百三十八 下男、ヒロインを攫う
日が完全に水平線の向こう側へと沈み、王都に夜が訪れた。闇に紛れ、木や家々の屋根を伝い、俺は王城へと侵入した。
いつかこんな日も来るだろうと王城の警備の様子をつぶさに観察していたおかげで、俺は兵士に気付かれることなく、王城の壁をするすると上ってその屋根の上に乗ることが出来た。
さあて、ヘレナの部屋は。
ヒロイン様の窓にそろりそろりと近付くと、ちゃんとヘレナは部屋の中に一人でいた。
俺はこんこん、と窓をノックする。
初めは風だと思っていたのだろう。最初は特にこちらに気付く気配のなかったヘレナも、幾度か窓を叩くうちに視線をこちらに向けた。そして、はっと驚いて窓に近付き開け放った。
「貴方はお昼の」
「こんばんは」
「・・・・・・えっと、王城の使用人は窓から出入りする習慣があるのですか?」
あるわけないだろ! いや、彼女なりの冗談なのかもしれない。
「窓から出入りする職業は一つしかありませんよ」
「・・・・・・もしかして、泥棒さん、だったりして。そんなわけないですよね」
「そうですよ。私は泥棒です」
「残念ながら、この部屋には取るものはありませんよ。それに、王城は警備が厳重ですから、早く帰らないと捕まってしまいますよ」
泥棒って言っているのにどうして心配をするのかねこの子は。これが乙女ゲームのヒロイン。天然キャラなんだろうな、きっと。
「盗むものはありますよ。この城一番の宝がここに」
「えっ?」
「────────俺は、貴方を攫いに来たのです」
・・・・・・うわはっず。はずいはずいはずい! 顔から火が出そう。
あまりにも待ち時間が長すぎてこうやったら面白いかも、なんてノリで考えるんじゃなかった。すごく恥ずかしい。
そしてヘレナよ。なぜ貴様はドキリとしている。なぜ動揺して顔を赤くしている。そんなにロマンティックだった? ならば良し。俺の醜態は挽回だ!
「・・・・・・私が、スコット殿下に目をかけられているからですか?」
「いいえ。貴方の価値は、他人によって与えられるものではありませんよ。泥棒が盗むものは、それ自体に価値があるものだけです」
恥ずかしすぎるだろこのキャラ。完全に止めるタイミングを見失ってしまった。
「俺に、攫われていただけませんか?」
ヘレナの前に、手を伸ばす。彼女は、そっと俺の手を掴んだ。
まさか、本当に手を取ってくれるとは。正直ふざけ半分だったのに。
「まるで、おとぎ話みたい」
ヘレナは、心の底からの笑顔を見せた。
これって本当に誘拐していいのだろうか。というか、スコットは今まで何をやっていたんだ? 何でこんないい加減な小芝居が上手くいく!?
「・・・・・・攫う前に一つ。何か、王子から渡されたものなどはございませんか?」
「ええっと」
そう言って、ヘレナは首飾りを俺に見せる。黒縁眼鏡を通せば、それには高密度の魔力が籠っていることがわかる。恐らく、ヘレナの位置を把握する為、もしくはヘレナの身を守る為に王子が持たせたのだろう。
「それは、置いて行っていただけますか?」
「それは・・・・・・」
ヘレナは躊躇いの表情を見せた。それなりに思い入れがあるものなのだろう。
「大切なものなのですか?」
「・・・・・・いいえ。大切なもの、でした」
そう言うと、ヘレナは首飾りを首から外し、近くの机の上に置いた。
「貴方は、私を攫ってくれるんでしょう?」
「もちろん」
「・・・・・・じゃあ、連れて行ってもらえますか?」
「・・・・・・喜んで」
ええ。一体、ヘレナとスコットの間に何があったと言うんだ。俺、だいぶやばいことにしてるよね? いや、そもそも誘拐自体がやばい行為ではあるんだけども。
無理やり連れて行くのは嫌だよね、とか一瞬でも思っちゃったからこれで上手くいかないかな~とか適当に考えていたけど、ここまで上手く行くと怖い、怖すぎる。底なしの泥沼に片足を突っ込んだ気分だ。
俺はヘレナをお姫様抱っこすると、王城を素早く離れる。追手がいないことをきょろきょろと確認しながら王都の家々の屋根の上を飛ぶ。
「貴方、名前は?」
腕の中のヘレナが尋ねた。
「アルセーヌ、とお呼びください」
一先ず、俺は魔法学園までヘレナを運びきることが出来た。すると、校門にセバスチャンが立っていた。・・・・・・怪しすぎる仮面を付けて。
「えっと、協力者さんですか?」
ヘレナさん気付いて! 見たことあるでしょ! 貴方の学校の学園長の執事ですよ。
「こちらへ」
ヘレナを抱えたまま、俺はセバスチャンの後に付いて行った。
「もう歩けますよ」
「降ろして欲しいですか?」
そういうと、ヘレナは黙ってしまった。
セバスチャンが向かったのは森だった。・・・・・・そう言えばここ、学生たちが情事を行うために使ってるんだっけ? まさか変なことはしないよなさすがに。
俺の心配をよそに、セバスチャンはどんどん奥へと進む。俺は天網の加入試験のことを思い出しながら、ヘレナを抱えて彼の後に付いて行った。
辿り着いた先には、いつか見た社が現れた。
「中へどうぞ」
セバスチャンの指示に従い、俺は社の奥へ奥へと歩いて行った。前回との違いは、セバスチャンが俺達を先導してくれている、ということであった。
セバスチャンが一番奥の襖を開けた。その先では、キュウビがお茶を旨そうに啜っていた。この社、どこでもドアになっているんですね。
「おや、久しぶりでございます」
俺とセバスチャンを見ると、仮面や女子をお姫様抱っこしている格好に一切ツッコミを入れずに、キュウビは温かく出迎えてくれた。
「しゃべるキツネさんです・・・・・・」
混乱しているエレナを抱えて、俺はキュウビがいる部屋へと入った。
「キュウビ。暫く、この少女を泊めてくれませんか?」
「構いませんよ。お二人はどうされますか?」
「私は戻ります。・・・・・・貴方は?」
セバスチャンは俺に尋ねてきた。
「俺は」
帰ろうかと思っていたが、ヘレナが両手でがっしりと俺の首を掴んだ。
「気が向いたら、自力で帰ってきてくださいね」
嘘だろおいふざけるなよ!
セバスチャンは襖の向こう側に行って、戸をぴしゃりと閉じた。俺は慌てて襖を開けるが、その奥には普通の和室が広がっているだけであった。
あいつ、置いて行きやがった。
「まあ、折角来られたのですから、お茶でもどうぞ」
そう言って、キュウビはお茶を用意しだした。俺はヘレナを降ろし、畳の上に腰を下ろした。
セバスチャンの野郎。何の支持も出さないまま俺を放置しやがった。キュウビの所にヘレナを連れてきて、一体何をしようって言うんだ?
ちらりとヘレナの方に目を向けると、目が合った少女は照れたように視線を下に向けた。
ついでに、第三王子とヘレナとの間に何があったのか探ってみるか。俺には仲睦まじいように見えていたんだが。
ふと、自分が無意識の内に三角関係に巻き込まれたくないと思っていることを自覚して、かなり恥ずかしくなった。