセバスチャンも二人を優しく見守っている。
「ハル。行こう」
「わかった」
ハルはひょこひょこと俺の許に歩いて来ると、すっと俺の手を握った。離れている期間が長すぎたのか、ハルは手を繋ぐことを催促するようになっていた。
「それでは、失礼いたします」
「君もその歳で子供とは」
「俺の子じゃないです」
「若い頃を思い出すわい」
この老人俺の話が聞こえてないな?
「リンゴちゃんさんも、失礼いたします」
「・・・・・・あ! ちょっと待って」
学園長室を出ようとした所で声を掛けられ、俺はリンゴちゃんの方を向いた。
「リンネちゃんがすっごい喜んでたよ。信者がうなぎのぼりだって」
え、何お話ですか。
「恐れ入ります」
何の話かわからなかったので、適当な言葉でごまかして、俺は学園長室を後にした。
アンドレ。君は一体何をしたんだ。
俺はハルの手を引いて学生寮の自分の部屋へと戻る途中、心当たりとして一人だけ浮かんだ人物について考えを巡らせていた。
俺が布教したのはアンドレただ一人。だというのに信者がうなぎのぼりということは、彼が増やしているに違いない。
ハルを自分の部屋に残してからアンドレの部屋を訪ねようと思ったが、彼女がそれを拒んだので、俺は止む無くハルを連れてアンドレの部屋の戸を叩いた。
「はいはい。暫くお待ちを」
そう言って扉を開いたアンドレは、俺とハルの様子を見て、目を数回瞬かせた。
「誰との子? まさかお姉さんとの?」
一応言っておくが、ハルの見た目は十歳以上だぞ。俺の子供なら、俺が五歳の時に誰かを妊娠させたことになるだろ。そんな赤子やばいだろ。頭おかしいだろ? 常識で物事を考えろ。
「ラックは父。母はヴェニア」
「ハルちゃん嘘はいかんよ。いいかアンドレ。この子は拾ったんだ」
「・・・・・・ルシウス。父親として、責任を」
こいつまじで話聞かねえな。
「とりあえず聞きたいことがあるから、部屋の中に入っていい?」
「その前に約束してくれ。父親として、ちゃんと責任を」
「はいはい。入るよー」
俺は半ば無理やりアンドレの部屋に入った。そして、目を丸くした。
木で彫られた縄文時代のヴィーナスの様な像。丸い石を輪っか状につなげた祈祷用の道具。叩くときれいな音が鳴りそうな金の鉢。
大学生の時定期的に目撃したカルト宗教の魔の手がこんな所にまで。
「アンドレ。君、改宗をしたのかい?」
「改宗だなんて。リンネ様の教えは宗教じゃないよ。真理だ。だから、信じるか信じないかの問題じゃない。気付くか気付かないかの問題なんだ」
おいおいリンネ様、聞こえていたら今すぐアンドレに掛けている催眠を解いて下さ~い。
しかし、女神様からの返事は聞こえなかった。
「ほら。聞こえてきたよ、女神様の声が。なになに。神の声は、最も信心深い人間にしか聞こえない? そうだよ」
「アンドレ。まさか、人に薦めたりは」
「まさか。僕はまだ、人に説法できるほど悟れてはいないよ。ただ、道に迷っている人が、少しでも正しい道を歩めるように」
「おし、ハル。出ようか」
「ああ。ルシウスも、良かったらリンネ様の話を」
「いや、俺はもう行くよ。邪魔したな」
アンドレは手遅れだと悟ってしまった。アンドレよ。すまない。俺は君よりも早く、真理に到達してしまったようだ。
俺は悪影響がハルに及ばないように、急いでアンドレの部屋を離れた。