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百四十九 下男、ヒロインの歌を聞く

 数日後、ドゥイチェ公爵家を筆頭とする軍が終結。戦士たちは聖地を目指して進軍を開始した。程なくアナトリア領を抜け、広い平野に差し掛かる。

 軍の後をこっそりつけていた俺達の許に、スルビヤから敵軍発見の知らせが入った。

「いよいよですね」

 気分が高揚しているのか口元を緩ませるセバスチャンとは対照的に、ヘレナは日に日にその顔色を悪くしていった。

 自分が失敗したら多くの命が失われてしまうという不安が、彼女の心をかき乱しているのだ。

 俺は彼女が少しでも安心できるように傍らにいることしかできなかった。

 敵軍を発見した翌日。平野を主戦場とするように、その両端に両軍が相対した。平野の端から端を繋ぐように並べられた戦列は圧巻で、美しくも張り詰めた空気が戦場から遠く離れた俺達にもひしひしと感じられた。

 戦場へと向かう為にヘレナが渡してくれた笛を俺は吹いた。現れたジブリールに「ヘレナをよろしく」と言った。

 震える足を何とか持ち上げてジブリールへと乗り込むヘレナの様子を見て、俺はセバスチャンに俺も付いて行っていいかと尋ねた。構わないと答えたセバスチャンに感謝の意を表して、俺もジブリールの背中へと乗った。

「アルセーヌさん?」

「俺も同行します。ジブリール」

 そう言うと、黄金の怪鳥が力強く羽ばたいた。

 空高く舞い上がると、両国の軍隊が向かい合う平野の上空へと向かった。

 無数の点の様な戦士たちを上空から見下ろしながら、ヘレナが歌を歌った。──────否、彼女の喉から声が出てくることは無かった。

 その理由は明白だ。恐怖で声が出ないのだ。

「ヘレナさん」

 俺が声を掛けると、彼女は不安で真っ青になった顔をこちらに向けてきた。このような状態の人間に対し、大丈夫、出来る、と声を掛けるのは残酷な行為でしかない。かといって、戦争を止めることが出来る力を持つ彼女がその力を上手く行使できずに戦争が起こってしまうとなれば、彼女は自身を攻めるだろう。

「ヘレナさん」

「・・・・・・はい」

 絞り出すような声だった。

「ヘレナさーん」

「はい?」

「ヘーレナさ~ん」

 緊迫した雰囲気に包まれていたはずの彼女が、ぷっと空気を壊すように息を吐き、やがては楽しそうに笑い出す。

「緊張、ほぐれました。でも、声が」

「無理して歌わなくていいんですよ。始めは話しながら、少しずつふざけて抑揚をつけるんです。伸ばしたり、タイミングをずらしたり、したいようにするんです。自分の欲望に素直になって」

「そーれ、言い~方、変ですー」

「ソんナ―感じぃ」

 こんな感じで他愛もないふざけ合いをしていると、気付けば、いつの間にか彼女は歌いだしていた。王城の城壁で聞いた時よりも伸びやかで、澄んでいて、美しい声だった。

 天上の調べたる神々の声に勝るのではないか、という美しい空気の揺らめきが戦場へと響き渡り、今まさに戦端を開かんとする兵士たちの耳に届いた。

 聞き慣れていないはずの歌。しかしどこか懐かしさを覚えていたのだろう。少し聞いただけで、人々は遠い記憶が意識の底から湧き上がってくるように無我夢中で口ずさんだ。

 それは、王国や、階級に関わらず、その戦場にいた誰もが歌っていた。式典で歌われるような斉唱ではない。よくよく聞けばリズムも音程も微妙にずれているが、心のままに歌う彼らには、同じ歌を歌っている認識が一番大切なのだ。

 それは、世界初の魔法であり、歴史上最大規模の水魔法だった。

 人々の中に、一体感と、平和への祈りを宿す歌。

 誰が言い出したわけでもないのに、人々は踵を返し、両軍が平野から立ち去った。



 結論を言えば、戦争は起きなかった。両国の軍隊が向かい合った所で、どちらかからはわからないが、突然皆が同じ歌を歌いだし、全員一致で国へと帰っていったからだ。

 帰国の途に就いた人々は戦場で思い出した歌を人々に伝え、戦争を強く推していた国王すらもいつの間にか戦争に反対していた。

 あまりにもあっけない結末だ。俺はふとそんなことを口にしてしまっていた。しかし、それを聞いていたセバスチャンが笑って言う。

「我々が驚かせる立場なのだから当然です。たまにはやつも困ればいいのですよ」

 彼は気分よさそうにそう言った。

 両国に人的被害は無かったものの、出兵にかかる莫大な費用を誰が負担するかという話になり、その生贄としてドゥイチェ公爵家が選ばれた。

 ドゥイチェ公爵家が主導で進めた戦争であった為に当然と言えば当然なのかもしれないが、それが原因だったのだろうか、結局ライン伯爵家は婚約破棄をせず、エルゼス・ロートリンゲはマルセイジュ・ガリアと結婚した。

 ジブリールに乗り颯爽と王都に帰還した俺は、かなり長い間ハルを預けていたヴェニアに完全にすねられてしまい、数日の間彼女の部屋の前で頭を床にこすりつけ続けなければならなくなった。



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