百四十一 下男、実家に帰る
俺の脚を枕にして横になっていた少女が安らかな寝息を立てる頃、俺は彼女を抱え、隣の部屋に移動して布団に彼女を寝かせた。
自分の部屋に戻った後、俺は布団に寝転がり、ふと先程までの出来事を回想して、自分の恐ろしい勘違いを思い出して恥ずかしくなった。
ヘレナが、俺に恋愛感情ではなく親愛の情を抱いていたのだ。俺はそれを完全に思い違いして、ああ、もはや思い出したくもない。
こんなに頭の中がごちゃごちゃしていたらきっと眠るまでに時間がかかるだろうなあと思いながら羊を数えていると、ハルの影響か、いつの間にか羊が空を飛び始めていて、気付いたら朝になっていた。
さて、ヘレナを連れてきたは良いが、これから一体何をすればいいのだろう。
そんなことを考えながら居間へと向かうと、朝っぱらからセバスチャンがキュウビと向かい合ってのんびり茶を啜っていた。
「セバスチャンさん!」
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう、ございます」
年長者二人の普段と変わらぬ挨拶に、俺は少々戸惑いながらも返事を返すことが出来た。
「もう朝食は出来ています。こちらへ」
手早くキュウビが机の上に並べた皿から、良い匂いが漂ってきた。俺は椅子に腰を掛け、いただきます、と手を合わせてから食事を口に運んだ。
朝食の臭いにつられたのかヘレナも起きてきて、彼女も朝食に参加した。
昨日の夜あんなことがあったので、多少気まずい雰囲気になることも警戒していたが、ヘレナに変わった様子はなく、「これ、とっても美味しいです」と恐らく初めて食べるであろう米の美味さに感激していた。
そうだろうそうだろう、とそこまで考えて、ごく自然に和食を口にしていてふと気付く。米とかって、どうやって入手しているのだろうと。
すっかり忘れていたが、今俺は山の上にいる。小屋の周囲に畑など無く、そもそも食材をどこで入手しているのだろうか。
そう言えば、セバスチャンとこちらに来た時に使った、あのどこでもドアの様なものがあるから、それを使って食材を集めているのか。と言うか、俺がこの前キュウビに会いに行った時、どこでもドア風の社を使って俺を移動させてくれれば良かったのでは?
「これから、俺達は何をすればいいんですか?」
不満はおくびにも出さず、俺はセバスチャンに尋ねた。
「山の魔物達で魔法の実験です。ルシウスさんは帰って構いませんよ」
「あの瞬間移動できる襖を使うことは?」
「無理です。向こうからこちらに来ることは出来ますが、こちらから向こうに行くことは出来ないので」
なるほどね。だから俺にわざわざ移動させたのか。行きは良くても、帰りが道もわからず困ることになるから。
「折角です。里帰りをされては?」
俺は、今いる山が、イタロスの屋敷の近くにあることを思い出した。
木々を伝い、魔物にあったら即逃げる、というスタンスで高速で山を下りた。何度も鉢合わせることになったので、その度に胃が悲鳴を上げた。
麓の村間に着いた後、馬車に乗って移動する。のんびり数日かけて、俺はイタロスの屋敷へとたどり着いた。
連絡もなしに突然帰ってきた息子に旦那様も奥様も大いに驚いていたが、彼らは温かく俺を迎えてくれた。
幸せの絶頂のただ中にいて気分のいいロンとは対照的に、俺の顔を見た途端に気まずそうな顔をするアクア。
レンが帰ってきていないと聞いて俺は些かの不安を覚えていたが、そんな恐れを吹き飛ばす程の大きな衝撃があった。
「お帰りなさい」
微笑みを携えて俺を迎えてくれたエルトリア。彼女がイタロスの屋敷に居る、そう言うこともあるだろう。しかし、問題なのは、彼女の体の方であった。
「・・・・・・今、何か月くらいなの?」
「六か月くらいよ」
そう言って、彼女は優しく自身のお腹を撫でていた。そこに宿る命を、丁寧に、大切に、慈しむように。